第32話 アディラリアと双子の魔女 4
魔法使いにも体質、というものがある。
それは魔法に対する相性だったり、魔法自体を拒むものだったり、時に魅惑や、先見、過去見などという極めて異色なものだったりするのだが、アディラリアのそれは酷く厄介だった。
魔法酔い。
エルグヴィドーはそれにそんな名前を付けた。
ルヴィウスなどは面白がってアディラリアを……アートを『酩酊の魔法使い』などと呼んだ。
アディラリアは自ら魔法を唱えたり、近くで誰かの魔法が発動すると、それに酔う。
酔えば気が大きくなり、大胆になり、乱れて、そのうち過激で苛烈になる。
大笑いしながら全裸でよろよろと足をもつれさせ、激しい攻撃魔法を連発する幼いアディラリアを見た誰もが、言葉を失った。
レイサラス家の老獪な魔法使いたちは、レイサラス家に名を連ねることになったアディラリアを、どうやって御すべきか考え、二つの策を取った。
一つは、酩酊状態のアディラリアに名前をつけてしまうこと。
名前をつけるということはそれを一つの別の存在として認めたと言うことで、魔法使いの中では名が非常に意味があることであると同時に、魔法を使う上での大きな制約になることを踏まえての策だった。
もう一つは、アディラリアに封印の呪詛を刻むこと。
自分の容量を超えて発動する魔法は確実にアディラリアの命を削る。故に、大きな魔法が使えないように、アディラリアは上半身に刻まれた呪詛によって、制約をかけられた。
猫の顔の魔法使いにそう説明されても、目の前の黒髪の男が、穏やかで優しく包容力のある自分の師匠とは思えず、リィザは涙目で後退りする。低い声でリィザと呼ばれても、そばに駆けていく気には到底なれなかった。
優雅にテーブルクロスの敷かれたテーブルの上には、焼きたてのワッフルが皿に盛られていて、スクランブルエッグとサラダの乗った皿がそれぞれに配られる。
半地下の倉庫からワインを持ってきて、不思議な形のナイフでコルク栓を開けて紅茶カップに注いで飲んでいる男に、リィザは胸中で悲鳴を上げた。
その青い花模様の紅茶カップは、アディラリアのお気に入りのものである。
アディラリアの席に遠慮せずに座る少女趣味の魔法使いも、その隣りに椅子を持ってきて座る猫の顔の魔法使いも、信じられない。
仏頂面でスクランブルエッグを突くルインは、どこまでも不機嫌なオーラを纏っていて、リィザはその隣りの自分の椅子に腰掛ける気にはなれなかった。
椅子が足りないので黒髪の男は立ったまま、ワインをちびりちびりと啜っている。
「アディ……」
リィザが助けを求めるように視線をさ迷わせても、黒髪の男が不思議そうに首を傾げるだけで、あの優しい美女はどこにもいない。
「リィザ、おいで。ワッフルが冷めるよ?」
紫の目は同じなのに、黒髪の男の喉から漏れる声は非常に低かった。
「アディは?アディは、どこに行ったの?」
涙目で問いかけるリィザに、黒髪の男は苦笑する。
「ここにいるよ」
「違うわ!アディよ!アディ!」
完全に混乱しきったリィザに、リンフィスがくすくすと笑いだした。
「やっぱり、誰も信じないのよ、アートとアディが一緒なんて」
それ見たことかと嘲笑うリンフィスに、黒髪の男、アートは眉間に皺を寄せる。
望んで分かれたわけでもなく、結局のところ何が違うわけでもない。
けれども、レイサラス家の化け物たちが、アディラリアとアートの間に境界線を引いて分けてしまった。
「理解できないなら、双子とでも思っておくといい」
淡々と行ってくれるラージェの方が、恐ろしい威圧感を放つアートよりも怖くないと判断して、近寄ると、アートが不機嫌そうな顔になる。
「俺の弟子をたぶらかすな!」
「ご冗談を」
アートの物言いに不満げに両手を掲げたラージェに、アートは形のいい片眉を跳ね上げた。
「ティーとは上手くいってるのか?」
穏やかで控えめであの長身を屈めるようにしていつも誰かの後ろにいた魔法使いを思い出し、にやにやしながら問いかけたアートに、ラージェはあっさりと答える。
「僕の呪詛が解けたら、結婚の約束をしている」
ふわりと揺れた長い尻尾が、ラージェの静かな声の中にはない誇らしげな雰囲気を醸し出した。
「本当に?」
目を輝かせるアートに、ラージェは静かに頷く。
「よく、ティーが承諾したな」
椅子ごと肩を抱くようにして耳元に囁きかけるアートに、ラージェは不機嫌そうに髭を動かし、耳を震わせた。
「プロポーズしたら、五分固まって、その後で大泣きされた」
『星の舟』の最高位の魔法使いの気の弱さを思い出して、アートは苦笑する。
「僕の姿が怖いか?」
ふと視線を投げられて、リィザはじっとラージェを見た。
艶やかな漆黒の毛並みの猫。
純白の髪が僅かに人間っぽさを出しているが、その姿が奇妙なものであることには変わりない。
「僕は、かつて、死の呪いをかけられた。それを肩代わりさせたんだ、友人の猫に」
猫と同化してそれに呪いを肩代わりさせるようなことを、考えたのはサウスだった。
ラージェは後数秒遅ければ確実に死んでいたような、切羽詰ったあの状況で、他にとる手立てはなく、ティーは自分の猫をサウスに差し出した。
「本当は、サウスが受けるべき呪詛だった……」
トノイ・タージャーン・ヴィルセリス・ロクシャーナ……。
サウスをユナ・レンセと呼び、しきりに声をかけていた男は、サウスを殺そうとした。
――ユナ・レンセ王、どうしてあなたがそんな生き恥を晒さねばならないのか、分かりません。私は……私は、あなたを助け、開放して差し上げたい……。
痛烈な皮肉を込めたその言葉の意味を、その頃のラージェたちは知る由もなかった。
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