5話

 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 美容室を出た美緒は、その足で駅前へ向かう。


 何をやっているのだろうか。


 慧とは、ほんの三ヶ月程度の恋人のはずだ。それなのに、自分ときたら初めてのデートに、こうして美容院まで行って髪を整えている。


「なにやってるんだろう。慧君なんて、放っておけば良いのに」


 溜息をつきながら歩いていたが、ふと、美緒の足が止まった。


 ショーウインドを見つめる。


 何を見るわけではない。美緒は、ガラスに映る自分を見つめた。


 笑ってる。


 頭で考えている事とは真逆で、顔には笑みが浮かんでいた。作り笑いではない。自然な笑みだ。


 姿勢を正し、自分を見つめる。


 自画自賛、というワケでは無いが、やはり自分はイケテると思う。


 クリーム色のロングのキャミワンピースに、シフォン生地のトップスを合わせている。髪型も、先ほど美容室で夜会巻きにしてもらった。履き慣れない、リボンのついた黒いローヒール。


 少し大人びた服装。もしかすると、慧とは合わないかも知れない。


「少し、気合い入れ過ぎちゃったかな」


 そう思ったが、慧がこの格好を見てどんな表情を浮かべるのか、想像するだけで笑みが零れてしまう。


 驚くだろうか、それとも、頬を赤く染めるだろうか。何パターンか想像し、美緒は再び歩き出し。


 心が躍る。こんな気持ちになるのは、いつ以来だろうか。


『いってらっしゃい』


 不意に、背中に声が掛けられた。


 全身に悪寒が走る。美緒は振り返る。


『楽しんでね』


 『少女』は後ろを向いていた。そして、ゆっくりとした足取りで歩いて行く。


「どうして……?」


 こんな事はなかった。『少女』は決まって、人生の岐路で登場してきた。そして、事あるごとに美緒の行動を非難してきた。それが、今日に限って美緒の背中を押してくれる。


 『少女』は答えない。美緒の呟きは、問いかけは聞こえているはずなのに。ただ、『少女』は足を止めると、顔半分だけ振り返った。見覚えのある横顔。その横顔は、年相応の笑顔が浮かんでいた。


『楽しんでね』


 もう一度、『少女』は言うと、ふっと消えてしまった。


「あっ――」


 『少女』の言葉に勇気づけられたのは初めてだ。


 昨日、那由多に言われた言葉がずっと引っかかっていた。



 ――止めておけ。お前、良くないよ。破滅の音が聞こえる――



 あの時の那由多の言葉。彼の言う「破滅」が気になったが、今の美緒にはどうすることも出来ない。現状を変えられる程、強い人間ではない。周りに流され、皆と同じ方向に歩むだけだ。


 だけど、もしその方向が間違っているとしたら?


 雑踏に混ざりながら、美緒は歩を進めた。慧との待ち合わせの場所まで、もう少しだ。


 『流れ』は無数にある。


 友人の流れ、家族の流れ、組織の流れ。


 『流れ』は『繋がり』と言い換えても良いだろう。


 人は、その一つ、ないしは複数に身を置いている。もしも、自分の置いている流れ、繋がりが誤っているのだとしたら?


 もちろん、美緒が身を任せている流れが正しいとは思えない。世間で言えば、間違っているのだろう。圓治との援助交際、克巳達としている『罰ゲーム』のこと。そのどれもが誤った流れだ。


 慧達のいる流れは、どうだろうか。彼等の流れは、美緒とは正反対だ。まっとうな生活に、家庭、友人関係、どれも美緒には無いものだ。


 赤信号で美緒は足を止めた。


 自分は、何をやっているのだろうか。


 一体、どうしたいのだろうか。


 美緒には目標や夢がない。


 刹那的に、その場その場の感情で生きている。


 それが悪いとは思えないが、しかし、このままでは、いずれおかしくなってしまう。すでに、歯車は軋み始めているのかも知れない。


 何が原因なのだろう。


 最近の美緒は、自分でも違うと分かる。


 中間テストの前と後、美緒は違っている。


 それは屹度、佐藤慧という存在が、美緒の人生に現れたから。彼の出現が、美緒の人生に意味を与えてくれたのかも知れない。


 気が付くと、信号が青になっており、点滅を始めている。


 慣れないヒールにバランスを崩しながらも、美緒は小走りに駆けた。


 早く渡らなければ。美緒は、あちら側に行きたい。慧の待つ場所へ行きたいのだ。

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