第25話 またエルフのトリビアだよ
翌日のことである。
いまだ茨木童子は目を醒まさないらしいが、すっかり妖力は安定しており、危機的な状況は脱したらしい。
まず一安心といったところだ。
「むしろアイは大丈夫なのか? もう」
朝食を取っているエルフに、酒呑童子からもたらされた情報を伝えながら命が気遣う。
昨日の今日である。
肉体的には秘薬で全快しているだろうが、精神の方はそういうわけにはいかない。
鬼に拉致され、性的暴行まで受けているのだ。
こんなんでもクンネチュプアイは女なのだから、ダメージはいかばかりか。
「おい小僧。こんなんでもってのがどういう意味か、責任のある回答をしてもらおうじゃないか」
「不見識な発言を心よりお詫び致します」
土下座しそうな勢いで頭を下げる陰陽師。
朝からなにやってんだって話である。
「よろしい。まあ、ダメージがないわけじゃないけど、そこまで気にはしてないわよ」
「……つよいな。アイは」
「六千年近く生きてるわけだからね。乙女みたいなことは言わないわよ。処占の人々には申し訳ないけど」
「処占? なんだそれ?」
どうせろくなことじゃないんだろうな、と、思いながら命が訊ねる。
なにしろこのエルフが披露する
賭けても良いくらいだ。
「処女占有とか、処女独占とかいわれるものよ。ライトノベル読者の男性にありがちな心理とされているわ」
「なんてこった。役に立たないどころか意味すら判らなかった」
「女性経験や恋愛経験のない男性が、コンプレックスから相手に処女性を求めるの。そして、主人公に感情移入してるから、ヒロインが主人公以外の男性を知っていたりするとしゅんってなっちゃうの」
「うわぁ……本気で無駄な知識、ありがとうございます」
生涯使うことのなさそうな知識だった。
そもそも彼は女性に過去に関して清教徒的な真面目さは要求しないし、それを要求する男性の気持ちも判らない。
さすがに、自分と付き合っているときくらいは浮気はしないでね、とは思うけど。
にやりとクンネチュプアイが笑う。
「その言い回しだと、ミコトは童貞じゃないわね」
「朝飯の席で訊くことかよ? それ。ていうかもちろん経験済みだけどさ」
やれやれと肩をすくめた。
陰陽の大家、七条家の当主だ。
当主になる前は、当たり前のように次期当主だったので、言い寄ってくる女性はいくらでもいたのである。
上手く立ち回れば、当主の妻の座をゲットできるから。
だから、命としては高校時代からけっこう美味しい思いはしている。
「でも、じつはうちが貧乏だって知られると、簡単に去っていっちゃうんだよな。大好きよなんて言ってたくせに」
せちがらい世の中だと付け加えたりして。
「ま、女は現実的だからね。いつの時代も」
クンネチュプアイもまた、同様のポーズをした。
高校生くらいまでは、わりと不真面目というか、遊んでいたり悪い友達がいたりするような男がモテる。
昔の言い方だと、不良とか無頼とか、そんな感じの男性だ。
ところが、社会人になると女性の好みはがらっと変わる。
男性の魅力を示すバロメーターは、不良っぽさや不真面目さではなくなり、生活力や経済力になってゆくのだ。
それでも、顔が良いというのはアドバンテージではあるが。
「顔が良くて貧乏なミコトより、太った中年だけどお金持ちエモンの方がモテるようになるのよね」
「つらい。タヌキに負けた自分がつらい。せめて性格とかも評価基準にいれてくれよ」
「性格で比較したらイーブンでしょ。どっちも頼り甲斐があって優しい良い男なんだから」
「ぐ……」
唐突に褒められ、命が言葉に詰まった。
頬が上気するのを自覚する。
「ありがとね。ミコト。助けにきてくれて」
「…………」
もうね。なんかね。こういうところが卑怯だと思うんだ。
さて、命とクンネチュプアイはふたたび連れだって出かけていた。
昨日、市長との談合は成立したが、もちろんそれだけですべてが解決するわけではない。
市長が案件を議会に持ち込むだけでも、まず数日は必要だろう。
そこで可決されて、担当部局が決まって、担当者が決まって、ボランティアを募って、手順を定めて、と、ざっと考えただけでこのくらいの行程をクリアしないと実務が始まらない。
民主主義なので、とにかく手続きに時間がかかるのだ。
「仕方がないことだけど、迂遠だな」
「しゃーないわよ。これを嫌がったら専制政治に逆戻りだもの」
「ゆーて、今の日本人がどんだけ政治に関心を持ってるか、かなり微妙だけどな」
「興味を持たせないようにするってのが、支配術のひとつね」
くすりとエルフが微笑する。
国民みんなが政治に興味を持って、積極的に政治参加するようになったら、いまの権力者の権力基盤なんてわりと簡単に崩れてしまう。
みんな、とまで大きな話にしなくても、いわゆる若者の大多数が選挙に行くようになっただけでも勢力図は描き変わる。
政策も、今現在の老人福祉中心のものから、若者への支援がメインになってゆくだろう。
「んん? 若者が投票しないから、老人対策をするってことか?」
命が首をかしげた。
まったく問題が違うことの気がする。
誰が投票しようがするまいが、政策の優先順位は変わらない。
緊急性の高いものから手を打ってゆくのが当たり前だ。
「そう。それが当たり前というか理想ね。でも政治家としては票田に目を向けるのもまた当たり前だと思わない?」
「それは……」
いまの政権与党にとって、最も多い支持層はまさに高齢者だ。
だから、そこを最優先に考える。
「まあ、卵が先か鶏が先かは判らないけどね」
優先的に政策を打つから支持されるのか、支持されるから優先して政策を打つのか。
いずれにしても、得票に繋がらない政策を打っても仕方がない。
否、本来仕方がないで済ませていい話ではまったくないのだが、政治家だって人間だ。自分の権力基盤を維持できるように行動する。
「なんか納得できないな……」
「ミコトは政治家は高潔なもんだと思ってるかもだけどね。そもそも高潔な人が世俗の権力を求めたりしないわよ」
アメリカンな仕草で両手を広げるクンネチュプアイだった。
ともあれ、若者の政治離れそのものは、今現在の権力者にとって忌避すべきものではない。少なくとも、こぞって野党に投票されて権力基盤が揺らぐよりはずっと良い。
「だから、大昔から若者には政治に興味を持たせないようにしてきたのよ。音楽でもファッションでもグルメでも、政治なんかよりもずっと面白い話題を提供してね」
「それでも、一部の人は興味を持つし危機感も抱くんじゃないか?」
「少数なら良いのよ。そもそもそれをゼロにすることはできないわ。権力者が警戒するのはひとつだけ。若者の求心力になる人格の登場だけよ」
アドルフ・ヒトラーみたいにね、と、付け加える。
薄く笑ったその顔に、ミコトは背筋が寒くなるのを自覚した。
ドイツ労働党が大躍進を遂げた時代背景には、貧困や社会的な不公平にあえぎ、憤る若者たちがいたことを、彼は知っていたから。
それがカリスマとなる人物を得て爆発的な勢力となり、ドイツを席巻した。
今の日本と似ている、と、思ってしまったのだ。
もし、万が一、そういう個性が登場してしまったら……。
「させないようにしているわよ。政治家だって官僚だって歴史に学んでるからね」
我知らず頬を撫でてしまった命にエルフが微笑した。
不満が爆発して大きなうねりとならないぎりぎりを、ちゃんと見定めている。
そのあたりの匙加減が、この国の行政機関は大変に巧みだ。
今より悪くなったらどうする、と、思えば、なかなか政府を転覆させてやろうって気分にはならないのである。
「今より悪くならないようにって言ってる内に、徐々に悪くなってる気がするんだけどな」
やれやれと肩をすくめる陰陽師だった。
日本全体のことはともかくとしても、陰陽の家に対する冷遇はそろそろなんとかしてほしい。
まったく評価してくれないこの国のために、日夜頑張って魔を祓っているというのは、さすがに馬鹿馬鹿しくなってしまう。
「まあ、それを何とかするってのも、目的のひとつなんだけどね」
「そうなのか? って、今日の目的地も訊いてなかったな。そういえば」
「京都府庁よ。大嶽丸を焚きつけた連中に文句言ってやろうと思って」
「ふぁっ!?」
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