第35話 恐怖の精神魔法
睨み合う男たち。
一方は中年で、他方はまだ若い。
で、中年の方が若者の胸ぐらを掴み上げている。
「舐めんじゃねえぞ! ガキが!」
「殴ってみろよ。その瞬間に、あんたも後ろにいる女房子供も終わりだ。一生かけてようやく払いきれるくらいの損害賠償を請求してやるからな!」
罵声とともに、互いの瞳から放たれた殺人的な眼光が火花をあげて絡み合う。
まさに一触即発。
若者の脅しが効いているのではなく、中年男性も喧嘩慣れしていないのだ。
ぶっちゃけ、とっととボコっちゃった方が手段としては正解である。
人間、暴力には案外簡単に屈するから。
殺されると悟ったら、けっこうすぐに白旗を掲げる。
損害賠償もへったくれもない。
もちろん、警察が駆けつける前に片を付けて立ち去る、というのが大前提だが。
「はいはい。双方そこまでだ。この場は七条の当主が預かるぞ」
ぱんぱんと手を拍ちながら接近した命がどもを引き剥がす。
さして力を込めたようにも見えないのに、ふたりともぺたんと尻餅をついてしまった。
その間に、クンネチュプアイが監視していた妖から事の顛末を訊いている。
もちろん彼女は風の精霊から情報を集めることもできるが、そういう力をほいほい使ってしまうと、なんのために妖たちが監視しているのか判らなくなってしまうのだ。
「ミコト。舞妓さんに絡んでたのは若い方よ」
「おおっと。そいつは意外、でもないか」
苦笑する陰陽師。
中年男性は家族連れだ。好色心むき出しで舞妓に絡むわけがない。
すすす、と、命の横に身を寄せたクンネチュプアイが事情の確認をはじめる。
舞妓にしつこく絡みつき、嫌がるのもかまわずに写真ゃ動画を撮りまくる。それを見かねた中年男性が注意をしたところ、口汚く舞妓のことを罵りはじめたらしい。
写真に撮られるのが嫌ならそんな格好しなきゃいいだろ、とか。
観光業なんだから客を喜ばせるのが仕事だろ、とか。
典型的な、「間違っているのは他人」思考である。
最初は穏やかに注意していた中年男性も、どんどん熱くなっていった。
とくに背後に庇った妻子の悪口まではじまったら、冷静さなんて吹き飛んでしまった。
「良く判らないな。そんなことをしてお前さんになんの得がある?」
命が呆れながら若者を見る。
年の頃なら二十代の中頃だろうか。そこまで無軌道そうな雰囲気にも見えない。
「
すっと繊手をのばし、クンネチュプアイが若者の懐から隠しカメラを没収してしまう。
抵抗しようとした手を、ぺちんと叩きながら。
「動画屋?」
「投稿サイトなんかに動画をアップして、その広告収入を得ようって連中ね。中には億単位で稼いでる人もいるわ」
そういう連中は、常に面白いもの、センセーショナルなものを求めている。
事実かどうかなんてのはあんまり関係ない。
「どうせ、今撮ったやつだって、そこのおじさんが全部悪かったかのように編集するんでしょうしね」
「悪辣な……」
軽く首を振った命が中年男性に向き直り、早々の立ち去るよう促す。
あとはこちらで処理するので、と。
わけのわからない動画屋とやらにつきあって、せっかくの京都旅行を台無しにする必要はあるまい。
頭を下げ、家族を連れて去っていこうとする男に、舞妓さんが歩み寄った。
丁寧に礼を述べている。
照れる中年男性を、妻と娘が誇らしげに見つめていた。
さて、そちらは美談で終わらせて良いが、もう一方はそういうわけにいかない。
「なんのためにこんな事をしたのか、語ってもらわないとね」
躊躇なくデータを消したデジタルカメラを若者に投げ返しながら、クンネチュプアイか小首をかしげてみせた。
そもそも作為的すぎるのである。
わざとらしく舞妓に嫌がらせをして注意され、ケンカに発展するとか。
「知ってたんでしょ。マナー違反を監視する
路地裏に押し込めての尋問だ。
喫茶店とかに連れて行っても良いのだが、こんなやつにコーヒー一杯でもおごりたくないというのが、クンネチュプアイの主張である。
おおむね同意見だったので、命も「だったら俺が出す」とはいわなかった。
「…………」
若者は応えない。
ただじっとクンネチュプアイを睨みつけている。
反省しているようにも後悔しているようにも見えない。
どうやってこの場を切り抜けようか、それを模索している感じだ。
「判らないのは見つめる
肩をすくめてみせるエルフ。
遅かれ早かれ、視線の正体を探ろうとするものが出るだろうとは予測済みだ。
だからこそ市役所との連携を急いでいるという側面もある。
実際に人間が動き出せば、そこに妖が混じっていたとしても気付かれるものではない。
現状の、実働部隊は人外だけって状態が最も危険なのだ。
「…………」
「うーん。なんにも喋らない。どうする? 殺しちゃう?」
諦めたように命を見るクンネチュプアイである。台詞の不穏当さが半端ない。
「殺すほどの価値があるとも思えないぞ。小者もいいところじゃないか。こんなの」
応える命も酷薄そのものだ。
殺すというのは、生きていられると厄介だから。敵としても味方しても中立としても。
目の前の若者がそれほど大きな存在とはまったく思えない。
味方としては頼むに足りないし、敵としては恐れるに足りないだろう。
ぶっちゃけ、ほっといても大過ないのである。
「そうね。じゃあもういって良いわよ」
道を空けてやる。
「
憎々しげに言って青年が立ちあがった。
どうやら命とクンネチュプアイのことは、反社会的勢力の人間だと思ったのだろう。
まったくの筋違いだが、わざわざ訂正してやる必要もない。
「おまえら。社会的に殺してやるからな」
睨め付ける。
元気なことだ。
「頑張ってね。
にこりとクンネチュプアイが笑い、若者の顔が引きつった。
名乗ってなどいない。
身分証明書を奪われたわけでもない。
なのにこの女は、自分の名前を知っている。
「名前だけじゃないわよ。住所も知ってるしご両親や親族関係の情報も全部知ってる。君自身は会社勤めじゃないから、学生時代の交友関係や恥ずかしい過去とかが
にやにやと笑う。
みるみる若者の顔が青ざめてゆく。
「頑張って私たちを殺してみて。私も頑張って君を殺すから。社会的になんてけちなこといわないわ。親戚縁者がよってたかって君を嬲り殺しにするよう頑張って情報を操作するからね」
満面の笑みだ。
一片の曇りもなく、悪意もなく。
「さあ勝負よ。田中くん」
言い置いて去ってゆく命とクンネチュプアイ。
顔面蒼白のまま携帯端末を取り出した若者は、自分との家族、親類にいたるまで、個人情報が次々とSNSにアップされてゆくのを目撃した。
とんでもないモンスターアカウントによって。
もう止められない。
がっくりと膝をつく。
「終わった……」
何もかも暴かれる。
親も兄妹も、働く場所ゃ住む場所すら逐われるだろう。
それだけでなく親戚たちも。
生活すべてを奪われ、恨みは自分に向けられる。
「あは……あははははは……」
がっくりと膝をつき、地面においた携帯端末に向かって虚ろな笑いを浮かべる。
何も映してはいない端末に。
「あれはなんなんだ? いったい」
肩越しに振り返り、命が訊ねた。
「精神の精霊に働きかけたのよ。彼は今、彼自身の考える最も怖ろしい状況の中にいるわ」
明日になれば、どうして京都に来たのかまで含めて、きれいさっぱり忘却の彼方だろう。
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