ヤマトの国のヒメミコちゃん

沢田和早

 

第一話 ヤマト国の巫女は君に決めた!

二頭の獣が争えば、傷つくのは草

 リョウにとっては見慣れている光景だった。それでも胸を痛めずにはいられなかった。防御柵は完全に破壊され、黒焦げになった家々にはまだ煙が燻っている。怪我をして菰筵こもむしろに寝かせられている者もいる。リョウと共に視察に赴いた大王おおきみも沈痛な面持ちで歩いている。


「また水に絡んだ嫌がらせか。田植えの時期はいつもこうだ。リョウ殿、この世から争いをなくすにはどうすればよいのだろうか」

「この世から争いはなくなりません。生きることと争うことは同義なのですから。弱肉強食は獣だけではなく人の世にも当てはまる道理なのです」

「しかし人には知恵と言葉がある。獣とは違う世を作ることもできるのではないか」

「いいえ、知恵と言葉を使っても獣の生き方から逃れるすべはありません。人も獣だからです。獣のオス同士が争うのは、そのほとんどが食い物とメスの取り合いです。己の縄張りに入るオスと争い、己の食い物を横取りするオスと争い、一匹のメスを巡ってオスと死闘を繰り広げる、それが獣のオスというもの。一方、人はどうでしょうか。領地を巡って他国と争い、少しでも多く収穫しようと争い、女を手に入れるために他の男と争う……その姿は食とメスに欲望を支配された獣のオスと何ら違いはありません。どれだけ人道を説こうとも人に宿る獣の本質から逃れることはできないのです」


 無駄な問答だったと大王は思った。結論はわかっていたからだ。それでも尋ねずにはいられなかった。国の繁栄と領民の安寧こそが大王の責務。そのどちらも果たせていない今の自分が歯がゆくて仕方がなかった。


「リョウ殿がおられた地もかつては戦乱の世であったと聞いている。いかにして今の平和を手に入れられたのかな」

「大王は考え違いをしておられますね。今もまだ争いの時は続いています。天下を三分することで勢力が拮抗し均衡を保っているだけにすぎません。そのような緊張状態が果たして平和と言えるでしょうか」


 リョウは夕日に染まり始めた西の空を仰いだ。その彼方に彼の故郷がある。


(この地に渡ってまだ一年も経たないと言うのにすっかり馴染んでしまった。まるでここが我が祖国のようだ。健康な身体と穏やかな気質。温暖な気候と豊かな土壌。争いさえなければここは楽園かもしれないな)


 倭の西方に海を隔てて広大な大陸がある。リョウはそこから来た。圧倒的な国力と高度な文明を誇る大陸に対し、倭の各国はこぞって使者を送り貢ぎ物を献上した。大陸もまた倭からの使者を手厚く持て成し、銅鏡、鉄器などの返礼品の他に詔書や印綬を下賜し、大陸からの使者とともに倭へ送った。このようなやり取りはすでに数百年続いている。


(思い出す、一年前の私を)


 リョウは大陸の中でも極めて高位の地位にあった。が、とある事情により下野げやを余儀なくされた。このままひっそりと余生を過ごすか、中央を離れ異民族が治める四夷しいのひとつに移り住むか、どちらかの選択を迫られた。


「寒い北狄ほくてきは苦手。南蛮は熱病が流行はやっていると聞きますし、西戎せいじゅうの食べ物は口に合わない。となると東夷とういしかありませんが……ああ、がありましたね。東夷でありながら粗野な民族ではないようですし、そこで暮らすのもまた一興」


 リョウは異民族の言語、特に倭の言葉には堪能だった。折しも大陸一の強国であるに倭のヤマト国から使者が到着していた。数日後には返礼品とともに魏の使者がヤマト国へ派遣されるはずだ。


「ちょうどいい。一緒に連れて行ってもらいましょう」


 リョウは通訳士として魏の一行に加えられ、念願の倭の地へ足を踏み入れた。温厚な人々と豊かな大地、リョウは喜んだ。が、同時に失望にも襲われた。そのような国でさえ、やはり争いは繰り広げられていたからだ。人の世には必ず争いが付きまとう、その思いはリョウの中で強くなるばかりだった。


「優秀なそなたが居ればわしは必要なさそうだな」


 魏から派遣された使者は数日滞在しただけで帰国してしまった。使者の役目は返礼品などの下賜の他に、派遣先の大王を補佐し魏の属国に相応しい統治を維持することにある。リョウはその役目を十分こなせるほどの力量を備えていた。宰相が二人いては混乱を招くだけ、そう考えた使者は自らその地位をリョウに譲ったのである。一介の通訳士にすぎなかったリョウは倭のヤマト国宰相となり、大王と力を合わせて国造りに励む毎日である。


「リョウ殿、何を考えておられる」


 大王の言葉がリョウの回想を吹き消した。目の前には襲撃に遭ったばかりの集落。そして悲しみに沈むヤマト国の民。


「これは失礼。物思いにふけっていました。お話の続きをどうぞ」

「天下三分と同じ策をこの倭でも用いることはできぬか。かりそめの平和でも無いよりはマシだ」

「倭は十数国が乱立しています。それらの勢力を拮抗させるのは不可能と言えましょう。まずは統一を目指すべきです。私の大陸もかつてはそうでした。遥か昔、いんの時代に二千あった小国は春秋時代には二百となり、これらが七雄と呼ばれる七大国に集結した後、秦の始皇帝によってようやく統一されました。倭に平和をもたらすには圧倒的信望と絶対的権威を兼ね備えた統治者の出現を待つしかないと思われます」

「信望と権威のある統治者か。少なくともわしではないな。ははは」


 自嘲気味に笑う大王に無言の微笑みを返すリョウ。まさか正直に「おっしゃる通りです」とは言えない。それとなく話題を変える。


「優れた統治者が得難い存在であったとしても、巫女みこならば見つけ出すのは容易ではないでしょうか。古代より伝わる神の御社おやしろを持つ国は倭の中でもここ大和やまとだけ。もし優れた巫女が宰相となって補佐すれば、凡庸な大王とて優れた統治者となり得ましょう」

「そう、見つかればな。だが、そう容易たやすくは見つからぬ。リョウ殿はここに来てからまだ一年足らず。それ故、この地の女子おなごについてわかっておらぬのだ。大陸には高貴な女子は星の数ほどおるのかもしれぬ。しかしここにはおらぬ。神の声を聞き神に声を届ける、巫女に相応ふさわしい品格を兼ね備えた女子は、わしが大王になってから一人も見つかっておらぬのだからな」


 苦笑するしかなかった。確かにこの地の女子は総じて野蛮に見える。それは仕方のないことだった。

 大陸では平民でさえ上衣には袖と裾のあるじゅを着用する、男の下衣は、女はくん。そして多くは草鞋を履いている。

 それに比べて倭の服装は原始的だった。男は幅広の布を体に巻き横で結んでいるだけ。女は布の真ん中に穴を開け、頭からかぶっただけの貫頭衣。そしてほとんどの者は裸足である。壮麗な神の御社に似つかわしい容姿とは言えない。


「お気持ちはよくわかります。しかし品格は装束によって決まるものではありません。大王が粗末な身なりをしても大王は大王なのですから。それに巫女を決めるのは私たち人ではなく神の御先みさきたる神使しんしです。神使は装束など気にも留めないでしょう」

「それはわしも心得ておる。それ故、集落で評判の良い女子を何人も神の御社へ赴かせた。が、神使は何の言葉も賜ろうとせぬ。今や御社も王宮もそれらの女子で溢れ返っておる」


 一度でも神の御社に足を踏み入れた者は平民の生活に戻してはならないという掟があった。従って巫女選びは慎重に行わなければならなかった。


「人ならざる者の価値観は私たちとは大きく異なっていてもおかしくありません。自分の内に巣食う先入観を排して女子を眺めれば、思ったよりも容易く見つかるかもしれませんよ」

「ならばリョウ殿はどのような女子が巫女に相応しいと思われるのか」


(ようやくその問いを私に投げ掛けてくださいましたね、大王)


 リョウは平静を装いながら大いに喜んでいた。この言葉を待っていたからだ。魏の使者に代わって宰相となり、日々大王の信頼を得て歯に衣着せぬ言葉を交わすような仲となり、そしてこの国に来て間もなく一年となる今日のこの日を選んで、他国から襲われた集落を視察に来たのも、全ては大王からこの言葉を聞くためであった。


(これで駒をひとつ進められます。さて……)


 今もまだ襲撃のほとぼりが冷めぬ集落を歩きながら、リョウは素材を吟味する料理人のような目で民を眺めた。大王と宰相の視察とあって、集落の民は後片付けを中断して全員平伏している。


「そうですね、私なら……」


 リョウの動きが止まった。その視線の先には菰筵の前にうずくまる一人の幼女がいた。

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