最終章【不死身のふじみ】

他殺志願

 西島ふじみは化物である。

 どれだけ体が傷ついても死ぬことができない不死身の化物だ。

 そんな彼女に【不死身のふじみ】という名をつけたのは僕だ。騙り部として騙り継ぐために。

 そして『西島ふじみ』という名前を与え、『化物』と初めて呼んだのは彼女の両親である。生まれた子どもに『ふじみ』という名前をつけたら本当に不死身だった。

 それはなんとも……。

「皮肉な話ですよね」

 僕が思っていたことを西島が代弁する。まるで心の中を読まれたかのようだった。

「人間の夫婦の間に、どうして化物が生まれてしまったのでしょうか」

 西島は虚ろな表情でぽつりともらした。

 僕にはかけるべき言葉が見つからなかった。


 西島ふじみは変わらない。

 学園でも、家でも、いつも無表情で無口だ。

 かといって、なにを考えているかわからないわけではない。

 むしろ考えていることはわかりやすい。

 なぜなら今の彼女が考えていることはただ一つ。

 僕に殺されたいという願いだけだから。

「騙り部さん。どうか私を殺してください」

 今日もまた西島が問いかけてくる。

「うん。ちゃんと殺してあげる。約束するよ」

 僕も正直に答えてあげる。最近ではこのやりとりが日課になっている。一日一回、多いときは十回くらい、こういったやりとりをしている。家でも、学園でも、色々な場所で。ちなみに今日は学校へ向かう道中で聞かれた。誰かに聞かれてもおかしくない状況なのに、誰かに聞かれても問題ないと思っているのだろう。西島も僕も感覚がおかしくなっている。

 二年六組の教室に入ると同級生が一斉にこちらに注目する。黒板を見ると、大きなハート付きの傘の絵が描かれていた。その下には僕と西島の名前が描かれている。僕は黙って自分の席に座り、西島も同じようにする。

 もしかして、この前学園をサボって二人でいるところを誰かに見られたのか。それとも最近の僕たちの様子を見て冷やかしているのか。

 どちらでもいい。というか、どうでもいい。周りの奴らがなにか言っているが、耳に入ってこない。誰かに肩を叩かれたけれど、それも気にならない。ああ、全てがどうでもいい。

「おいお前ら! こんなことやめろよ!」

 その時、はっきりと聞こえる声で誰かが言った。その瞬間、皆がすぐに言葉を発するのをやめた。前を見ると、六組の学級委員長の新保が黒板の落書きを消している。先に『西島ふじみ』を消した後、そこに白いチョークで自分の名前を書き入れた。

「やるならこっちの方がおもしろいだろ! なあ! そう思わないか?」

 僕と新保が相合傘状態になっている。いや、意味がわからない。というか、おもしろくない。僕も、西島も、それから同級生の誰も笑わなかった。その反応に新保がキレる。

「よしわかった。お前らがその気ならこっちにも考えがある。秋功学園新聞部の情報収集能力をなめるなよ! 俺がその気になれば誰と誰が付き合っているか簡単に分かるんだぞ!」

 そこから先は新保の独壇場だった。大きなハート付きの傘の下に次々と男女の名前を書いていく。最初はクラスでも有名なカップルの名前だった。だが次第にまさかあの人とこの人が付き合っていたなんて、という組み合わせのカップルの名前が増え始めた。周りから歓声や悲鳴が上がり始め、この嫌がらせを企画した首謀者らしき生徒の顔色が青くなる。

 それから新保がその生徒の名前を片方に書き、もう片方にも名前を書こうとした時、大きな声で僕と西島に謝罪してくれた。そこには、いったい誰の名前が書かれる予定だったのだろう。

 全ての授業を終えると教室から生徒がどんどん出ていく。西島がいっしょに帰りましょうと声をかけてきたが、やることがあるから先に帰ってほしいと告げた。彼女は素直にその言葉に従って教室を出て行く。そして僕と新保だけが残った。

「今日はありがとう。さすが学級委員長だね」

 僕は朝の件のお礼を述べた。

「だろ? もっと感謝してくれてもいいぞ」

 新保はイスにふんぞり返って偉そうに対応する。

「何言ってんだよ。お前も同じ絵を描いていたことがあっただろ」

「はて、記憶にございませんなぁ」

 記憶力の良い彼が忘れるはずがない。なんて都合の良い脳だと思ったが、今回だけは見逃してやることにした。

「でも、どうして急にあんな嫌がらせをされたんだろ」

「俺を疑っているのか? 俺は情報を金で売るクズだが、友達を売るようなクズじゃないぞ?」

 別に疑っているわけではない。気になったので聞いただけだ。

 確かに新保には、もみじの木の下や雨の中で西島と僕が二人でいるところを見られている。しかし、彼が嫌がらせの材料に情報を売るはずがない。なぜなら彼は人でなしではないから。

「気づいていないかもしれないけど、最近のお前と西島は隙がありすぎる。正直危ない」

「それはどういう意味?」

「なんていうか、死に急いでいる? 地獄へ向かってチキンレースしてるみたいだな」

 そこまで見事に言い当てられると驚く気力もがれてしまう。その観察眼は記者志望を公言するだけのことはある。少し気持ちを落ち着かせてから今度は別の質問をする。

「今日は助かったけど、あそこまで暴れる必要あったのかな。なにか理由があるの?」

「そんなの決まっているだろ。時と場所を考えずにいちゃついてるお前らへのあてつけだよ」

「最低だな。見損なったぞ」

 口ではそう言っているが、全くそんな気はない。長年の付き合いの彼なら分かるはずだ。

「うるせぇ。俺だって感情に左右されて生きる一人の人間だ。少しくらい暴れたっていいだろ。まったく、俺以外にも物好きな奴がいるんだな……クソ……」

 どういう意味だろう。もしかして新保は……西島のことが好きだったのか。

「新保に一つ売ってほしい情報がある。西島とそのご両親が巻き込まれた事故のことだ」

 今度は質問ではなく依頼する。彼も先ほどの不機嫌さを消して真剣な表情で答える。

「その情報なら蒸気亭の蒸気パンセットで手を打とう」

 それくらいなら安いものだ。僕はすぐに了承する。すると新保は鞄から手帳を取り出してすらすらと事故の概要や原因、それから犠牲者の死因を説明する。彼があまりに流暢(りゅうちょう)に話すのでつい聞き入ってしまったが、すぐ我に返って尋ねる。

「ちょっと待った。どうしてすでに調べ終わってるんだよ。というか、その情報はどこから調べてきたんだ。犠牲者の名前はともかく詳しい事故原因や死因がどうしてわかるんだよ」

「西島に関する情報ならお前に売れそうだと思ったから調べておいた。詳しい事故原因や死因がわかるのは俺の実家が病院だから。だがこれ以上は俺の口から言えないな。あはは!」

 新保は大げさに笑って余裕を見せる。今、彼が話したことの全てに嘘はない。そしてこれ以上もこれ以下もない。こいつ、絶対に病院のカルテを盗み見ただろう。だが、そのおかげで知りたいことは全て知ることができた。それでも念のためもう一度確認しておく。

「本当に事故原因はトラック運転手のアクセルとブレーキの踏み違え……なんだよね?」

「それ以外に考えられないだろうな。お前、どうしてそんなに事故原因を心配しているんだ?」

 言えるわけがない。娘のことを化物と恐れていた両親による一家心中ではないかと疑っているなんて。絶対に言えるわけがない。しかし、なんと説明すればいいだろう。

「正語。悩みがあるなら聞くぞ」

 新保が真剣な表情でこちらを見ていた。

「言っておくけど、金なんて取らないからな。親友の相談を聞けないほど俺はクズじゃない」

 そうだよな。君は昔からそういう奴だった。だからこうして色々と相談できるのだ。けれど、今回ばかりはこれ以上頼れない。ありがとう新保。あとは僕一人でがんばってみるよ。

「ありがとう。愛してるよ親友」

 この場をごまかすために嘘と冗談を混ぜて言ってみる。嘘が嫌いと嘘をついていた頃にはできないが、嘘が好きだと認めた今ならできる芸当だ。それに、親友として好きなのは本当だ。だがそれを聞いた新保はひどく苦々しい顔をしている。

「あの、新保。ごめん。嘘だよ? 冗談だからね?」

「……知ってるよ。昔から正語は……嘘や冗談が下手だからな……」

 新保は大きなため息をついた後、はっきりとした口調で告げる。

「でも、そういうセリフは嘘や冗談でも言うなよ。お前にとって本当に大事な人だけに伝えろ。ほら、お前のことを信じて待っている奴がいるんだろ。早く行ってやれよ……騙り部」

 僕はもう一度感謝の言葉を述べてからすぐに教室を出て行く。

 後ろから声が聞こえた気がしたけれど、なんと言ったのか聞き取れなかった。

 先に帰っていると思っていた西島はなぜか玄関前に立っていた。彼女は僕の姿を見つけるとすぐに走って近づいてくる。そして異様に顔と体を近づけていつものお願いをしてくる。

「騙り部さん。どうか私を殺してください」

 ゾッとした。

 こんなに近くで話しているのに、どこを見て誰に話しているのかわからない。

 けれど、新保が『危ない』と評した意味が少しわかった。おそらく他の人から見れば僕も彼女と変わりないのだろう。

「もう少し……もう少しだけ待ってほしい……」

 僕はそれだけ答えると、おぼつかない足取りの西島の手を握って帰路についた。

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