SkyDriver in the Rain
東洋 夏
あみかごと棺桶
ねえあなたが大事に乗ってる
おばあちゃんからもらった大事なそいつ、
あたしには
まだ乗るつもり?
×
ノイズだらけのテレビをつけると、あたしの部屋にはいつの間にか住人が増える。
小っちゃいのから大きいのまで。よちよち歩きからよぼよぼ歩きまで。穴の開いた壁、立てかけてあるだけのドア、あるいは部屋のど真ん中をぶち抜いた根っこの隙間からノックもなしに入ってくる。
「ヘイ、ちょっとどいてよみんな」
あたしは住人たちを細心の注意を払って避けながら――だって、あたしが細心の注意を払わなきゃ、みんな骨を折っちゃうからね、そして医者にかかる金は何処からも湧かないし。
キツネのイータがスプリングのぶっ壊れたソファーの上で、へらへらしながら言った。
「おはようアリス。今日も
「そりゃどうも。それ私のテレビよ」
イータは愛想笑いをはりつかせたまま、
「知ってるとも! だから見せてもらってるのさ」
「だからの位置がおかしい」
あたしが指摘すると、イータは黒い手袋をはめたみたいな手先をちょいちょいと揉み合わせた。出し入れ自在な三日月型の爪がにゅっと伸びる。イータはキツネとベンガルネコの違法なハーフで、中国籍で、不法滞在中なのだ。
耳障りな中国風英語でイータは、
「英語は苦手でねえ」
「嘘つけ。さあみんな、ちょっとスペースをちょうだい。あたし出掛けなきゃいけないの」
みんながぺちゃくちゃお喋りしながらも、まるでモーセの十戒みたいに道を開ける。
といってもあたしは横向きに通らなきゃならない。
身長二メートル五十センチ、元プロボクサーでゴリラのあたしは、この部屋の中の誰よりも体格がいいからだ。
「アリス、今日はどこへおでかけ?」
アリクイの少女が床からあたしを見上げて、インドネシアなまりの英語で言う。
「アリス、今日は歌うのかい」
天井でゆらゆらしているコウモリのおじさんが、嬉しそうに体を揺らして言う。
「アリス、あなた今日はテレビに出るの」
へし折れそうなコート掛けにへばりついたコアラの奥さんが、半分寝ながら言う。
あたしは奥さんの上の枝にかかってる特注の帽子を取り上げて、
「ラファちゃん、あたしは新しいお歌の仕事をしに行くの。ディックさん、今日は新曲を歌うわ。MVの撮影でね。ミチハラの奥様、歌番組は午後の二時から。あたしが歌うのは『Sing Like Bird』みんなオーケー?」
オーケー、アリス。
あたしの部屋に湧いて出た住人たちは声を揃えた。
「いいこと、部屋の中の物を持っていっちゃだめよ」
オーケー、アリス、だいたいね、お塩くらいはいいかしら、駄目に決まってんじゃない。
ポンコツのテレビ画面の中ではいつも驚いたような顔をしているメガネザルのアナウンサーが、戦争を報道するのと同じような調子で天気予報を平板に伝えている。
それが確かならば、今日は西暦2358年12月24日クリスマスイブ、ニューヨーク樹海群の下層気候は雨、上層は雪。
立ててるだけのドアを押し開けて押し戻すと、天気予報通り外は雨だった。全世界の気候をAIが賢く予想するようになったここ百年、天気予報は外れたことがないんだって。胸糞悪いね。
薄暗い
住み心地は最悪だけど、あたしは
「さあてお仕事に行きますか、ってね」
木の根っこにしがみついたアパートの部屋から跳び下りると、そこは大通りだ。
階段なんてつける気が起きないのさ。
根っこが動いたら落ちちまうだろ。
ああいやいや、規則性はあるんだろうよ。
沢山の天才さんが知恵を集めて出来上がったシステムだもんな。
でも、あたしみたいな学のないゴリラには全然、意味の分かんない話よ。
少しでも寒さをしのごうとボロッ切れのコートの襟を立ててみんなが歩いて行く。
機械製のアリが何匹か壁にへばりついて、艶やかな黒い外装を威嚇するように光らせる。触角を動かしながらあたしたちを眺めてた。
それを見るたびにこの手で潰してやりたくなる。アリたちの頭と胴体は、ちょうどあたしの右手と左手の手のひらに収まるサイズで、それを掴んで捻ってやったらさぞかしい楽しいだろうと思うのさ。あたしのDNAはその快楽を知ってるから。
でもあたしがヤらないのは、ひとつは違法行為でしょっ引かれるか分解されることを知っているからで、もうひとつはあのアリどもの何割かはあたしと同じ人間だからだ。
いつものタクシー乗り場についたら、いやにがらんとしてる。
くたびれたタクシー協会のポロシャツを着たジャガーのおばちゃんがやる気なさそうに誘導灯らしきものを振って、ロータリーに来る客を追い返してた。
「ちょっと、タクシーは?」
あたしが柵から身を乗り出して聞くと、ジャガーのおばちゃんは高温多湿のじっとりした目をして、
「ロータリーは封鎖だよ。東に回んな」
あたしは肩をすくめた。
「腐れ根っこが張っちまったんだよ」
タクシー乗り場は世界を支える大樹と大樹の間、円筒状にぽっかりと開いたスペースに出来る。見上げれば樹の根が蜘蛛の巣のようにからまってロータリーの上空を占拠していた。その巣に捕まったのは雑巾を煮出したような灰色の霧。
こうなっちゃもうタクシーは空を飛べない。
お金稼げないなら、ハイ解散。
根っこを伐ればいいって?
例えそんな高価なチェーンソーを持ってるやつ、根っこを登ってもアリに食われないやつがいたとしても、このごみ溜めにはいないよ。
あたしは道行く人に声を掛け、新しいタクシー乗り場を教えてもらった。
初めて行ったタクシー乗り場には、ずぶずぶでぐずぐずな景観とお似合いのへろへろな飛行車が並んでる。
ここでも灰色の霧が重苦しくロータリーまで充満していた。
ねえ、これじゃほとんど視界が利かないんじゃない。
もしかしたら追加料金とられるかも。
やれやれ。
あたしは一番先頭にいたタクシーに乗りこむ。
「ワオ」
白いオウムの顔をした運転手は冠羽を逆立てて叫んだ。
かなとこ殴ったみたいにキンキンする声。
「あなたシンデレラ・アリスでしょう。そうでしょう」
「そうよ。ヴォリューム下げないと別の車にするわ」
「ああごめんよ、ごめんよ! わざとじゃないよ!」
彼はそそくさとドアをロックし、エンジンをかけると車だまりから勢いよくタクシーを上昇させた。
なかなか小気味よい角度とスピード。赤い樹根がぼこぼこと膨れて縮むその横を、霧雨を追い散らし風になって走って行く。いつも、この景色だけは好きなんだな、あたし。
「いい感じね」
「ありがとよシンデレラ! こう見えても腕はいいのよ」
運転手の顔がひょこひょこ上下する。
「そうらしいわね。ところで行き先を言ってない」
「ソーリー、アリス。でも上に行くのは間違いないでしょ」
「確かにね」
あたしは同意した。
「駐車場はお任せするよ」
「あいあい!」
運転手が変なのは下層界では統一規格。
ヤクやってるかラリッてるか。
ちゃんと会話が通じてるのはまともなほう。少なくとも今日は五体満足で上層まで行けるはず。
こないだ乗ったやつは途中でイカレて上と下が分かんなくなったから、叩き出してあたしが運転したんだ。
こいつらの会社、どうなってんだろうね。
「きゃあ!」
運転手が唐突に叫ぶ。
あたしはその金切り声が大嫌いだから、反射的に殴り飛ばしそうになるのを何とか我慢しなきゃいけなかった。DNA的にそれは「天敵発見!」の意味だもん。
タクシーの速度が落ちた。
縦横無尽生えた根の影に落ち着いて、ほとんど止まってる。
濃霧がタクシーの窓をぺたりと撫でた。幽霊の手みたい。
「なによ」
「ちょっと見なよシンデレラ。ひどいことだよ」
「いいから早く行って」
「見なよ」
運転手が指示した方向に目を凝らすと、太めの根がまるで橋みたいに中空を横断してるのが辛うじて見て取れた。
「伐って欲しいとでも言いうわけ?」
「ちがう、ちがうよ。自然は偉大よ。でもあいつらは違う」
張り出した樹根の上に光が灯った。
すると少しだけ霧の薄い橋の中央部に、身なりの良い男女が集ってるのが見えた。
明らかに上層に住んでる金持ちども。毛並みの良い体にスーツを着込み、ファッションで宝石の散った仮面を張り付けてるようなタイプの。
体格はバラバラだった。
種族も食性もきっとバラバラだ。
やつらは黄色い四角形の装置を先頭に中心に樹根の上を歩いてる。
なんでここにいるんだろう。
上層界のやつらが下層階に用があるとしたら、働き手を一束いくらで持っていくときか、違法なブツをやり取りするとき、あるいは隠したい罪があるとき。
あたしは言う。
「そういうフェチの集まりでしょ。あのあとパンティ脱ぐの。親が決めたんじゃない相手とやりたい。猫がカエルと、犬がニワトリと、シマウマがクジラと。よくあるでしょ。ねえ、早く上へ連れてってよ。見たくない」
オウムの運転手はあたしの存在なんてすっかり忘れちゃったみたいに、冠羽をひょこひょこと上下させるだけ。
半開きになった口ばしのあいだからスースー音が漏れる。
タクシーは今や樹根の陰で静かに制止して、彼らのすることを盗み見ていた。
視界はほんの十メートル。
いつ気づかれてもおかしくない。
この物好きなお坊ちゃんお嬢ちゃんの乱交を見て喜ぶと思ってんのか。
あたしは助手席の背もたれに足をかけてもう一度言った。
「ねえちょっと」
「しいーっ」
突然、ブーンと機械の唸り声がした。
それはどうやら、金持ちどもの真ん中に据え付けられた装置の音みたいだった。
あたしは横目にそれを見てる。
装置の下の樹根がブロック状に切断された。
で、人間よりも大きな樹根の塊はすとん、と下に落ちていった。
血液じみた赤い樹液が溢れて霧を染め上げる。
金持ちどもの歓声。
「何してんの」
「ああやって、下にいるのを潰して楽しんでる。ひとに当たる、死ぬね。アリに当たる、死ぬね。タクシーに当たる、死ぬね。あとから覗きに来るよ」
「また馬鹿らしいことを」
あたしは足を下ろして言った。
「ねえ、あなたの同僚は大丈夫なの」
あたしが一応心配してみせると、運転手のオウムは冠羽をぴょいとおっ立てて、
「大丈夫。今オレが警報を出したからね。毎日なんだ」
「それなら」
良かった、と言おうとしたあたしの言葉がぶった切れたのは、別のタクシーが霧の中から急上昇してきたからだった。
タクシーはクラクションを鳴らしながら金持ちどもの集いに突っ込む。
人波が割れ、楽しそうな笑いが弾けた。
「轢かれるわよ! ラリッてんのあいつら」
運転手は答えの代わりに、ハンドルをくちばしで叩いてカツ、カツと音を刻む。
タクシーは根っこの上の金持ちを追い散らし、きゃあきゃあ言わせた――すごく楽しそうにね。
左右に分かれた群れの右のほうを轢き殺す気で追いかけて行ったタクシーのヘッドライトが、霧を射る。その時、あたしは信じられないものを見た。
逃げていくやつらの二倍も三倍も大きな何かの影が、そこにくっきり照らし出されてる。
「ああ」
運転手がくちばしで自分の羽を噛んで引き抜いた。
「やめなさいったら。それよりあれ何?」
「ああ、ああ、モンスターよ」
タクシーはクラクションを鳴らし続け、巨大な影の直前で急ブレーキをかけた。
巨大な影の拳がゆらりと持ち上がり、それから恐ろしい速さでタクシー目掛けて振り下ろされる。金属が悲鳴を上げた。フロント部分が潰れた車体は鼻先で樹根の上に逆立ちした。
「嘘でしょ」
運転手は白い頭を振った。
興奮に逆立った羽毛がふわりと抜けて車内を漂う。
タクシーが傾く――落ちる。
「助けないと」
「駄目」
樹海のどこかから機械グモが飛んできて、タクシーをかっさらった。
すんでのところでタクシーから運転手が射出される。
パラシュートが開いた。
霧の中に紛れていく。
乾いた銃声が響いた。
いつの間にか再集合した金持ちどもの集団が、けたたましく笑いながら銃を撃っている。
何に向かって撃っているんだろう。
クモか、それとも……。
気づけばもう巨大な影のモンスターは気配を消している。
「毎日なんだ」
オウムの運転手はそう言った。
「毎日なんだよアリス。ああして遊んでる。ボディーガードを連れてね。タクシー協会は何もしてくれないよ。撃たれたり車壊されたり、それでも駄目だよ」
「あたしにどうしろって?」
「あなたは見たね。歌ってほしいのよシンデレラ。やつらの耳にも届くように」
再びの上昇は気の滅入るものだった。
金持ち集団に見つからないように、静かにエンジンを吹かしてのろのろと進んでいく。
少しでもコースを外れると機械グモが制裁を加えるために跳びかかって来るかもしれないって運転手は言う。
どれだけクソみたいなものをあたしは見なきゃいけないんだろう。
あたしが歌うのはそのクソを少しだけ良いものに変えたいからだけど、でも見続けたいわけじゃないんだよ。
上層のタクシー乗り場に着くころには、とっくにお昼を過ぎていた。
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