△2ニ 落物

「どこに行くんです?」


 二条ハンナが訊いた。


「屋上は鍵がかかってるから校舎裏へ、と言いたいところだけど別にどこでもいい。彼女たちを帰した手前、ここに留まるわけにはいかないってだけ」

「あー、それって」


 二条ハンナが横目で僕を見る。


「いや! 違うよ二条さん、さっきのは黒木さんがついた嘘だからね!」

「それは残念ですネー」


 クスクスと二条ハンナが悪戯っぽく笑った。イントネーションを変えたのもわざとだろう。


「お近づきになりたいというのも本心ではありませんか?」

「いや、それはまぁ」僕は口ごもる。「仲良くなるにこしたことはないかな」

「オーケー。では二条ではなく、ハンナと呼んでください。名字で呼ばれるのはなんだかむず痒いです」

「分かったよ。その、ハンナさん」

「呼び捨てでいいのに。お堅いですネー」

「矢吹君は他人との距離感が遠いから」


 黒木さんまで参加してきた。僕は、いきなり女子を下の名前で呼び捨てるなんて断固反対の立場だ。明確な主義主張はないのだが、どうにも慣れない。


 1・2年生の教室がある新校舎側では人目に付きすぎるから、旧校舎の方へ行きましょう、と黒木さんが提案して三人で階段を降りた。旧校舎の1階には、階段とは反対方向に小さな休憩スペースがある。かつては来客や教職員用の喫煙室だったらしいが、時代の流れで取り壊され再利用されたものだ。自販機のラインナップが中庭と同じなので利用する者は少ない。とりあえず、そこを目指すことになった。


 中庭を通り過ぎる渡り廊下を歩く。その間、黒木さんとハンナさんが関係のなさそうな世間話をしていたが、僕が会話に入ることはなかった。前を歩く二人の女子を眺めながら、自分が場違いな気がして落ち着かない。


 幸い、休憩スペースには誰もいなかった。寂しそうな自販機が隅に一台、もう片隅には校長室から払い下げられたソファが二つ向き合って置かれている。


「ま、とりあえず座って話しましょう」


 黒木さんがさっさと中へ入り、自販機に百円を投入して珈琲を手にした。

 ハンナさんが同じように自販機にお金を入れる。飲み物を取り出し、次は僕の番かと思ったが、彼女が立ち止まったまま動こうとしない。自販機から顔を背けるように、他のものに意識を集中していた。


「落とし物、ですね」


 自販機の脇に置かれたゴミ箱の隣に、それはあった。


 30センチ立方程度の段ボール箱に黒い下敷が乗せられ、その上にシリンダー鍵が置かれていた。鍵に付いたリング状の金具が、紺色の四角に繋がっている。遠目からは手帳に見えたが、近付いてみるとそれは革のスマホケースだと分かった。


「誰かが拾って置いてくれたんでしょ。ほら、張り紙がある」


 黒木さんが壁を指さす。ゴミ箱の上にある<関係のないゴミは入れないこと>の張り紙の隣に、A4のルーズリーフにサインペンで書かれた張り紙があった。




 【落し物】

 お昼休みに鍵が落ちていました。放課後までに落とし主が回収しなかった場合には、責任もって職員室へ届けておきます。




「親切ですね。まぁ、これなら落とした人にそのうち届くでしょう」


 ハンナさんが言った。


「でも変じゃない? もう放課後だけど、まだここにあるってことは、スマホと鍵をセットで落としておいて、まだ落とし主は気付いてないってことだよね」

「いや、このスマホケース空だよ。中身が入ってない」


 僕は鍵を繋がったスマホケースごと拾い上げた。段ボール箱の上に乗せられていなければ見えない角度だったろう。充電ケーブルを差すべき箇所が、空洞なのが見えたのだ。


「ますます変ね。落し物にしては大きすぎる」

「鍵とスマホケースを繋げるのも珍しいと思います」


 黒木さんとハンナさんが感想を述べる。僕も同意だった。仮に鍵とスマホケースを繋げていたとしても、スマホを手元に残して、ケースだけを器用に落とすなんて起こりうるだろうか。


「考えてもしょうがないでしょう。現実的に落し物としてここにあるんだし、拾った人も最後には職員室に届けますって書いてるし」

「そうなんだけど、何か引っ掛かるというか」

「気にしすぎだって」

「うん、ごめん。分かってるんだけど」


 周囲を観察する。壁に貼られたルーズリーフは、上隅を二か所セロテープで固定されていた。セロテープは黄色く変色している。新しく張ったものではなさそうだ。隣の<関係のないゴミは入れないこと>の張り紙を見ると、下隅に何かが剥がれた跡が残っていた。ここから剥がして使ったのか。


「矢吹君ってば。ああもう、ダメだ」

「どうしたのですか?」

「長手詰め考えてる時と同じね。こうなると長いの。時間はかかるけど、必ず解いてやるぞモードに入ってる。煙詰めだって頭の中で出来ちゃうから凄いんだけど、実践だと時間かけすぎて役に立たない。そもそも詰みがあるかどうかも分からないんだから」

「詰み、ですか?」

「あ、ごめん。えっと、兎に角、必要以上に深く長考しちゃうの。矢吹君の悪癖」


 黒木さんたちの会話がノイズめいて聞こえてくる。けれど、それ以上に僕の頭の中では様々な情報が飛び交い、絡み合い、混ざり合っていた。


 旧校舎。目立たない休憩スぺ-ス。お昼休みの落し物。段ボールの上の黒い下敷き。鍵。空のスマホケース。今日出会った人たちと、その会話が僕の頭を猛スピードで駆け抜けていく。


 眼前の謎が詰将棋だとするなら、手掛かりは手駒。状況は盤面。散りばめられたその配置こそが作為だ。妥当な指し手を並べていけば、案外簡単に詰むこともある。


「分かった」

「え?」


 黒木さんとハンナさんが同時にこちらを向く。


「何が分かったの」

「この鍵とスマホケースの落とし主が誰か。それに拾い主と、本当の目的は何かってことも」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る