行き遅れ騎士様のハッピーライフ

花林糖

行き遅れ騎士様のハッピーライフ

 同い年の友達が婚約した。

 私がそれを知ったのは、本人から送られた手紙に書かれていたからだ。


「相手は……ああ、パルマーニュ侯爵のご子息なんだ。きっと、ご両親は大喜びね」


 成人して四年で行き遅れ。

 つまり私は、あと四年以内に良い人を見つけなきゃいけない訳で……


「そうよね、このままじゃあ良くてどこかの伯爵家で嫁入りするか、男爵家……はっ! そもそも相手がいないんじゃッ!?」


 だって十五歳なのに身長低いし、胸も……

 これ──ひょっとしてマズいのではないだろうか?


「で、でも……まだまだ可能性はあるよね! そうよ、まだ成人したばっかりじゃないの。慌てる必要なんて全然ないってね!」


 そう──この時の私はとても愚かだったんだ。

 まだ『恋』の一つもしたことがなくて、兄や姉のような騎士に憧れていた私は、


「さっ! 気にせず剣の稽古してもらおう。せっかく今日は姉様が帰ってくるんだもの」


 二人と同じ道を進むため、ひたむきに努力をすることに誇りを持っていたのだ。


 ああ──どうして、こんなことに……



 ◇◆◇



 また一人。懇意にしていた友人から「結婚しました!」という手紙をもらった。


「そっか……おめでとう。そして──さようなら」


 手紙を放り投げて、私──ミューネ=マヤリーは床で膝を抱え座り込んだ。


「そっか……そっか……」


 一人、また一人と幸せが訪れる。

 質問。私、いつになったら幸せになれるでしょうか?


「見た目の問題……? 相変わらず身長は低いし、胸は──あの日を境に眠ってしまうしぃ……」


 兄は同じ子爵家の美人と先月結婚。姉は昨年に王国騎士を辞めて、なんと公爵家の跡取りと結婚した。

 そして十八歳になった私は、


「第一王女の専属護衛騎士。フフフ……出世したわね、本当に」


 地位としては、これ以上ないくらい恵まれているのにどうして? なんか、虚しい……


「あ、れ? おかしいな……なんで?」


 視界が歪んで見える。屋内にいる筈なのに、なぜか頬を伝って雨が垂れて床に落ちていく。

 ほんと……おかしいな、これ。

 王女様の専属護衛騎士なんだよ? それって、凄くすご〜く栄誉なことだよね。幸せなことだよね!


「なのになんなの、この虚しさは……心が抉られるような寂しさは……」


 これが行き遅れの危機を感じる女?

 周りばっかり幸せになって、自分だけ取り残された気持ちにさせられるという、女が何よりも恐れ慄くアレ……うそぉ……


「成人して三年……四年で行き遅れ認定されるということは、猶予はあと一年……」


 まだ一年もある。まだまだ全然、大丈夫に決まって──


「ねぇし! 現実見なさいよミューネ!」


 このままじゃ、マズいッ!

 女としての幸せを掴む前に、騎士としての役目を果たして逝ってしまうかも!?


「王女専属護衛騎士? 出世? なにそれ美味しいの?」


 ……質問。私、今って幸せですか?


「騎士としては幸せだけど、女として終わってるんですけど」


 質問。私、どうやったら本当の幸せ掴めますか?


「……婚活?」


 質問。私、相手はいますか?


「いないからこうなってんの!」


 自問自答をした所で生産性はなかった。

 兄は跡取りとして相手方から求婚されて、姉は両親の勧めでお見合い結婚。どちらも自分で選べなかった。

 だからなのだろう。次女で末っ子の私は「自分で好きな相手を見つけなさい」と、家族全員から良い笑顔で言われていた。

 どうせなら……姉様と同じように縁談話でも持って来てほしかった!


「ぅぅ……でも、ヘタすれば年が離れたおじ様の愛人コースになるんじゃ……」


 …………うん。それだけはイヤ!


 姉様はたまたま、ほぼ同世代でイケメンのカッコいい男と結婚できただけ! 私が同じような相手と結ばれるかは不透明!


「そうなるくらいなら、確かに選択権がある方がよっぽど良い……のかな?」


 どの道、爵位持ちで年がそれほど離れていない相手なんて、もうこの国にはいない。

 上は五十から、下は新生児という極端に離れた男しかいないのです……


「あうぅぅぅぅ、ああ、もう! 婚活なんてもう意味ないじゃない!」


 私史上、もっとも絶望的な状態だ。頭を抱えて悲嘆したところで、何もない。


「こんなことなら……剣以外のことにも目を向けていれば良かった……ッ」


 後悔先に立たずとはこの事か!

 私は強烈な絶望感で、目の前が真っ暗になるのを感じた。

 そんな夢も希望も、結婚もない状況を思い深く沈み込んでいると……


「入りますわよ、ミューネさん」


 ガチャ──と眼前の扉が開く。


「ちょ……どうしたのですか、ミューネ? 今にも身投げしそうですわよ!?」


 青色を基調としたドレスに身を包み、艶やかなブロンドの美しい女性が、私を心配そうに見下ろしている。


「ぁぁ……リリアーナ王女ぉ……」


 思わず情けない声を上げてしまった。

 こんな姿を、よりにもよってリリアーナ王女に見られてしまうなんて……


「私もう帰りたい……」

「なにがあったか存じ上げませんが……急に帰られてはわたくしが困ります」


 リリアーナ王女は苦笑を浮かべ、こんな私に優しく手を差し伸べる。

 慈愛に満ちた優しげな瞳を見ると、さっきまでの絶望感が嘘のように引いていく。


「恥ずかしいところをお見せしました……申し訳ございません」


 私はその手を握り立ち上がる。

 リリアーナ王女は微笑を浮かべ、私の手を引いていく。そのままベッドの縁まで誘導され、二人で腰を下ろした。


「それで……何があったのか訊いてもよろしくて?」

「そ、れは……リリアーナ王女に聞いて頂くような話では──」

「ミューネ」


 リリアーナ王女が不満そうに、咎めるような口調で名前を呼ぶ。


「今この部屋には、わたくしとあなたの二人きりなのです。これ以上は……言わずとも分かりますね?」

「っ……う、うん……ごめんなさいリリィ」

「……! そう、分かれば良いのよ」


 リリアーナ王女改めリリィは、嬉しさを押し隠すような澄まし顔を浮かべている。

 本当に分かりやすい人だ。


 リリィの護衛騎士になって約一年。

 ある時、リリィから「二人きりの時だけは友達として呼んでほしい」と、お願いされていたけど……なかなか慣れない。

 逆にリリィも私のことを呼び捨てにする。


「話してはもらえませんか? わたくしを信用出来ませんか……」

「そ、そんなことありません! むしろ、私なんかに良くして頂いて深く感謝しておりまして──ッ!」

「そう? それなら、どうぞお聞かせください」

「っ……リリィ、それちょっとズルい」

「なんのことやら〜」


 ぐぅ……相変わらず演技力がヤバい。

 ここ何度か素のリリィを見ることが増えたけど、やっぱり侮れない……。

 嬉しいとき以外はだけど。


「ど、どうしても話さなきゃだめ?」

「ウフフ……」


 なんですか、その「あなたのことは全てお見通しよ」と言わんばかりの微笑は!?

 私は観念して渋々ことの経緯を説明した。


「──そう。周りが結婚していくなかで、自分だけが置いてけぼりになっていくと」

「ま、まだ私だけとは……まだ……」


 強がってみるがなんと虚しい。

 あと四年もあるからと余裕を持って、今はあと一年で行き遅れと慌てるなんて……恥ずかしさで引きこもりたい……。


「ねぇ、ミューネ。周りに影響される気持ちはよく分かるけれど、それで慌てる必要はないと思うの」


 リリィは困ったような顔で言う。


「ねえ、あなたがわたくしの専属護衛騎士になってもう一年になるのよね」

「え……う、ん……そうだけど……」

「思えば、怒涛の三年間だったんじゃないかしら。宮廷騎士団に入団して、更なる過酷な稽古と実践……そして王女の護衛」

「…………」

「あなたのお友達が、与えられた幸運を疑いなく受け入れている間に、あなたは実力でここまでのし上がって来たのよ。きっと、他の誰よりも苦労して来た筈よね?」


 リリィの言いたいことがよく分からない。

 確かに誰よりも努力したとは思う。だからと言って、誰よりも苦労したかと問われても「そうです」とは言えない。

 私が知らないだけで、私以上に苦悩した子がいないとは限らないから。


「……あなたのことだから。私だけが特別じゃない、なんて言うのでしょうね」

「え……なんで……」


 まるで心を読まれたように──違う、きっとリリィは本当に心を読んだんだ。


「けれどね、ミューネ。あなたの苦悩はあなたにしか分からないものよ。例えあなたが、誰かとまったく同じ道を歩んだとしても、現在いまを生きたあなたにとっては、全然大したことじゃないかも知れない」

「そう……でしょうか……」

「ええ。ミューネにはミューネの道が確かにある。だから、と言う訳ではないけれど……周りを気にして慌てる必要はないと、わたくしは思うのです」

「……よく分からない。それって、結局は慌てず待てと言っているの……?」

「あなたは残り一年と慌ててるようですが、そもそも期限を設けることに意味なんてあります?」


 あっさりと否定するリリィ。

 成人して四年で行き遅れ……それだって、結局は世間が勝手にそう言っているだけ。

 そうよ……どうして勝手に決めつけるの?

 結婚すれば幸せになれるって、誰が決めたって言うの?


「リリィの言う通りだわ……みんなが結婚しちゃうから、なんだか慌ててしまったけどそうよね。なにも結婚が幸せとは限らないし、自分が幸せだと思える今を大事にすれば、それで良いのよね!」

「そうよミューネ。あなたの幸せを決めるのは世間じゃなくて、あなた自身なのよ。だから、慌てて安易な道に進む必要はないわ」


 なんだか心が軽くなった。

 今まで悩んでいたのが馬鹿みたいで、こんなことだと思ってしまえば……うん、なんだかとても恥ずかしいわ!

 でも、リリィに話して良かった。一人で悩んでたら、きっと後悔したに違いない。


「ありがとうリリィ。本当は私が助ける側なのに、いつも助けられてばかりで……」

「良いのですよ。あなたは良くやっていますわよ。そこは自信を持って……ね?」

「リリィ……改めて誓います。私の命に変えましても、貴女様をお守り致します!」

「……! え、ええ……わたくしの命は──あなたに託しますっ……!」

「ん──? は、はい……」


 なんだろう……リリィの反応が予想してたものとちょっと違ったような……。

 それどころか、なんだか頬が赤く火照っているように見えるのだけど……?


「ところで──あの、いつまで私の手をされるんですか?」

「良いではないですの。ハァ……ミューネの手、小さくてとても柔らかいですね……」

「リリィの方が女の子らしいですよぉ。私の手はマメが出来てるし……」

「それも良いではないですか。小さくて、か弱そうな女性の手なのに……どこか逞しく、力強さを感じるステキな手ですわ」

「は……はぁ……そう、かな……」


 本当になんだろう……。

 どうしてこう、リリィを相手に身の危険を感じるんだろう……っ。


「あ……それよりもリリィ。何か用事があって、私の部屋に来たのではないですか?」


 私が落ち込んでいたのを気に掛けて、話を聞いてくれたリリィだけど、わざわざ部屋を訪ねて来たという事は用事があったはず。


「あら? 用事がなくては、あなたを訪ねてはいけないのかしら?」

「そういうわけでは……」

「ふふ……少し困らせてしまったかしら。でも、そうね。今日はあなたにお話があって参りました」


 機嫌良さそうに微笑うリリィは、私の手をギュッと握り締める。その様子からそれほど重大な案件ではないと断定できる。


「王女専属護衛騎士ミューネ=マヤリー。わたくしの義妹いもうとになりませんか?」

「…………え? 今、なんて?」


 どうやら私は疲れているみたいだ。

 まさか、私をリリィの義妹いもうとにしたいなんてそんなこと──


「ですから、わたくしの義妹いもうとになって頂けませんかと……」

「聞き間違いじゃなかった──ッ!?」


 なんということ……。

 まさか……私にとって重要な案件だった!


「おおお落ち着きましょう! な、なな何が一体起こって……ッ」

「落ち着くのはあなたよ、ミューネ。ほら、深呼吸しましょう」

「ヒーヒーフゥー……ヒーヒーフゥゥ……」

「ご出産でもするおつもりですの?」

「だっ……だって、リリィがいきなり変なこと言うから……」

「変ではありませんわ! わたくしが冗談や道楽でこのようなこと言うとでも?」

「……っ」


 リリィの言は突拍子もないことだけど、こんなことを冗談で言うような人じゃない。

 だけど分からない。リリィの義妹いもうとになるということの意味が……


「ウェルム第一王子とナポリン第二王子はすでに御結婚なさってる筈です。……私がリリィの義妹いもうとになるというのなら──」

「ええ。あなたにはお父様の養子になって頂きたいのです」

「どうしてそんな話になるんですか!?」


 唐突過ぎて話が見えない!

 リリィがとち狂ったのではないかと心配になってしまう。


「ミューネ。あなたが騎士となって一年ほど経った頃に、外交のために遠出するお父様の護衛任務に就いたことがありましたわよね」

「え、ええ……あの時は魔物の大群に襲われて、危うく陛下にお怪我をさせてしまう所でした」


 実戦経験が乏しかった私は、団長の指示の下でなんとか応戦した。

 幸いなことに、危険度Dの魔物だったため死傷者ゼロで乗り切ることができた。


「もう少し反応が遅れていたらと思うと、未だに肝が冷える思いです」

「ですがあなたは、新米でありながら最も活躍していたと聞きます。団長のバートスも、あなたを褒め称えてらっしゃったそうですね」

「みんな大袈裟なんです。団長がいなければ、私はあの日、死んでいたと思います」


 半数は私と同期の騎士で構成された危険のない任務だった……その筈だった。

 あんなことになるなんて、誰一人として予測していなかった。団長の的確な指揮があったからこそ、私もなんとか立ち回れた。


「そうでしょうか? お父様やバートスの話では、新米騎士のなかですぐに動けたのはミューネだけと聞きました。魔物の群れに臆することなく挑み、最も多くの魔物を退けたそうではないですか」

「美化し過ぎです。その時はたまたま、私が多く退けたというだけで……」

「謙遜は美しいですが、過ぎれば嫌味になってしまいますよ。その日を境に、あなたを見下していた騎士たちが、あなたに一目を置くようになったのですから」


 兄や姉とは違い、騎士としての体格に恵まれなかった私は、同僚や先輩たちから常に舐められていた。

 私自身が一番気にしていることに、あの人たちは土足で踏みつけて行った。

 しかし、あの日の任務が切っ掛けとなって、私に対する評価が変わったの事実だ。


「さらにその半年後。王都で災厄とされた盗賊団『蛇の牙』の親玉を、単身で討ち取ったあなたの名は、国民の多くが知ることとなりました」


 リリィはまるで、自分のことのような誇らしい表情を浮かべて語る。

 今は亡き盗賊団『蛇の牙』は、王都の裏社会で何十年も猛威を振るった集団。早い段階でその存在は明らかになっていたが、正体については全く掴めていなかった……


「殺人に強盗、人身売買や薬物売買に違法な闇オークションの開催などなど……多くの犯罪に関与してきた組織でした」

「ですが、懸命な調査の末に彼らの本拠地を発見。大規模な討伐隊が編成され、あなたもそこに配属され見事に戦果を上げました」


 双方に多大な死傷者を出した凄惨な戦い。

 綿密な計画を立て奇襲したにも関わらず、計算外の事態が立て続けに起こり、多くの仲間を失ってしまった。

 私は仲間に守られながらも突き進み、彼らの屍を踏み越えて、さらに先──


「…………」

「……ごめんなさい。あまり思い出したくはないお話でしたね……」

「いえ……大丈夫です……」


 暗い表情で沈む私を見て、リリィはそれ以上語るのをやめてくれた。

 あの任務のことは……まだ、私の中でも消化し切れていない。もう二度と──あの悲劇を繰り返してはならない。


「……けれど。その任務から無事に帰還したあなたには、この国で最高位の勲章が授与されました。された筈でしたが……ミューネ。あなた勲章はどうしたの?」

「え? 着けていても邪魔になるので、そこの引き出しに閉まってますよ?」

「あ、あなたって人は……もう……っ」


 何故かリリィが頭を押さえて息を吐く。

 章飾は小さい癖にちょっと重い。着けていて良いことは特にないから、はっきりと言って邪魔でしかない。

 ただこう……王女様の前ではっきり言うのはマズかったかも?


「まぁ、いいわ……話を続けましょう。多くの死地を潜り抜けたあなたは、昨年より、わたくしの専属護衛騎士に任命されました」


 盗賊団討伐任務からさらに半年。

 私は王の指令でリリィの──リリアーナ王女の護衛騎士になった。


「すでに一年。あっという間に時間が過ぎてしまいましたわね」

「う、うん……まぁ……」

「この一年も色々とありましたね。外交への行き来では盗賊に襲われ、建国記念祭では花火暴発事件なんかも……」

「あの……その話の流れだと、まるで私が疫病神か何かに聞こえるのだけど……」

「気のせいじゃないかしら」


 しれっと言ってくれたが、ほんの少しだけ根に持った言い回しだった。自分でもちょっと気にしているから何も言えない……


「そして先月。わたくしが誘拐されたときも、あなたが助けてくださいました」

「あの時は本当に心配したんですからね!? 反省してください! 猛省してくださいねッ!」

「あ、あははは……もう、その件は良いではないですか」

「良くないです! あの悪徳商会のことを、私たちが事前に調べていなかったら、今頃どうなっていたことか──ッ!」

「で、ですが! わたくしが囮となったお陰で、騎士団が動けるようになったのは事実ではないですか!」

「だからって一国の王女が、あんな危険なことをしないで下さい!」

「ッ……そ、そんなことよりも! その時の功績についてです!」


 一瞬言い淀んだリリィは話を逸らす。

 声を荒げてるという、無茶苦茶な話の逸らし方で逃げ切るつもりだ!


「話を──ッ」

「今回の功績を称えて、あなたはわたくしの義妹いもうとになるのですわ!」

「は──はぁあああああ!?」


 まさか……最初の突拍子もない話って今回の功績についてだった!?

 そこは普通、勲章が授与されるか爵位を貰えるなり上げてもらえるくらいで──


「今回の件で、あなた個人に爵位をという話もありましたが……わたくしの方で、勲章含め遠慮してもらいましたの」

「えっ……遠慮って……」

「その代わりとして、ミューネを養子として迎えてわたくしの義妹いもうとに──」

「おかしいですよ!? そんな代案が通るわけないじゃないですか!」

「押し通しましたわよ。フフフ……あの人たちが押し黙った表情は……なんとも滑稽で見ものでしたわ」

「こ──ッ」


 怖いッ!

 リリィは自分の目的のためなら、躊躇いなく恐ろしいことをする。きっと陛下を含めた大貴族の弱味を根掘り葉掘りと……ッ


「ど、どうして……」

「どうして? ふふ……わたくし、前から妹が欲しかったんですの」

「だ……だからって、そんな……」

「ねえ、ミューネ……」


 リリィは陽だまりのような笑みを浮かべる。


「わたくしは何も……あなたに迷惑を掛けたいわけではないのです。ただ──この一年でミューネはわたくしにとって、なくてはならない存在となったのです。それこそ、本当の妹のように思っていますのよ……」


 我が儘をを諭すように──


「護衛騎士なんて……あまりにも危険ですもの。そんなこと──大切な妹に強制なんてさせたくはありません」

「そんな──私は別に強制されてるなんて思ってないのに……」

「あなたがそうでも、わたくしはそうではないのです! ねえ、ミューネ……わたくしと家族にはなって頂けないのですか?」

「っ……」


 リリィは──本当にズルい人だ。

 そんな悲しそうな目で……懇願するような瞳を向けられてしまっては──


「……ああもう、分かりました! 分かりましたから手をこう、むにゅむにゅってするのはやめてください──ッ!」

「っ……あ、ありがとうございます! 本当に……ッ」

「わぶっ──!?」


 感極まったリリィが抱きついてくる。

 しかも……その羨まけしからん豊満な果実をもって、私を窒息しにかかる!


「ぐ……るじぃぃ……ッ」

「ミューネ……ああ、ミューネの髪からフローラルな香りが……」


 ……こうして、私の前代未聞な出世劇の幕が閉じたのだった。

 だって──第二王女ここより上がることなんて、絶対にないのだから……



 ◇◆◇



 あれから二年。


「すごい……綺麗なところだね、リリィ」

「ええ、そうですわね」


 わたくしと──義妹いもうととなったミューネは、王国の東側に位置する自然豊かな土地を訪れていた。

 数十年前までは、今は亡き子爵家の者が土地の管理を行なっていた。領民が二万人ほどという、決して大きいわけではない土地。


 こぢんまりとした小さな屋敷。

 今日からここが、わたくしとミューネの新たな住まいとなる。


「ミューネ。そろそろ中の様子を確認しましょうか」

「あ……ごめんなさい。なんかはしゃいでしまって……」

「良いのですよ。あなたの無邪気な姿を見ると元気が出ますから」


 ミューネは恥ずかしそうに苦笑する。

 義姉妹となって二年も経つというのに、まだ遠慮が抜けていない様子だ。


「もう何年も放置されていたから、きっと埃だらけかもしれないです」

「そうですわね。あとで城へ連絡して、侍女を数人送ってもらいましょう」

「ですがリリィ……本当に良かったんですか?」

「もう……その話は何度もした筈ですわよ」


 この屋敷には今、わたくしとミューネの二人だけしかいない。侍女のひとり、護衛すら何処にもない。

 夜な夜な、わたくし達は書き置きを残して城を抜け出した。この場所で新しい生活を始めるために……


「連れ戻されませんか?」

「場所は書いておきましたから、恐らくすぐにでも訪ねてくるでしょうね」

「そう、ですよね……」

「けれど心配など無用ですわ。だって──」

「? だって……?」

「うふふ……ナイショ、ですわ」

「…………っ」


 ミューネが蒼ざめて少し震える。

 たまにこうして、恐怖を感じたような表情になるのは何故かしら……? わたくし……そんなに怖い顔をしてるのでしょうか……


「……やっぱり、埃っぽいですわね。一人くらい侍女を同行させるべきでした」


 内装は当時のままのようだ。十年も放置されたとは思えないほど綺麗。

 分かり切ったことだけど、埃やゴミが散乱していて軽く掃除をしてからじゃないと、とても寝泊りはできそうにない。


「じゃあ、すぐに掃除を始めましょう」

「あ、うん……えーと掃除用具は……」


 それから二人で掃除を始める。これまでの人生のなかで、自分の手で何かを掃除することはなかった。


「城で働く侍女たちは……いつもこんな重労働をしていたのですね……」


 なんだか申し訳なくなった。

 わたくし達はもっと、彼女たちに感謝をするべきなのでしょう。


「ですが──ようやく、ここまで来ました」


 そう、ようやくだ。

 わたくしと同じで、慣れない掃除に手間取るミューネを眺める。

 剣を奮う姿はとても精悍だというのに、今はとても幼く愛らしい。


 ああ──とっても、素敵な子。


 あなたは知らないでしょう。

 入団式であなたを一目見たときの、わたくしの気持ちが……

 あの日から──何度あなたを想ったかを、あなたは知らないでしょう?


 こんな気持ちは初めてだった。

 こんなに心踊ったのはいつ以来か。

 こんなにも共にありたいと願った相手は、後にも先にもミューネあなただけだった──


 だから──……。

 あなたが戦果を上げるたびに祝福し、あなたが出世するたびに歓喜して──あなたが、わたくしの側に来るのを待ち続けた。


 あなたは──知らない……。

 あなたに結婚願望があったと知り、わたくしは強く……強く──憎悪した……。


 あなたはわたくしのモノなのに……あなたはわたくしのモノなのに……あなたはわたくしのモノなのに……なのに、どうして──どうして他のナニかを求めるの……?


 その時のわたくしは、まだ見ぬ誰かに対して激しく嫉妬した……。

 ようやく──ようやく、わたくしのモノになったのだ……誰にも──渡さないッ!


「ミューネ」

「はい?」

「そろそろ一旦休憩しましょう」

「あ、それなら先に休んでて。私はここだけ掃いたら休みます」

「そう? じゃあ、テラスの方で待ってますね」


 だけど──もう、大丈夫……


「リリィ。紅茶入れてきましたよ」

「あら、ありがとうミューネ。あなたの紅茶はいつも美味しくて好きよ」

「も、もう……なんですか、突然」


 もう誰にも……


「ねえ、ミューネ」


 あなたに──触れさせないから……!


「ここから始めましょう。わたくし達だけの同棲生活ハッピーライフを──」

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行き遅れ騎士様のハッピーライフ 花林糖 @karintou9221

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