3話

 食事の後、セックスの後、圓治は必ずタバコを吸う。そして、シャワーを浴びてまた一服。


 パンティを履き、ブラジャーをつける。そこで、美緒は気が付いた。


「プレゼント?」


 綺麗に畳まれたジャケットの上に、リボンのついた小さな箱が置かれていた。


「圓治!」


 美緒は笑みを浮かべ、圓治の元へ走る。シャワールームを開け、プレゼントを掲げて見せた。


「びっくりしたかい? プレゼントだ。開けてごらん」


 汗を流しながら、圓治は笑った。


「ありがとう!」


 美緒は着替えるのも忘れ、下着姿でソファーに座った。


 早速、プレゼントを開けてみる。


「あっ……」


 トクンッ。


 心臓が一つ鳴った。


 プレゼントの中身は、先日、慧と一緒に見たあのカチューシャだった。スワロフスキーが鏤められた、カチューシャ。


「あのカチューシャだ」


 慧の笑顔が甦る。


 胸が痛くなった。


 あの時は綺麗だと思ったカチューシャが、ラブホテルのギラギラとした光り照らされると、どこか毒々しく感じる。


 圓治から貰ったプレゼントで、慧を思い出してしまう。


「…………」


 意識して、美緒は慧を思い出さないようにしていた。だが、こうしてちょっとした事で慧を思い出してしまう。


「綺麗……」


 目に眩しいスワロフスキーの輝き。それを、美緒は指先で一つ一つなぞっていく。


 今頃、慧は何をしているのだろうか。きっと、大好きな本を読んでいるのだろう。


「慧君……」


 ふと、慧の名前が口から零れた。


 それを自覚すると、カッと顔が赤くなるのが分かった。


「気に入ったかい?」


 シャワーから上がった圓治が、体を拭きながらこちらに近づいてくる。


「似合うと思ってな」


「うん、ありがとう。凄く気に入った」


「高かったぞ」


「知ってる」


「?」


 美緒は服を着替えると、貰ったばかりのカチューシャをつけてみた。


 姿鏡に映る美緒は、体を回転させ、カチューシャの具合を確認した。白い柄物のシャツに、ベージュのパンツ。キラキラと輝くカチューシャは、少し浮いていた。きっと、モノクロの服や原色系の服と合わせると、映えるかも知れない。


「…………」


 美緒はカチューシャを取ると、鞄にそっとしまった。


 欲しかったはずのカチューシャ。だが、不思議な事に、あの時慧と一緒に見た時のようなトキメキが胸にはなかった。折角に手に入ったというのに、不思議と胸には穴が開いたままだった。


「美緒、いこうか」


 ホテルの支払いを済ませた圓治が、靴を履き美緒を促す。


「うん」


 最後に、忘れ物が無いかを確認し、美緒はサンダルを引っかけた。


 ホテルから出ると、ムッとした空気が美緒を包んだ。


 シャワーを浴びたばかりだというのに、すぐに汗を掻きそうだ。


 圓治と手を繋ぎ、美緒は裏口にある小さな出口から外に出た。


 繁華街の片隅にあるホテル街。入り口は大通りに面しているが、出口はその裏手にある。ここを通る人は殆どいないため、安心して歩くことが出来た。


「よう」


 ホテルを出て数メートルも歩かないうちに、横手から声が聞こえた。


 心臓が止まりそうになる。


「鹿島美緒、久しぶりだな」


 美緒の前に現れたのは、白いカットソーにダメージジーンズを履いた青年だった。少し長い髪に、白い肌。人目を引きつける、少し切れ長の目。まるで、アイドルグループにいそうな青年だった。


 人目を引きつける外観。しかし、それ以前に、彼の雰囲気が異常だった。氷の様に冷たい雰囲気。見つめられるだけで、魂を鷲掴みにされるかのようだ。


「あなた、黛……那由多?」


 最悪だった。


 中学の時の同級生が、そこにいた。見計らったかのような、絶妙すぎるタイミングだ。


「あ……あの」


 二の句が継げなかった。


 胃袋が、石を詰め込まれたかのように重く感じる。手足の感覚がなくなり、ピリピリと痺れる。


「…………」


 那由多は何も言わない。


 ただ、黙ってこちらを見て、横にいる圓治を見る。


「あの……」


「止めておけ。お前、良くないよ。破滅の音が聞こえる」


「え?」


 耳を疑った。那由多は、何を言った?


 ふと、彼は視線を美緒の背後に送る。そして、僅かに目を細めた。


 美緒は釣られて背後を見る。那由多の視線の先には、あの『少女』が立っていた。暗い、闇に沈み込むような眼差しをこちらに送っている。


「お前、慧と付き合ってるんだって?」


「えっ?」


 美緒は驚いて圓治を見る。圓治は肩を竦め、那由多を見る。


「なんだい、君は?」


「そういうお前こそ、誰だい? 高校生と遊んで、人生を捨てる気かい?」


「…………お互い同意の上だ」


「関係ないだろう? 同意の上だろうと無かろうと。立派な犯罪だぜ?」


「ガキが……!」


 圓治は、悔しそうに唇を噛んだ。美緒を背後にやり、ズイッと一歩前へ出るが、那由多は眉一つ動かさず、圓治を見つめる。


「これは忠告じゃない、警告だ」


 那由多は圓治と、その背後に佇む美緒に告げる。


「早くその関係を清算しないと、大変なことになる」


「何を訳の分からないことを――!」


 圓治は那由多の胸ぐらを掴もうとしたが、那由多は伸ばされた手首を掴むと、それを捻り上げた。


「ウッ!」


 腕を決められた圓治は、無造作に那由多に押され、尻餅をついた。


「警告はしたぞ。それと――」


 那由多は溜息をつくと、美緒に詰め寄った。


 美緒は、体が金縛りになってしまったかのように、その場から動くことが出来なかった。


 黛那由多。中学の頃から、掴み所のない不思議な男だった。何度か話したことはあるが、そう親しい間柄でもなかった。


 那由多の口が耳元に添えられる。


 ぞくりとする感覚。性的な感覚ではなく、背筋が凍るような、恐怖に近い感覚だった。


「絶対に慧を泣かすな。分かったな?」


「那由多、あなた、なんなの? 何者なの? どうしてここに?」


「偶々、タイミングがあったからな」


「タイミング? 私をつけていたの?」


「そこまで暇人じゃない。この辺りに用事があったから、立ち寄っただけだ。お前達が来るのは、分かっていたからな」


「分かっていた? どういう事?」


「情報通の友人がいるだけだ」



 那由多! 早く! 何やっているのよ!



 その時、遠くから那由多を呼ぶ声が聞こえた。


 見ると、遠くに金髪の少女が手を振っている。確か、那由多の妹、『波呂』だ。


 フッと溜息をついた那由多の雰囲気が、突然柔和なものへと変化した。


「分かっているよ!」


 大声で応じた那由多は、最後に美緒と圓治を見た。


「警告はしたぞ。後は、お前達次第だからな」


 そう言い残すと、彼は波呂を追って走っていった。


「あのガキ、何者だ? それに、彼氏が出来たって?」


 起き上がった圓治に手を貸した美緒は、曖昧な笑みを浮かべただけだった。


 仲間内の悪ふざけで、嘘をついて慧と付き合っている。そんな事を言えば、圓治だって幻滅するはずだ。


 それに、口にしてしまうと、自分のやっている愚かなことを再確認するかのようで、嫌だった。


「時間でしょ? 帰らないと」


 那由多の登場。そして、彼の言う警告。


 予言めいた事を言っていたが、果たして本当の事なのだろうか。


 普段は、占いなど全く気にしない美緒だったが、こと、あの那由多の言葉だ。彼は明確な事は何一つ言わなかったが、やはり引っかかる。


 『破滅の音』。彼の言う破滅とは、一体何を指すのだろうか。


「気にすることはない。所詮、ガキの戯言だ。焼き餅を焼いているだけだ、どうせ」


「うん……」


 圓治に作り笑いを浮かべながら、美緒は歩き出した。


 その後、駅まで一言も話さず、美緒と圓治は別々の電車にのって帰路についた。

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