▲3一 親友
カルピスを半分まで飲み干して一息ついた。
「なんだか、とんだ邪魔が入っちゃったね」
「元はと言えば矢吹君が変な落し物にこだわったからでしょう」
黒木さんが容赦のない言葉を投げつけてくる。少しは感心してくれたと思ったのだけれど、それとこれとは関係ないようだ。
「そういえば、何かお話があるんでしたね」
思い出したように両手を合わせて、ハンナさんが僕の方を見た。吸い込まれるような大きな瞳が僕を捉えて離さない。
「それでは矢吹君、どうぞ」
こほんと黒木さんが咳払いをした。
それから僕を無言で見つめてくる。I組で女子テニス部の子に勧誘するつもりはないと言ったから、僕が進行しろという圧力だろう。だいぶアンフェアな叙述トリックではないか。
僕はソファの中心から腰をずらし、ハンナさんの正面に座った。
「ええと、ハンナさん」
「ドキドキしますね。一体何を仰るおつもりでしょうか?」
余裕のある笑みだ。検討ぐらいついているだろうに。
「黒木さんから、美術の授業で初めて会った時は、将棋部に入るつもりだったと聞きました。でも、その後で入るのを止めたとも。良かったら、その理由を教えてもらえないかな?」
直接の勧誘ではなかったことに面食らったのか、ハンナさんは少しだけ眉を上げた。ワンテンポ遅れて自分を取り戻し、すぐに元の表情に戻る。
「――ああ、確かに言ったかも。記憶力が良いなぁ」
ハンナさんが黒木さんを見て微笑んだ。
「でもそんなこと知ってどうするんですか。知ってるでしょう、私は色んな部活に仮入部していて、どれもしっくり来なかったから正式に入部してはいないだけです。将棋部だって、同じかもしれませんよ?」
「それは違うね。君が将棋部の話をした美術の授業は4月の第1週だった。仮入部登録の前だ。つまり、君は他の部活を見学する前から将棋部への入部を予定して、将棋部を見学せずに入部を撤回している」
仮入部して部活動を体験した後で正式に入部しないなら、ピンと来なかったという理由でも説明はつく。けれど、将棋部に関しては仮入部さえしていない。入学式の日から入部させられた僕が彼女の存在すら知らなかったのだから。
「部で会ったことはないけど、君のお兄さんが関係しているんじゃない?」
ハンナさんの表情が曇った。ここまでさっぱりとした態度で応じてきた彼女が、迷いながら慎重に言葉を探しているのが分かった。
「兄の事は……」
「『兄と一緒の部活に入りたい』と言っていたって黒木さんから聞いた。それから部活案内で将棋部の集合写真を見て確認したんだ。ほら、この人」
鞄から部活案内を取り出して広げて見せた。高槻部長の隣でポーズを取るブロンド髪の男子生徒は、目の前に座るハンナさんに目鼻立ちがよく似ていた。
「変なポーズ取っちゃって、バカみたい」
「お兄さんに何かあったの?」
黒木さんが尋ねた。
「いいえ、別に大したことはないの。怪我も病気もしてない。学校も無遅刻無欠席。ただ――」
部活案内に目を落とすハンナさんの言葉の続きを僕たちは待った。
「親友と喧嘩をしたらしいの。それから酷く落ち込んでいて、ずっと元気がない」
「親友って?」
「この人です。日本に来て最初に出来た兄の友人で、家に遊びに来た時に私も何回か遊んでもらったことがあります」
ハンナさんが集合写真の中央を指さした。王将を天高く掲げる高槻部長の胸元に、人差し指が置かれている。
「今年の春休み前に、多分将棋部で、高槻さんと兄が将棋を指して、それから兄の様子がおかしくなったんです。時期的にもぴったり合う」
「春休み前って、まだ僕らの入学前じゃないか。どうして将棋部での将棋が原因で喧嘩したって分かるの?」
「確証があるわけじゃないんですけど、兄がこれを見て溜め息をついていたから」
そう言うとハンナさんはポケットからスマホを取り出した。指紋認証でロックを外し、左手の指一本で何回かフリックして、画面を僕たちの方に向ける。
「棋譜っていうんでしょう。これ」
スマホの画面に一枚の棋譜が映っている。用紙にも見覚えがあった。将棋部で使用しているものだ。
「横歩取り、じゃないか。相居飛車だ」
数秒眺めて、僕は呟いた。
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