第二章 「なに、想像してたんですか?」
少しも
風が
はぁ……と、うつむいてため息をつくと、
「おはよう、伊吹」
「っ!」
背後から声をかけられ、ビクッと一気に背筋が
「あ、おはようございます……」
「どうした? なんか元気ないんじゃないか?」
「えっ? いえ、全然です……! 学園祭のことで、やることが増えてきたから、
元気ないなんて、そんなのはあなたのせいです。そんなふうに思うことも、
本当にバカなんじゃないの。毎週……見てるくせに。それでも、まだ好きなんて。
先生も、こんなに
少し視線を落とせば、先生の左手には、シンプルなシルバーの指輪が光っている。
「おはようございまーす、会長! 矢野先生!」
「おう、おはよう、元気だな」
タタッと走ってくる
振り向かなくても、声で分かる。知花くん……。
知花くんは矢野先生と楽しそうに雑談を始めたけど、私は
知花くん、黙っていてくれるって言ったけど、本当なのかな。
「会長?」
「えっ、な、なに……」
「おはようございます」
「おはよう……」
何も知らなければ、
「伊吹な、ちょっと疲れてるんだってさ」
「そうなんですか」
矢野先生に私の様子を説明され、知花くんは
「っわ……!?」
「
「っ!」
私は反射的に彼から離れ、耳を手で押さえる。
「会長、真っ赤ですよ。具合悪かったら保健室行ったらどうですか?」
「……平気」
「あっ、宏之! ねー、ちゃんと持ってきた? 昨日話した本」
「おはよ、
「本当!? ありがとう~っ。早く行こ!」
そこで、知花くんの女友達がやってきて、サッと手を
「あいつの周り、いつも
矢野先生は、小さくなっていく知花くんたちの背中を見ながら、苦笑いをする。
「そうですね……」
私は返事をしながら、ずっと気持ちを重たくさせていた。
それから週が変わって、また水曜日がやってきた。一週間なんて、早すぎる。
「おはようございます、会長」
知花くんは毎朝会うと、必ず自らあいさつをしてくれる。校門をくぐってすぐの所で
知花くんは、いつも通りに振る
「あいさつ返さないでため息つくとか、傷つくなー」
わざとらしく
「
「! ちょ、声が大きい……!」
「おはよう。今日も仲いいな、ふたりとも」
「おはようございます、矢野先生……」
近付いてきた矢野先生にあいさつをして、私は少しうつむいた。顔が赤くなっているのを、矢野先生よりももっと、知花くんに見られたくない。
先生は今日もいつも通り。そんないい顔を私たちに見せて、きっとまた放課後には……。
「おはよう、先生ー! あのね、昨日先生に教えてもらった問題、ちゃんとやってきたんだよ!
「はいはい。じゃあ、伊吹たち、また後でな」
女子生徒がひとり
先生は人気があって、それは昨日も今日も変わらない。先生自身も周りの
知花くん、本当に秘密にしてくれてるんだ……。
「あれっ、ヒナ、何やってんの?」
放課後、次々と帰り
「今日生徒会じゃなかったっけ。いっつもさぁ、めっちゃ早く行くじゃん」
「うん……、そうなんだけど」
「サボり? いいなぁ。うちもサボりたい」
「サボらないけど……。あと、さゆもサボっちゃだめだよ。野球部のマネージャー、ひとりしかいないんだから」
「
行かない。そんな
「遠藤~、今日の部活、ミーティングのみだってよ」
「えー! やったー! 今日は汗くさくないっ!」
ひとりの野球部員に呼ばれ、さゆはぴょんっと飛び上がって喜び、私に手を振った。
賑やかな様子にクスッと笑ってしまうけど、その姿を見送り、すぐにため息をひとつ。
私も行かないと。生徒会長なんだから。
『会長、悪い子ですね』
頭の中で聞こえた知花くんの声に、ぶんっと首を
違う。私は、〝いい子〟なんだから。
通学用のかばんに物を詰めて、立ち上がった。
生徒会室に入ると、すでに知花くんと副会長の河北くんがいて、ふたりで雑談をしている最中だった。
「おはよう……ございます」
朝でもないのに
「おはよう、会長。めずらしいな、一番乗りじゃないなんて」
「うん、ちょっと友達と話してて。今日も河北くんに負けちゃったね」
「これ、勝負だったんだ?」
ははっと
「おはようございます、会長」
「……おはよう」
その笑顔の裏で、何を考えているんだろう。
私はゴクッと息を飲み込んで、知花くんひとりだけに聞こえるように、
「知花くん、生徒会が終わったら、話があるんだけど、……いいかな?」
私から切り出されたことに
「はい」
「それでは、今回はこれで
私からのそんな言葉を皮切りに、生徒会の皆は
「会長大丈夫? いつもひとりだけ残ってるじゃん。やれることあるなら俺も手伝うよ」
「う、ううん、わざわざありがとう、河北くん。でも平気。えーと、……あ、そうそう、資料を見返したら、
心配してくれた河北くんについた急ごしらえの
そんな私の様子に、知花くんが口にこぶしを当てて笑いをこらえていた。
皆が生徒会室を出ていっても、私と知花くんはそこに残っていた。
先ほどからずっと、クスクスと笑い声がする。
「……いつまで笑ってるの?」
「失礼しました、会長」
感情を込める気がないなら、言わなくていい。
ため息をついて、自分の手を自分で
書記の席に座っていた知花くんは、ガタンと音を立てて
ビクッと自分の
「会長」
「っ……」
肩に手を
「会長、見て。後ろ」
「え……」
会長の席は、一番窓に近い場所にある。振り返ると、向かいの校舎に、ひとつ明かりが
「あれ? あの子、朝に先生に寄ってきた子じゃないですか?」
今日もカーテンの閉め方が甘い。
先生を見た
私の両手をつかみながら、組み
「ち、知花くん……」
逆光で暗く見える顔は、
力が強い。大きな手が、私の小さな手なんてすっぽり包んでしまう。
私……、私たちは、これから……──
知花くんの手が、私の制服の
「っ……!」
乱暴に胸を開かれ、プチッとブラウスのボタンが
「知花くん、待っ……、待って!」
「っ、知花くん……!」
「何ですか? 俺に話があるって言って、自分から待ってたのは会長でしょ。今さらやめてとか言っても
「だ、だから、あの……っ」
顔が胸に近づいてきて、サラサラの
「あ、ありがとう……っ!」
「は?」
と、
「何言ってんですか、セリフ
「ま、間違ってない……。知花くん本当に
「はい? まさか、俺に話があるって、それのこと?」
「そうだよ……。約束守ってくれて、ありがとう……」
ひと言を口から出すだけでも、声までも震えてしまう。
そんなことを考えてじわっと
「……」
知花くんは少しの間黙っていたけど、また私の体に顔を近づけた。
強く目を閉じると、首筋にやわらかいものが当たって、チクッとした痛みが走った。
「っ……いた……」
今されたのは、なんだろう。分からない。次に何が起こるのか、目を閉じたままの私には、予想もつかない。
ずっと体を
「……?」
いくら待ってもその先は続かなくて、
その時、知花くんはもう私から
私も体を起こして、同じように机の上に座る形になる。
「え? 知花くん……」
「なんですか」
「何もしないの……?」
「なに、想像してたんですか? やらしい」
「なっ、だって……!」
変な顔してたくせに、今ではすっかりいつも通り笑っている。
知花くんはため息をつき、私の
「俺、会長が」
「え?」
「バカすぎてびっくりしました」
「バ、バカ!?」
そんなことを言われたことがないから、つい
「本当にバカですよ、会長。人のせいでこんな目に
そんな目に遭わせているのは、正にあなたのはずですが。
「めちゃくちゃ震えてたくせに、なに我慢してんだよ」
気づかれてた……。
「会長は、なんで毎週あんなの見てるんですか」
知花くんが指をさす場所には、明かりが灯った図書準備室。
見たくない。でも、カーテンの隙間から、先生の姿が……。
私は、窓から思いっきり目をそらした。
「好きな人がヤッてんの見て、自分もひとりでしてるとか?」
「するわけないでしょ」
「え。意味分かったんだ? 何? 何をひとりでしてるんですか?」
ニヤニヤと笑いながら
「ちょっ……、だから、何もしてないってば! 知花くん、いつもそんなことばっかり考えてるの!?」
「男の子なんで」
矢野先生が、週に一度、悪さをする。それを、見る理由。そんなの……。
「期待……してるの」
好きだから。
「今日こそは、何もしないのかもって……。もう、今度こそ誠実になってくれるんじゃないかって……期待してるの」
先生のことが、好きだから。今日こそは、カーテンが閉まりませんように、って。今日こそは、
「今日も、だめだったみたいだけど……」
私は、どんな表情をしているんだろう。知花くんは、
大きな手が
次の瞬間、ふわっと
な、
「マジでバカすぎて、びっくりします」
それ、さっきも聞いたんですけど。改めて復唱されると、ただただイラッとする。
でも、その顔はバカにするような表情ではなくて、
こんな表情も、出来たんだ……。
「あーあ、やる気なくした。……でも、やっぱり会長には興味があります」
知花くんは机からおりて、制服のブレザーを
「っ!? な、なに……」
「さっきからずっと、見えてますよ」
「?」
トントンと自分の胸を指で
「!!」
ボタン!
頭からかけられたブレザーに
「会長って、ピンク好きなんですか?」
「なっ、何の話してるの!」
確かに今日はピンクだけども!
「俺は、白のレースとかの方がいいなー」
「だから、何の話を」
「リクエスト」
「うるさい! 聞かない!」
声を張り上げる私なんて軽くあしらうみたいに、知花くんは笑いながら
「じゃあ、また来週。
そう言い残し、
カーテンの向こう側は、まだ明かりがついている。目をそらして、ぶかぶかのブレザーの袖を
帰宅して、お
首筋に……虫さされ? でも、別にかゆいわけじゃないし、痛いとかでも……。
指でさわり、その
……虫だ。でっかい虫に、
あの時は頭がパニックになっていたから、堪えるだけで
この、首筋の痕の正体は、
鏡の前で、見えないように手のひらで隠しても、その下の事実は変わらない。自分の真っ赤な顔が見える。
『また来週』
また来週……。今日がキスマークなら……じゃあ、来週は?
「…………」
私は首を
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