歩在の証明/Who said ”Show me” ?

杞戸 憂器

プロローグ 焼死体の発見

 第一発見者はそれを人魂に見紛うたと、地方紙の記者に語っている。


 五月のまだ肌寒い朝靄のなか、日課である犬の散歩に出かけた老人が道徳公園の前を通り過ぎると愛犬が妙に吠え騒いだ。今や自身と同じく年老いた相棒が突然落ち着きを失くしたのを不審に思った老人は、公園に何かあるのかと疑問に思い、コースを外れて園内の遊歩道へ入った。


 道徳公園は区内で最も大きな公園だ。職業年齢を問わず、人の出入りは多い。若者が花火をして騒いだり、ホームレス然とした男たちが将棋を指したり、昔は暴走族が集会を開いていたりもしていた。


 老人は警戒しながら周囲の様子を伺ったが、怒号などは聴こえてこない。代わりに愛犬の呻りと、風に揺られた枝葉の擦れる音がさわさわと鳴る。

 やがて風に運ばれてか、鼻腔に粘りつくような嫌な臭いがした。


 林の方向からだ。煙草や腐乱臭ではない。

 臭いの元を辿って林の方に歩を進める。

 細い煙が立ち昇っているのが見えた。

 林の中で、光が揺らめいている。

 燃えているのだ。

 人魂だろうか、と老人は恐れた。

 だが、近付くほどにそれが浮かびも動きもしていないと分かる。

 ただ燃えている。焚き火にしては横に長い。

 茂みの奥で、ぼうと静かに灯る炎が地面に横たわっていた。

 風景の中に突如として浮き出たような炎。

 周辺の草木は水気を含んでいるからか、燃え移る気配がない。

 犬が怖がって足元にまとわりついてくる。

 燃えている。


 直感的に老人はそれが人間――否、人間だったもの――だと分かった。

 息子夫婦に持たされた簡易なスマートフォンを恐る恐る取り出して、警察にかけようとしたが咄嗟に番号が出てこない。思えば、通報など老人の人生において初めての体験だった。


 焼死体の身元はすぐに判明した。

 焼け焦げた死体の傍に空の財布が落ちており、中に保険証が一枚だけ残されていた。警察は現場に到着した直後から被保険者を被害者と前提して捜査を開始し、後日の調査で一致が確認されている。

 

 被害者は茂木宗一郎。八十一歳。

 道徳公園の南方にある氷室荘という古びたアパートに住む独居老人だった。訪れた刑事が確認した範囲で家族や親類はおらず、大家によれば二十年前の入居時から保証人もいない。近所の住民も彼の部屋に誰かが出入りしているのを見た者はいなかった。借金などのトラブルに関する証言はなく、聞き込みした相手は皆一様に、被害者が焼死体となって発見された事件に驚いてはいたが、どこか他人事で、被害者との希薄な人間関係が伺い知れた。


 室内は男やもめらしく雑然としているが、生活ごみが大半でこれといって特徴はない。空欄の多い報告書に頭を悩ませた刑事が唯一記載した事項といえば、部屋の中心に四つ足の高級そうな将棋盤と駒があったことぐらいである。隣人の話によると将棋が趣味だったらしく、時折駒音が聞こえたという。


 朝一番の聞き込みで得られた証言から、殺害及び死体の損傷に至る強い動機のようなものは全く見当たらず、それどころか誰一人被害者を深く知る者はいなかった。刑事が最後に話を聞いた氷室荘の二階に住む水商売の女性から、道徳公園では何年も前から将棋の集まりがあって、被害者をそこでよく見掛けたという話を聞くことが出来た。集まりの大半は老人らしいが、詰襟の高校生やスーツの男性を見たこともあるという。とにかく被害者に関する情報を集めたい状況で、すぐに特定ができそうなのは高校生だけだった。


「どこの高校か分かりませんか?」


 質問に女性は首を振ったが、それでも刑事は満足していた。とりあえずの方針は得られた。近隣の高校へ片っ端から電話をかければいい。幸い道徳公園の最寄り駅を通るのはJRだけだ。沿線上にある高校から始めよう。

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