第4話 妹の誘拐

「それにしても、えげつない物が出来たなぁ」

 久良岐くらきが呆れたように言う。

「いつでも軍事衛星から丸見えじゃ、寝技が効かないからな」


 俺は山手の坂の上から、カーミラに頼んでおいた光学迷彩結界を見上げつつ、欠伸あくびを噛み殺す。内側からみる限りは、薄紫色の透明な幕にしか見えない。

 一週間に一回程度魔力を補充すれば、敵の軍事衛星からこちらを見られなくて済む。また、魔力を補充するのは、カーミラでなくても良い。


 範囲は桜木町駅辺りから磯子辺りまでと大きく取ってある。そのため、山手のアジトに格納しているSA-04Bを2機や、1機鹵獲ろかくした月光の訓練を白昼堂々と実施できる。


 今は、捕虜である劉海賢が副操縦席に、パイロット候補生が主操縦席に入って月光での訓練をしている。


 海賢が行っていた、ハーケンとケーブルを最大限利用した戦法は、汎ユ連の中でも特異な運用らしく、それを指導して貰えるのはかなりありがたい。


 ハーケンとケーブルは、通常、すぐ近くにあるビルに乗るための装備だ。しかし、海賢はそれを使って立体的な動きや、一瞬のスピードをだすために活用している。


 市街地戦用の兵器であるスチールアーミーにとっては、実に有用な戦法なのだ。


 訓練の様子を眺めながら、久良岐が言い出しにくそうに、俺の妹のことを話し始める。


「お前と砂羽さわさんって、義理の兄妹だろ。お父さんが再婚した女性の、連れ子だったよな。一緒に暮らした年数は少ないし、砂羽さんの苗字は元に戻っている。それなのに、どうしてお前は砂羽さんに拘るんだ」


「両親が死んだとき、約束したんだ。俺が砂羽を守ってやるって。そして、あいつはまだ俺を捜している。義理でもなんでも、あいつにとっては、俺だけが家族なんだ」


「そうか。家族、か。……これ、渡しておく。日本特別自治区の偽造IDカードだ。くれぐれも無茶はしないでくれよ」


「ああ、わかってる。必ず戻る」

「あと、若菜のこと、君の心配もわかるけど、連れて行ってやってくれ。足手纏いになるかもしれんが、あいつはあいつで若いなりに色々抱えているんだ」


「……敵陣に深く入り込む以上、無事に返す約束はできないぞ」

「あの子の強運を信じておくさ」


 ハーケンを活用して高速移動の訓練をしていた月光が、急に動きを止める。


「候補生が気絶したかな。あの劉って奴はすげえな」

 久良岐が半ば呆れながら言う。


「あいつだって、自分が住んでいた中華街が死の街になって、なんとも思わないわけじゃないはずなんだけどな」


 副パイロットである海賢の操縦でゆっくり戻ってくる月光を見ながら、当面は劉海賢に逃げるつもりはないことを改めて確認し、安心する。


「そうだな。どれ、次は俺が教えを受けるか」

 そう言って歩き出した久良岐の背中を追いつつ、砂羽がいるはずの川崎の埋立地方面を見やる。


 ――きっと、助け出してみせる。



 ◆◇◆◇◆



 週末の川崎駅の人混みと繁華街の様子を見る。今、日本が外国に占領され傀儡かいらい政権に支配されているとは思えない、戦争以前と同じ姿が見られた。


 しかし、街ゆく人には中国人等制服を着た連邦軍人の姿も多い。また、繁華街の看板をよく見ると、簡字体で書かれた性風俗店が多い気がする。


 俺と若菜は偽名を使い、兄妹として駅近のホテルに泊まっている。


「協力者の情報では、泉砂羽主任はこのところ、毎週末ごとに川崎駅ビルにパンケーキを食べに来るそうです」

「そうか。そこでの接触がいいな。あいつはパンケーキを好きじゃなかった」


「それ、どういうことでしょうか」

「向こうから接触を望んでいる証拠さ」

「好きじゃないパンケーキを食べるのが、メッセージということですか」

「多分な」


「あの、ひとつ質問よろしいでしょうか」


「ああ」

「泉主任と翔吾さんは、どのようなご関係なんですか」

「義理の兄妹だけど」


「それは知ってます。でも、義理ということは、その……」

 若菜の頬が赤くなる。

「その……、男女の関係ということは……」


 そんな話題で顔を赤くする若菜を子どもらしくて可愛らしいと思いつつ、俺は少し厳しい表情を作る。

「おい、俺が異世界に行ったとき、俺は十五歳、砂羽は九歳だぞ。その年齢で男女の関係はないだろう」


「そうですよね……」

 そういいつつ、若菜は少し不満そうに頬を膨らます。


「俺にとっても、あいつにとっても、たったひとりの家族なんだ」


「翔吾様、尾行者の確認を終了しました」

 バアルの声に振り向くと、片膝をついて控える盟友の姿があった。

「ありがとう。で、内訳は」

「我々の尾行者は二名、砂羽様の尾行者は五名です。いずれも、合図があれば同時に殺処分可能です」


「ご苦労。で、砂羽はパンケーキ屋に向かっているのか」

「はい。間もなくこの下を通過するかと」


 俺がカーテンを開けて窓の下を覗き込むと、確かにちょうど砂羽の姿があった。先日より少し痩せただろうか。


 砂羽はグレーのジャケットにタイトなパンツ、Yシャツは真っ白で丸襟を大きめに開いている。顔立ちは変わらず知性的で整っており、短くしている髪の毛は自然な軽いウェーブを描く。


 俺の脇に若菜も身体ごと近づき、下を覗く。かなり身体を寄せてきたため、柔らかい膨らみが俺の肘辺りに当たる。


 異世界と地球の時間の流れが同じだったら、若菜と俺は親子ほども年が離れているはずだ。

 しかし、少なくとも肉体は17歳の俺にとって、若菜の距離感が少し近すぎることがあり、戸惑ってしまう。


 すり抜けるように若菜から身体をはがし、彼女に見られないように座る。股間の状況を見られたくない。


 含み笑いを噛み殺した様子のバアルが、俺にタイミングを告げる。

「尾行者が店に入る前に殺します。その少し前に、監視カメラにダミーを映します。全員そのタイミングでいいですな?」

「ああ。頼む」

「いきます」


 俺は立ち上がり、若菜に声をかける。

 今頃、七人の男たちが毒虫に刺されて即死しているはずだ。

 定時通信で異常に気づかれるまでの短い時間に、砂羽と話す必要がある。


 俺と若菜は急ぎ足でホテルを出る。その間、バアルには少しでも敵の増援を防げるよう、あらゆる手段をとって貰う。


 バアルは昆虫型の使い魔を無数に持っており、暗殺型や戦闘型、偵察型など、用途に応じて使うことができる。


 そんな昆虫の王バアルも、異世界の人間に策で負け、留守中に祖国を失う悲劇を経験している。俺が捕虜用の監獄を落とし、死にかけのバアルを救い出してからは、家臣のように俺に尽くしてくれている。


 ホテルを出て、駅ビルと繋がったショッピングモールを目指す。途中、倒れた男を介抱する姿が見られる。倒れているのは恐らく、砂羽の尾行をしていた人間だ。


 駅を越えてショッピングモールの階段を駆け上る。最上階のパンケーキ屋に入る砂羽の姿が見える。


 階段を上り終え、パンケーキ屋の前に着いたとき、気配を察して出て来た砂羽と目が合う。後ろから追いかけて来た若菜が、肩で息をしている。


「お兄ちゃん」

「砂羽、迎えに来た」

「私の護衛の人たちは?」

「……殺した」


 砂羽の目が、強い怒りの色を表す。

「お兄ちゃんは、そんな人じゃなかった」

「そうか」

「あの人たちにだって、家族が居るんだよ」

「だろうな」


「どうして、テロリストなんかに……」

「俺たちはテロリストじゃない。日本人が日本の土地で自由を求めて戦っている。決して、中国人の土地を汚している訳ではないんだ」


「そんな理屈で、もう負けてしまった戦争を続けようなんて。何人殺せば終わるの?」

「日本が独立するまでだ」

「元々、アメリカの植民地みたいなものだったじゃない」


「そのときは、米軍基地立ち退き運動なり、政府に抗議するデモなり、誰もが自己主張をしていい世の中だった。だが、今はどうか。天皇陛下の権威を利用したプロパガンダだけが許され、それに反対する人間は刑務所に入る。とんでもない違いだ」


 そこで、バアルからの通信が入る。

〈敵が状況を理解しつつあるようです。大規模な増援を行う様子です〉

〈わかった〉


「残念だが、ここで議論をする時間はもうない。一緒に来るのか? ……来てくれ」

「劉君は? 劉海賢君はどうなってるの」

「取引をして、暫くうちで預かっている」

「わかった。そういうことなら行く」

「よし、お前は、無理矢理に連れ去られる体をとれ」


 俺はそういうと柵を乗り越えて飛び降りる。ショッピングモールの真ん中にある吹き抜けの広場に落ちる途中、堕天肢ルシフェル・ノワールを召喚する。ショッピングモール全体から無数の悲鳴が聞こえる。


 若菜に砂羽を羽交い締めさせ、その状態でルシフェル・ノワールの右手でそっと二人を掴む。


 ELクラフトという飛行機関の排気は、濃度が高いと人体に悪影響がある。ショッピングモール全体がパニックになり大勢の人間が避難しているが、この地上近くで起動させられない。


 両脚を踏みしめ、脚力だけで空に向けて飛び上がる。最高到達点でELクラフトを起動して、ルシフェル・ノワールは薄紫の翼を広げる。


 浜川崎基地にある月光数十機が出撃準備をしているのを見て、コックピットを開け、若菜と砂羽を迎え入れる。


 恐らく、交戦することになる。俺は横浜駅近くのビル街に着地して、身を潜める。


「砂羽、若菜。しっかり掴まっておけよ」

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