第9話 少女、攻勢!

 水魔法。

 魔力をエネルギーに近隣の水の精霊の力を借りて成す、水の性質を利用した魔法の総称。

 こちらの世界ではまだ実在が確認されていない精霊だが、こちらでも特に制限なく水魔法が使える以上、どこかにいるのだろう。


 ――そんなことは、本当はどうでもいいのだ。


 俺の水魔法の展開範囲はそれほど広くない。まして、火魔法も繊細に活用してお湯をつくるとなると、それこそ身の回り2メートル届くかどうかなのだ。


 そして、青葉若菜がシャワーを浴びている。もちろん、服を脱いで、だ。


 15歳で異世界に行ってからの二年間、様々な経験を積んできた。何人かの女の子とキスくらいはする機会もあった、俺も一応、魔帝国エルナシークでは救世主と呼ばれるほどの活躍をしてきたから、惚れてくれる女の子も何人かはいたのだ。


 しかし、すぐ後ろに15歳の全裸の女の子がいるシチュエーションは初めてだ。俺の肉体は17歳の健康な男子なのだから、ドキドキするのは仕方ない。……はずなのに、異世界での二年が日本の20年に相当すると知ってしまった以上、若菜は親子ほども歳の離れた女の子なのだ。


 いかん、ドキドキすること自体、親世代としてはいけないことのような気がする。でも、そう思うと罪悪感のせいで余計にドキドキしてしまうではないか!


「キャアッ」

 若菜の叫び声に、思わず振り向く。ガラス戸を開けると、敵の襲撃か、若菜は尻餅をついて風呂場の床に座り込んでいる。

「大丈夫か、何があった!?」


 ランタンの薄明かりの中、若菜と目が合う。


「あ、すみません、足の裏を洗ってたらすべってしまって……」

「な、それは! す、済まんっ」


 慌てて扉を閉めて、若菜に背を向ける。

 たった今、見てしまったものを無かったことにしようと、必死に記憶に働きかける。


 忘れろ、忘れろ、忘れろ!

 忘れろ、忘れろ、忘れろ!!

 忘れろ、忘れろ、忘れろ、忘れろ!!!


 いや、むしろ余計に頭の中に刻みつけられていく〜!


「翔吾さん?」

「な、何だ?」

 俺は若菜に背を向けたまま会話する。下腹部の不自然な突起を見て欲しくないからだ。


「ありがとうございました。さっぱりしました」

「ああ、それは良かった」

「身体を拭くので、もう少し待って下さい」

「じゃ、俺はあっちに行くよ」

 俺はベッドを指さし、若菜に身体の前を見られないように移動する。


「あの、見て貰っていいですよ。何かして欲しいと言われれば、何でもするつもりです。何か私にしたいなら、それもいいですよ」

「その、なんだ、そういうことは望んでいないんだ」


「貴方の同級生が日本で35歳になったからって、貴方は17歳なんです。17歳と15歳なら、社会的に大きな問題はないかと」


「そ、そういう問題じゃないんだよ」

「29歳のおばさんへの義理立てですか」

「それも違う」

「そもそも、どうしてお風呂だけ隣の部屋に行かなかったか、考えないんですか」


 そうか! 風呂だけカーミラと砂羽の部屋に行けば良かった、のか。ということは、わざわざ俺にお湯を頼んだというのは……。


 若菜がクスクス笑いだす。

「カーミラさんとランスロットさんに聞いた通り。いつもどこか冷静で、優しくて強い。なのに、女の子の前では宇宙一へなちょこだって」


 心地よい軽さの足音が近づいてくる。思いのほか強い力で腕を掴まれると、白い肌が俺の身体に押し付けられる。そして、真剣な眼差しが俺を捉え、俺の唇が若菜の唇に覆われ、力強く舌が入ってくる。


 強い衝動が吹き上げてくるのを、どうにか抑えつける。どうして俺はこうも、毎度毎度女の子に唇を奪われるのか……。


 若菜の手が下腹部の一番固くなっている場所に触れたとき、俺は意識を失った。


 ……。


 ランタンの灯りは消えており、部屋は深い闇に包まれている。俺の左側に寄り添って寝ている艶やかなものは、おそらく若菜だろう。俺は夜目が効くので、見ないようにする。


 俺は、とうとうやっちまったのか?


 その考えはすぐに否定される。

 俺はあのとき、鼻血を派手にぶっ放し、気絶したのだ。


 しかし、血液で汚れているはずの衣類は

 下着も含めてクローゼットに綺麗になってかけてあるし、俺の身体に。きっと、若菜がどうやってか清潔にしてくれたのだろう。


 そっとベッドから離れようとすると、若菜が俺の左腕をギュッと掴んで離さない。仕方なくそちらを見て、左腕に絡んだ若菜の腕を外す。


 若菜の胸が露わになってしまい、心の中でごめんと謝りながら、毛布をかけ直す。


 相手が自らやっていることとはいえ、その好意を受け止める覚悟がない以上、俺が気軽に見て良いとは思えない。


 俺はもうひとつのベッドに潜り込むと、小さくため息をつく。目を閉じると、思っていたよりすんなりと眠りに入った。



 ◆◇◆◇◆



 翌朝、目が覚めてみると、若菜は既に身支度を整えていた。全裸の俺のために、服を着るまでトイレで待っていてくれもした。


「翔吾さん、昨日は少し強引過ぎました。すみません」

「いや、こちらこそ、その……済まない」

「砂羽さんに先を越されて焦ってしまったんです。でも、追い越すことができたから落ち着きました。宇宙一へなちょこだって、あらかじめ知っていたから、傷つきもしなかったし」


 見られてたのか、砂羽とのこと。


「ああ。そうだよ。君は俺には勿体ないくらいの素敵な女性だと思うにょ」

 噛んだ。死ぬほど恥ずかしい。


「そうですね。子ども扱いはもう止めて下さい。翔吾さんのおもらし、片付けたのは私ですから! ベタベタして大変だったなぁ」

「そ、それ、周りには内緒でお願いできな……できませんか?」

「どうしよっかなー」

「お願いします!」

「魔帝国の英雄の弱み握っちゃった!」


 俺と若菜が話しながら部屋の扉を開けると、廊下には呆れ顔のカーミラが待っていた。


「ボス、私たち異世界組には今の会話も昨夜の会話も丸聞こえだったよ」


 あ、そうだった。彼らの聴力のことを忘れていた。

 途端に顔が熱くなる。

 また、へなちょこへなちょこ揶揄からかわれるに違いない。


「私たちのボスがこれじゃあ……。あのとき、童貞だけでも奪っておけば良かった」

 そう言ったカーミラがため息を終える前に、若菜が質問をぶつける。

「カーミラさんも翔吾さんのことを!?」


「ああ、あれは一時の気の迷いだから。やっぱ、女子的にはピンチを救ってくれるとクラッとくるでしょ? でも、やっぱりこんなへなちょこ嫌だから、私は若菜ちゃんを応援するよ」


「そうだったんですね。良かった……」


 なんか、俺の個人情報がダダ漏れになってる……。


「じゃあ、久良岐に頼まれてる不可視結界をササッと作っちゃうから、二人でデートっぽく散歩でもしてきなよ。皆もそれぞれゆったりやってるみたいだし」


 横須賀港周辺にも対軍事衛星の不可視結界を作って欲しいと、久良岐に頼まれている。その用事を済ませがてらの今回の休暇計画だった。


「カーミラにだけ手間をかけさせて済まない」

「いーの、いーの。祖国を救ってくれた英雄への、心ばかりの恩返しだよ」


 軍港に向かうカーミラを見送ってから、俺と若菜はどこに行こうかと話し始める。

「ところで、記念艦三笠がどうなったかわかるか」

「あっ、それ、確認してないです」


「じゃ、見に行くか」

「そうですね」


 戦艦三笠は、日露戦争の一環である日本海海戦のときの連合艦隊旗艦だ。その栄光を語り継ぐために記念艦となって、公園の海沿いに固定されていた。


「日露戦争ってさ……」

 つい、若菜相手に熱く語り出してしまう。

 日露戦争には、アジアの国家が近代になって初めて、ヨーロッパの国家に勝った戦争だという大きな意義がある。


 アジアは元々劣っているからヨーロッパには勝てない、ではなく、アジア人でも努力と工夫次第でヨーロッパ人に勝てるのだと、世界中の植民地人に勇気と希望を与えた戦いだった。


「ごめん、なんか熱くなりすぎたか?」

「いいえ。嫌いじゃないです」


 記念艦三笠に着いて見ると、海賢、砂羽、ランスロット、バアルの四人も先に着いていて、お互いに苦笑する。

 メンテナンスをする人がいないせいで幾らか老朽化が目立つものの、三笠は大きな損壊などはなく、中に入ることもできた。


「なんだか、日本の誇りが形として残っていて、嬉しいですね」

 俺には、若菜の笑顔がとても眩しく感じられた。

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