わるいこと、ぜんぶ。
榊あおい/角川ビーンズ文庫
プロローグ & 第一章 「悪い子ですね」
打ち明けるつもりなんて、なかった。ただ、早くこの気持ちが消えますようにって、静かにその時を待っていただけ。
私は〝いい子〟だから、先生に
見ているだけで……。
「会長、悪い子ですね」
だから、お願い。
「……秘密にして」
「いいですよ。その代わり……」
毎週水曜日、放課後。君が私に
その先に、何かが始まったりなんて……。
そんなの、ありえない。
第一章 「悪い子ですね」
「おはようございます、会長」
「おはようございます」
多くの生徒が行き
全校生徒のほとんどが私の存在を知っているけど、それに反して私の名前を呼ぶ人はほとんどいない。
昨年、二年生の時に生徒会長になった私は、校内では「会長」と呼ばれていた。
校則通り、
品行方正。悪く言えば、くそ
「おはよう、伊吹。今日も
後ろからかけられた、男性の声にドキッとして、自然と背筋がシャキッと
「お、おはようございます。……
振り向いた先にいたのは、生徒会
そんな先生が、モテないなんてことはもちろんないわけで。私も、例外じゃない。
私の秘密。それは、先生に恋をしていること。
「今日は何を話し合うんだっけ?」
「今日はですね、そろそろ学園祭の話し合いを始めようと思ってます」
「そっか、もう学園祭なのか。早いな。うちの学校、春にやるもんな」
「はい。会長になってからは初めてなので、
「伊吹なら
私だけに向けられた言葉と笑顔に、胸がぎゅっと苦しくなる。だけど、気づかれてはいけない。誰にも。……本人にすら。
私は、熱くなる自分の
「おはようございます、会長、先生」
タタッと
「おはよう、知花くん」
「もー、会長、何回も言ってるじゃないですか。名字呼びやめてくださいって」
やわらかそうな茶色い髪を
制服のブレザーはボタンをとめずに全開だし、指定のネクタイもしていない。その
だけど、
「名字だと女みたいだから
「
「あ、また名字呼びですか。会長ひどい」
「ごめんね。私、男子のこと下の名前で呼んだことないから、ちょっと
「マジですか、
「年上をからかうのはやめること」
「ははっ」
そんな私たちのやり取りを見て、矢野先生は隣でくすくすと笑う。
「俺から見たら、ふたりとも可愛いけどな。いいな、若くて」
「せ、先生だって、私たちとそんなに変わらないじゃないですか……」
「ないない。俺なんかもう二十五だよ。おじさんだって」
そうやって、〝先生〟だからと、すぐに線引きをされる。分かっている。この恋には、望みなんかない。
笑いながら眼鏡をクイッと上げる先生の左手の薬指には、シルバーの指輪が太陽の光でキラッと
私は、どんな顔をしていたんだろう。知花くんが、じーっと私を見ていた。
「な、なに? 知花くん」
ハッとして、表情を取り
「いえ。俺、今日日直だから、生徒会室に行くの、少し
「そう、分かった。いない時間に話し合ったことは、後でちゃんと教えるから大丈夫だよ」
「ありがとうございます。じゃあ、先に行きますね」
知花くんはにっこりと笑い、軽く手を上げて、走りながら校舎へ向かう。
「あっ、知花くん! 今度服装検査だからね! それ、何とかしてこなきゃだめだよ!」
「会長ー、名字で呼ばないでくださいってばー!」
「こら、ごまかさないの!」
背中に呼びかけても、すぐに姿は小さくなって、校舎の中へ消えた。
「もう……」
と、
「生徒会は、皆仲いいよな。会長がしっかりしてるから、顧問としてもやりやすいよ」
「結構大変なんですよ。私、本当は、人に指示したりとか、まとめたりするのとか苦手なので……。周りが助けてくれるから、何とかやれてるだけなんです」
「伊吹の人望のおかげじゃないか? いい子だからな」
その言葉に、私は先生を見上げて
〝いい子〟……か。分かってはいるけど、子供
真面目で
「じゃあ、俺も先に行くな」
「あ、はい……」
先生は時計を見て、私に別れを告げる。背中を
放課後になり、荷物をまとめて生徒会室へ。中に入ると、副会長の
「河北くん、おはよう。早いね」
「おはよ。俺のクラス、今日ホームルームなかったからさ」
河北くんは、さすが生徒会の一員といった感じで、黒い髪の毛は全くいじっていないようだし、制服も着崩すことなく
知花くんとは
「おはようございます」
「おはようございまーす」
会計や、
「
席についた皆を
「待って会長、まだ宏之来てないけど」
「あ、知花くんは日直だそうなので、先に始めてますって言ってあります」
そう言って話を進めていると、しばらく
話し合いをしながら、私は何度も時計を気にした。今日は、水曜日。
話し合いが終わり、皆が退室しても、知花くんはまだ席について記帳を続けていた。私は、そんな彼のそばで、議会の最初に話し合っていたことを口頭で教える。
「すいません、会長。皆帰ったし、会長も帰ってもらって大丈夫ですよ。あとは、書記長が残していってくれたのを写すだけなんで」
「気にしないで。朝に約束したでしょ。いなかった時間分のことは、教えるからって」
「ありがとうございます」
ニコッと人懐こくて可愛い
ふたりで後片付けも終え、私は生徒会室の
席を立ちはしたものの、いつまで経っても出ていこうとしない私を、知花くんはドアの近くで不思議そうに振り返る。
「帰らないんですか、会長」
「えっと……、うん。ちょっとまだやらなきゃいけないことがあって……」
「えっ!? そうだったんですか!? それなら、俺のことほっといてよかったのに。今度は俺が手伝いますよ」
「ううん、平気。ひとりで
顔の前で手を
「……そうですか。じゃあ……お
「うん、お疲れ様でした」
知花くんの姿を見送り、大きく息を
向かい側の校舎。少し視線を落とせば、二階の教室が見える。この生徒会室と同じように、カーテンが閉まっている。図書準備室。
この時間になるといつも閉まっているそのカーテンは、少し隙間が開いていて、窓ぎわにいる人の姿が見えてしまう。
ひとりの女子生徒がカーテンに背を向けていて、その目の前には男性
学校の外に婚約者のいる矢野先生は、毎週水曜日、生徒会が終わってから、悪いことをするのが好きみたい。
生徒に大人気なあの人は、大人気だからこそ、その相手には困ることがない。
それを、私は毎週見ている。……見ている、だけ。
その現場を見つけたからと言って、先生も相手の生徒のことも、どうするつもりもない。
先生に告白をすれば、あそこにいるのは私なのかもしれない。でも……。
『伊吹はいい子だからな』
私、いい子なんかじゃない。先生に
「会長、まだいるんですか?」
「っ!!」
「ど、どうしたの? 知花くん、忘れ物?」
とっさに作った笑顔は、
「んー、忘れ物っていうか……」
知花くんは歯切れ悪く答えながら、こちらに近づいてきた。迷うことなく、真っ
「会長」
「な、なに……?」
ついに知花くんは私のすぐ目の前に。
胸の音が、ドキドキとうるさい。知花くんが手を
だめ……! カーテンの向こう側を見られたら……!
「ま、待って、知花くん! ここは……!」
カーテンの境目を
自分の行動が
「ふーん……。やっぱり、会長も知ってたんだ」
……やっぱり?
「知ってますよ。向こう側で、矢野先生が生徒としてること」
「ち、知花くん……?」
知花くん、どうして……。
「会長って、矢野先生のことが好きなんじゃなかったんですか?」
「ど、どうして、それ……」
「見てれば分かりますよ、
私が分かりやすいと言うのなら、もしかして矢野先生自身にも、この気持ちが……?
どうしよう。ずっと秘密にしてきたのに。これからも、秘密にしていくはずだったのに。
知花くんの目を見れない。心臓の音がうるさすぎて、
「好きな人があんなことやってんの見て楽しいですか? しかも
「秘密にして……!」
知花くんの言葉を
「お願い……。誰にも言わないで」
私は、どんな表情をしていたんだろう。きっと、絶望感に
そんな私を見て、知花くんは
「庇うんですね。そんなに好きなんだ」
好き。あんな人だと知っていても。好きだから、
早く、早く、早く。
「好き……だけど。こんな気持ち、いらないの」
私は〝いい子〟だから、先生に恋したりしない。だから。
「忘れられるなら、忘れたい。好きなんて……やめたい」
自分でコントロール出来るのなら、今すぐにでも。
「教師が学校で生徒とヤッてんのを見て、さらに秘密にしてほしいとか、やばすぎ」
「そ、そんなものすごい言い方しないで……。お願い……。何でもするから」
私は〝いい子〟だから、先生の
「会長、悪い子ですね」
手に
悪い子? 私が?
「忘れたいって言いましたよね」
「言ったよ……」
「本当に?」
「……本当」
「じゃあ……、俺が忘れさせてあげましょうか?」
先生の笑顔が
忘れさせる? 無理だよ、そんなの。
「なんで知花くんが……」
「俺、会長に興味があるんです」
にっこりと人当たりの良さそうな
「なに……、興味って……」
「俺、会長のことは
知花くんは、私が困っているのだと思って、あえて
「真面目な生徒会長のふりして、本当はどんな顔をすんのかなって。すごく興味があります」
「バカにしてるの? それなら、私」
「何でもするんじゃなかったんですか?」
「っ!」
「言っちゃおっかな。矢野先生は、毎週生徒と──」
「分かった! ……分かった……から」
わざとらしく、扉の向こう側へと大きな声を出す知花くんを、私は
「はい」と、やっぱり彼は悪びれもせず
「秘密にしますよ。約束。その代わり、毎週水曜日、生徒会が終わったあと、俺とここで会ってください」
「……それだけでいいの?」
もっと、何かすごいことを要求されると思っていたから、
知花くんは目をパチパチと
「あんなもん隠れて見てたくせに、ずいぶんピュアなんですね」
「え……」
知花くんに握られた手は彼のもとへと引き寄せられ、
「もちろん、会うだけで済ますつもりないけど」
「……っ!」
想像するのは、どうしたってあのカーテンの向こう側の
「どうします? やめる?」
からかうような表情を向けられて、私は知花くんを
「やめない……」
ぐっと
「やっぱり会長は、悪い子です」
君の前では、悪い子で構わない。
この
水曜日、放課後の生徒会室。秘密がはじまる。
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