第4話 ラッキー脱出

 場面は変わって、ここは神界。


 幸運の女神テュケは、焦っていた。


「勇者コータロー、あなた、どこに消えてしまったの?」


 テレビ型の下界観察デバイスに極限まで近づき、画面の中をくまなく探す。目が痛くなるので1メートル以上は離れて観なさいとしつけられたものだが、そんなことはお構いなしに、とにかく探す。


「どこ? どこ? 私はたしかに転生させました。身に余るほどのLUCKを彼に与えて、入念に整えた最高のタイミングで、魔王と同じ座標に転生させたはずです。だけど――」



 ありえないことだった。


 儀式の直前、熱殺のグレンゴン将軍に運ばれてきた生贄の少女は、達人である彼の一撃によって完全に気絶していた。

 グレンゴン将軍が広間を去り、その空間には生贄と魔王のふたりしか存在しなかった。つまり、邪魔立てするようなものはいなかったことになる。


 タイミングも、これしかないというタイミングだったはずだ。


 テュケとて、初めての勇者転生ではない。

 これまで何人もの勇者を転生させ、多くの世界を救ってきた。

 その経験によって、転生を始めてから完了するまでのタイムラグは掴んでいたし、勇者が転生を果たしたその瞬間の、まるで世界から祝福されるかのようなまばゆい光の輝きも何度も見て、知っていた。


 だが、今回はその光すら現れなかった。


「転生……失敗? 転生できずに魂ごと消滅した?」


 ううん、と首を振る。

 それこそありえない。

 私は幸運の女神であり、コータローは〝オーバーLUCK〟の勇者なのだから。


 前世における彼の並外れた不運と、それを一切自覚せず「オレはラッキーだ」と信じ続けた短すぎる生涯。

 そんな彼にLUCKを極限まで与えた転生は、幸運ラッキー幸福ハッピーがイコールではないというテュケの悩みに、何かしらの答えをもたらしてくれるものだと彼女は希望を抱いていた。

 それなのに……


「大丈夫。コータローは、きっと大丈夫……」


 何が起こっているのか見極めようと、女神テュケは再び画面を食い入るように見つめるしかなかった。


***


 場面は戻って、魔王城。

 儀式の間――


 だったはずの、跡地である。


「ごめんエミリアちゃん! もうパンツの話はしないから!」


 破壊のかぎりを尽くす金髪ツインテ巨大怪獣、いや村娘に向かって、コータローが陳謝する。

 それはそれはきれいな土下座だった。


 瓦礫の山に囲まれながらもやはり致命傷は受けていない幸運の勇者だったが、さすがに自分の発言からこれだけ被害が広がると、心からの謝罪というものがスタイルに表れていた。


 デミリアは、最初の崩落で見事に落石を食らって気を失っていた。

 今は、暴れるエミリアの左手に掴まれている。


 人質というわけではないのだろうが、巨大怪獣と巨乳美女の取り合わせにコータローは、

「なんか、大昔のハリウッド映画でこんなシーンあったような……」


「あ゛あ゛ん!?」

「ま、誠に申し訳ありません!」

 エミリアの咆哮に、再びの土下座だった。


 一方、魔王軍は、というと。


 残りのふたりが到着し、絶賛気絶中のデミリアを含めて四天王が揃っていた。


 伝説のフロストドラゴン族の唯一の生き残りである竜人、凍殺のレイドン将軍。

 神の一柱ひとはしらでありながら魔族に与する死神、黒雷のデストルド参謀。


 先に到着して事情を知っているグレンゴン将軍から話を聞いたふたりは、魔王でもある巨大エミリアを前にして、攻撃することができずに防戦一方となっていた。


 黒い影のような存在、デストルドが冷静に言う。

「魔王様が完全に呑まれるはずがありません。何か作戦を練っておられるのは間違いないでしょう。我らがすべきは、その作戦を読み取って、魔王様の望むようにサポートすること」


 千年は生きていると言われる竜人レイドンは、長い髭を揺らして険しい顔で反論する。

「その作戦はいつ読み取れるというんじゃ? わしは魔王様は、すでに意識が保てないほどに弱っていると見ておる。弱点である銀と一体化するというのは、それくらいのダメージがあることじゃろう。わしらがすべきは、あの肉体を一刻も早く再分解することじゃ」


 のう、グレンゴン?と、話を振る。

 レイドンよりは若い竜人であるグレンゴンは、同じ将軍という立場でありながらも、何かと下に見てくるこの老人をあまり好んではいなかった。

 が、

「自分も魔王様は苦しんでおられると見ている。早く、解き放って差し上げねば」

 とレイドンに同調する意見を口にした。


 これくらいのことで死ぬような魔王なら、それまでのことよ。

 グレンゴンはそう思っており、より手っ取り早く結果がわかるほうを選んだだけだった。


 三者三様の思惑が交錯するさなか――


 四天王の最後のひとり、魔運のデミリアは、


「あ……あああ……」

 エミリアに振り回されるまま、涙とよだれを交錯させていた。


 事態を動かしたのは、老将レイドンのひと言だった。


「ふん、あのドジっ子は棄権と考えてよかろう。だったらわしとグレンゴンの二票が入った時点で方針は決まりじゃ。やるぞ!」

「そうだな」


 ぶごん、ぶおんっ。

 レイドンの氷のブレスと、グレンゴンの炎のブレスが魔王に向かって放たれる。


「あたっ!?」


 それは、土下座を解いたコータローの後頭部に命中した。

 急に頭を上げたせいで、レイドンたちと魔王を結ぶ直線上にいた彼に直撃したのだ。


 コータローは頭をさすりながら振り返る。

「びっくりした~。なに今の? すんごい空気の塊が飛んできたんだけど」


「なんじゃと!? わしらのブレスが直撃して、平気なのか?」


「いや、だからびっくりはしたんだってば。ドッキリ成功でいいよ。はい大成功~」


「そういうんじゃないわい! グレンゴン、なんか変じゃ。まずはあいつから片づけたほうがいいと、わしの長年の経験が告げておる」

「そうか」

 ふたりでブレスを連発する。


「あたっ、痛い! やめろって! もうわかったから!!」

 飛び跳ねて逃げるコータローに、すべて命中した。


 氷と炎のブレスが、必ず同じタイミング、同じ場所に。


「まさか、わしらのブレスがうまいこと打ち消されとるとでもいうのか?」

「そんな馬鹿な……」


 ふたりの属性は正反対ではあったが、これまでの戦場でそんなことが起こったことは、一度たりともなかった。


 考えてもみてほしい。

 ぐつぐつの熱湯に足を突っ込みながら、液体窒素に手を突っ込むようなものだ。

 正反対の現象だが、足は足、手は手でダメージを受ける。打ち消すようなことは起こりえない。


 人体に触れるまえに、熱湯に液体窒素がぶつかって、しかもちょうどいい温度にでもならないかぎりは。


「くっくっく……」

 見ていたデストルドが笑い出した。

「さすが幸運の勇者ですね。絶対に起こりえない現象でない以上は、〝運よく〟起こってしまうということでしょうか。とてもとても興味深い。私もいろいろと実験させていただきたいところですが、おかげで、せっかちな老人の愚行を止めることができました。ありがとうございます。さて――」


「魔王様のお望みを、直接お聞きすることにしましょう」

 言いながらデストルドは両手を挙げ、黒い塊をエミリアに飛ばす。


 暴れていたエミリアは、その塊に頭を包まれて、両手をだらりと下げた。


「娘……エミリアですか?の意識を、一時的に封印しました。魔王様の魔力が微弱であっても、これなら表に出てきていただけるでしょう」


 黒い塊が消えると、エミリアの目は、魔王バージョンの黒目に変わっていた。


「……ぐっ。手短に、伝えるぞ」


 エミリアの喉を使って、魔王の声が響いてくる。


「我はこのままでは持たぬ。銀によるダメージだけでここまでとは考えがたい。おそらく女神たちが、我に行わせた儀式の手順のなかに、何かしら仕込んでいたものとみえる。小癪な連中だが、暇なだけあっておそろしく周到だ。まんまとはめられた我は、じきに消滅することであろう」


 四天王がざわつく。

 魔王の手にそのまま掴まれているデミリアも、気がついたらしく、神妙な顔で聞いている。


「だが、我が消滅すれば、この娘も死ぬことになる。一度死んで失われたこの娘の肉体は、今は我の残った魔力で繋ぎとめているようなものなのだからな」


「それは困る! バッドエンドは嫌いだ」

 コータローが身勝手なことを言う。が、内容的には勇者らしくないこともない。


「くっくく……。だから提案なのだよ。この娘を仲間とし、最高の幸運とやらで救ってみせよ。我はそれまで、娘の肉体の維持だけに魔力を使うこととしよう。では、頼んだぞ――」


「デミリアよ」


 言い終わった魔王の目は、エミリアの目に戻った。

 それと同時に巨大だったエミリアの身体も、人間の、もとのエミリアのサイズへと縮んでいく。

 魔力の節約ということなのかもしれない。


 エミリアの手に人形のように握られていたデミリアは、縮んだエミリアの横に、ドスンと尻もちをついた。

 涙とよだれの筋が顔には残っている。


 彼女は、呆けたように自分を指さし、

「わたし?」

 と、魔王の言葉を思い返しながらつぶやいていた。

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