第8話 友達

 ヴィスタの手招きに力弱く笑顔を返して教室の隅の席へと腰を下ろす。

 昨夜叔父から突きつけられた言葉、『学園内にいるから気づかれないとは思うなよ、お前が何処で何をしていようとも情報は入ってくるんだからな』

 確かに叔父は私がヴィスタ達と仲良くしている事を知っていた。そしてここは由緒正しきご令嬢達が集まる学園。大切な娘に良からぬ男が近づかぬよう、目を光らせている父親もいるだろうし、心配になって屋敷の者を密かに忍ばせている貴族だっているかもしれない。


 私がもし言う事を聞かずヴィスタ達と仲良くしていれば、叔父は間違いなく昨夜私に告げた内容を実行に移すだろう。

 私の学園の休学と、妹リリアの修道院入り。

 私の休学ぐらいは受け入れるが、リリアの修道院入りだけは絶対に回避しなければならない。修道院とは私たち貴族の女性からすれば、二度と抜け出せない監獄のようなもので、外部からの接触は一切立たれ、生きているのか死んでいるのかもわからず、叔父の許可が出ない限りは私は二度とリリアと会う事すら許されない。


 これが平和な日本人としての私なら鼻で笑って見過ごしていただろうが、リネアとして16年間生きてきた知識では、実際に存在し、現実に何人ものご令嬢が収容されている事も知っている。

 例えば謀反を企てた一族がいたとしよう、当然企てた本人が極刑に処されるのだが、その子供たちにまで罪はない。昔は一族全員打ち首なんて時代もあったらしいが、現在では恐怖政治では返って国を苦しめるという事になり、男児は国外追放や島送り、女児ならば修道院送りとされている。

 女性は男性と違い、自ら望まなくても子を授かってしまう。そのうえ両親の仇だとして、男に取り入る事だって容易だろう。

 つまりそれらを監視、防止するために作られたのが修道院であり、問題を起こした娘や父親の言う事を聞かない娘などを更生させるために、一時的に修道院が使われる事も多いと聞く。

 もちろん出る事も可能だが、そこには連れてきた者の許可や書類が必要となり、第三者が声を上げたところでは取り合ってすらもらえない。

 私が女性の監獄と言った意味はこれで少しはわかったもらえただろうか。


 せめて今の状況だけでも説明できればいいのだが、会話を一切禁止されてしまっているせいで話しかける事もできない。

 ヴィスタを何処か人目のつかない場所に呼び出すか……いやダメだ、何処に叔父の目があるかもわからない。誰か別の生徒に伝えてもらうか、いや誰がどの家の人間かもわからない状況では危険が大きすぎる。

 そもそもこんな重要な事を他人経由で伝えるなんて友達失格だろう。

 ダメだ、考えれば考えるほど私の心は深い闇へと追い詰められていく。


「どうしたのリネアちゃん、こんなところに座っちゃって」

 考えに耽っていれば、いつの間にかヴィスタが私の前に立っていた。


 どうしよ、なんて言えばいい? ここに来るまで今の状況を何度もシュミレートしたじゃない。

 あの優しいヴィスタが今の私を放っておくわけがない事はわかっていた。席を突然変えたりなんかしたら心配して歩み寄ってくるのも分かっていたじゃない。

 だから何度も何度も今の状況を見据えていろんな対応を考えていたというのに、いざこの状況に陥ってしまえば、悲しさと嫌われたらどうしようという恐怖を抑えるのに必死で、言葉が何もでてこない。


 もしヴィスタにまで嫌われたら? どんな事でも相談するねと言っておきながら、私は何も言わずに距離を置こうとした。

 私が近くにいたらヴィスタにも被害が及ぶから? そんなのただの建前で、私は怖くて逃げたのだ、嫌われたら嫌だという恐怖から。


 何が前世の記憶があるから大丈夫だ、何がお屋敷のみんなは私の味方だから大丈夫だ。一度お屋敷を出たら私はただの臆病者の小娘じゃないか。


 休学、リリアの修道院入り、ヴィスタに嫌われてしまう。

 この三つがグルグル頭の中を駆け巡り、私は一言すら言葉を発せずに震えてしまう。

 ヴィスタなら話せば分かってくる? そうじゃない。もし私が逆の立場なら悲しさの余り怒っているかもしれない。私たちの友情はこんなものだったのかと。

 妹を守るため? そうじゃない。私は妹を引き合いに出して逃げているのだ。


 ねぇ、私が困っている時は助けてくれるんでしょ? 今がその時なんだから助けに来てよ。

 私は胸元に隠しているペンダントを服の上から強く握りしめる。

 分かっている、これはただの神頼みだ。ただの八つ当たりだ。

 悪いのは自分であって、彼が悪いわけでは決してない。だけど……


「ダメだよ、そんなに強く握りしめちゃったら制服にシワがいっちゃうよ」

 そう言いながらヴィスタは優しく私の力が入った手に、自分の手を重ねてくれる。


「大丈夫だから、とりあえず何となくは想像がつくから今はそっとしておくね」

 黙ってヴィスタを拒絶する私に、彼女はそっと耳元で囁くように優しい声をかけてくれる。

 たった一言だというのに、暗闇に落ちていた私の心に一条の光が差し込んだかと思うと、次の瞬間私の瞳から涙が溢れ出る。


「な、なんで……」

 なんでわかってくれたの?

「何も言わなくてもわかるよ、友達なんだから。それにリネアちゃんがそのペンダントに頼る時は本当に困ったその時だけ、大事なペンダントなんでしょ? だったらそんなに乱暴に扱っちゃダメだよ」

 私はなんて図々しい人間なんだろう、自分からこの状況を作ってしまったというのに、ペンダントに……彼にひどい事を言ったというのに、彼女がペンダントに気づいてくれたお陰で私が置かれている状況を知り、尚且つ拒絶してしまった私に暖かな声までかけてくれる。

 たったそれだけで私の心は救われ、溢れでる涙が止められない。


「もう、そんなに泣かなくても大丈夫だから」

「でも、でもでもでも」

「大丈夫だから、そのかわりちゃんとリネアちゃんの口から理由をおしえてよね。今日のお昼休みに東棟の中庭でね、約束だよ」

 そう再び私の耳元で囁くと、ヴィスタは私にハンカチを握らせてから自分の席の方へと戻っていく。

 わかってくれているんだ、私が今どのような状況で叔父から何を言われているかを。だから周りに聞こえないような小声で話しかけてくれて、私のことを気遣って離れていってくれた。

 周りの生徒に私たちがどのように映ったかは知らないが、少なくともいつも一緒にいる二人が離れ離れになっている状況は目には映っているはず。

 もし私から話しかけていれば違った捉え方をされていたかもしれないが、ヴィスタから近づいてくれて、ヴィスタから離れてくれればまた違った捉え方をしてくれるだろう。

 私はただひたすらヴィスタに感謝しながら、彼女が指定したお昼休みまで過ごすのだった。




 東棟の中庭

 午前の授業をなんとか耐えきった私は、自分のお弁当を手にしてヴィスタが指定した場所へとやってきた。

 私たちは普段は西棟の中庭で昼食を摂るのが習慣だったため、こちらの中庭へとやってきたことはほとんどない。

 それというのも西棟の中庭にはくつろげる芝生の絨毯や花々の花壇があるが、東棟の中庭には作り置きの東屋ガゼボがあるものの、その大半は草木の壁に遮られた迷路のような作り。それでも少し歩けばちらほらと生徒たちが食事をする姿も見かけるし、隠れたからといってもすぐに見つかってしまう。


 そんなところにヴィスタは場所の指定をしてきたわけだが、私は若干不安になりつつ中庭を一周。どこか人目のつかない場所を探してみるも、やはり貴族の学園にそんないい場所が見つかるわけもなく、また私より先に教室を出たはずのヴィスタの姿も見つからない。

 一瞬私は揶揄われたのかと疑惑の感情が湧き上がるが、ヴィスタがそんな事をするはずがないと、すぐさま否定して、そんな感情を押しとどめる。


 大丈夫、私はもう親友からの信頼は絶対に裏切らない。

 ヴィスタが私を信じてくれたんだから、私もヴィスタの事を信じるし、悲しませるような事は二度としない。


 私はそう何度も心の中で繰り返しながら、ヴィスタを探すために中庭の通路を歩き回る。

 するとガサガサと近くの草木の壁が揺れたかと思うと、小さな隙間からひょっこり顔だけを出したヴィスタと視線が合う。


「えっと……何してるの?」

 伯爵家のご令嬢でもあるヴィスタが、髪の毛に葉っぱをつけながら四つん這いになって顔だけをこちらに向けてくる。


「えへへ、とりあえずリネアちゃんこっちこっち」

 照れ笑いをしながら周りの様子を伺って、私を草木の壁の方へと誘導する。


 えっと、ここに入れと?

 そこは僅かながらも人が通った痕跡のみえる小さな隙間。ヴィスタのように四つん這いにならないと入れないだろうし、入るにしても多少なりとは制服が汚れてしまう。

 確かに貴族様が四つん這いになる事はないだろうし、人に見つかりたくないといってもこんな場所には隠れたりはしない。だからと言って伯爵令嬢のヴィスタがこんな事をやってもいいの?

 多少不安になりながらも、私も同じように四つん這いになりながら奥へ奥へと進んで行く。すると突然小さな空間が広がったかと思うと、頭に葉っぱをつけたままのヴィスタがシートを敷いて迎えてくれた。


「何ここ?」

「えへへ、いいでしょ?」

 髪に付いた葉っぱを私に取られながら、ヴィスタはニコニコとこの場所の事を自慢する。

 見渡せば私よりも背丈のある草木の壁に囲まれており、中からも外からも完全に切り離された小さな空間。ここへと辿り着くにもそれなりの距離があったので、近くを歩く生徒にさえ気をつければ普通に会話をする事もできるだろう。


「よくこんな場所を知っていたわね」

「実はね、この場所はお姉様に教えてもらったの」

「シンシア様に?」

 ヴィスタの話ではここはシンシア様とリーゼ様の秘密の場所なんだそうだ。

 お二人とも学園では人気者だったから、お昼休みぐらいはのんびりと過ごしたいという思いから、揃ってここへとたどり着いたのだという。


「でもいいの? そんな大切な場所を私たちが占領しちゃって」

「お姉様には言ってあるから大丈夫だよ。それにリーゼ様がいらっしゃらないんだから、あまりここへは近づきたくはないんだって」

 なんでもこの場所はリーゼ様とシンシア様の出会いの場所なんだそうだ。

 まさか歩くご令嬢の見本とも言えるお二人が、四つん這いになってこんな場所に来るのかと聞いてる私でも信じられないが、現にこんな場所がありシンシア様の妹でもあるヴィスタが言うのだから、恐らく間違えてはないのだろう。


 それにしてもお二人が四つん這いになって頭に葉っぱを付けているお姿なんて、想像できないわね。


 それはともかく。

「ごめんなさいヴィスタ」

 まず私は最初にヴィスタに向かって頭をさげる。

 二人ともシートの上に座っている状態なので、見方によっては土下座に見えない事もないのだが、この世界に土下座なんて謝罪方法はないので、単純に正座をした状態で頭を下げながら謝罪する。あっ、正座という文化もないんだけ?


「もう、リネアちゃんは律儀だなぁ。大体の状況はわかっているから大丈夫だって」

 どうやらヴィスタも今の国内状況の事は両親から聞かされているようで、薄々は私たちの関係もこうなるのではないかと思っていたらしい。

 流石にヴィスタのご両親は、叔父のように友達付き合いの制限はされなかったらしいのだが、私が置かれている状況は常にヴィスタには話していたので、ある程度の準備はしていたのだという。


「それじゃこの場所も予め想定しての事なの?」

「そうだよ。リネアちゃんの事をお姉様に相談したらここを教えてくれたの」

「じゃ、私がアージェント家の人間だという事も?」

「もちろん伝えてあるよ。リネアちゃんの置かれている状況を伝えたらお姉様はすごく心配していてね、困った事があれば訪ねていらっしゃいって」

 シンシア様はリーゼ様と大変仲がいいという事なので、今回の原因とも言えるエレオノーラ様の事を良くは思っていないはず。それなのに義理の妹である私の事を気遣ってくれるなんて想像すらしていなかった。

 もしかするとヴィスタが上手く説明してくれたのかもしれないが、それでも二人の気持ちに熱いものが込み上げてくる。


「ほらもう、また涙が溢れてきているよ」

「うんそうだね、ごめんヴィスタ」

 これで感動しなければ血が通っていないロボットか何かだろう。

 私はヴィスタの気持ちに感謝し、昨夜あった出来事を包み隠さず全てを語った。

 ヴィスタは黙って話を聞いてくれ、最後は優しく包み込んでくれる。よく頑張ったね、偉いねと言って。

 私は前世でもこれほど心が許せる友達はいなかった。成人してからは仕事だ修行だと時間を費やし、ただひらすら自分の為になるのだと言い聞かせて過ごしてきた。

 そんな私が今初めて本当の友達に出会えた、リネアになって初めて嬉しいとさえ思えたのだ。

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