第5話 陰陽師の生活と意見



「妖たちに動きがあったと?」


 側近からの報告に七条命しちじょう みことは眉根を寄せた。


「狸谷山不動の古狸が京都駅に現れたよし


 恭しく差し出されたタブレット端末を眺め、命がちっと舌打ちする。


「良い車のってやがるなぁ。タヌキのくせに」

「そこ!?」


「だって新型のハイブリットカーじゃねーか。いくらすんだよ。これ」

「本体価格で三百二十万ほどかと。オプションなどを色々つければ、四百万近くにはなろうかと存じます」


 過不足なく解説してくれる側近だった。

 しれっと。


「俺なんて軽自動車けいよんだよ! しかも中古の!」


 命が地団駄ダンスを踊る。

 築百年を超える老兵の屋敷の床が、みしみしと不平の声をあげた。


「ご当主さま。お怒りをお鎮めください。床に穴が空きます故。あと、話がぜんぜん進みませぬ故」

「つらい! 貧乏がつらい!」


 千年以上の伝統を誇る陰陽の大家、七条家当主たる命の嘆きであった。

 この国で怪異に対抗できる唯一の存在である陰陽の家は、代々の為政者がけっこう手厚く保護している。


 それは事実である。

 事実ではあるが、援助される資金は無限ではない。


 七条の家でいえば、配下に抱える三十名ほどの陰陽師たちに等しく分配したら京都府の最低賃金をかるーく下回る月給になっちゃう程度の金額しか提供されていないのだ。

 しかも、その額は年々減額されていっている。

 命が嘆くのも当然というものだろう。


 なにしろこの国は、技能を持った者を冷遇するから。むしろ、技能にまったく価値を置かないといった方が近いかもしれない。

 ハンドメイドのアクセサリーなどを原価で売ってくれとせがんだり、自動車の修理を部品代だけでやってくれと言ってくる輩が多いことは、テレビやインターネットでも話題になっているほどに。


 七条家の陰陽師たちだってほとんどが兼業だし、命だって当主の座に就くまではラーメン屋でアルバイトをしながら魔を祓っていた。

 二重生活が過度の負担になり、陰陽師をやめた者も少なくない。

 この国を霊的に守護している人々の、それが実情である。


「俺もまたバイトしようかな。ラーメン屋のオヤジもいつでも戻ってきてくれっていってるし」

「当主がバイトとかやめてください。周囲の者が泣いてしまいます」


「ゆーて、俺の取り分が減れば、お前らにももうすこしラクをさせてやれるじゃないか」

「ご当主のバイト代でまかなえる分など、雀の涙でしょうに」


 貧乏ったらしい会話を繰り広げる主従であった。

 ともあれ、金がない金がないと嘆いたところで現状が良くなるわけでもなく、まずは現実に対応しなくてはならない。

 その程度のことは、高校を出たばかりの命にも判る。


「で、古狸はなんで京都駅なんかに行ったんだ?」


 改めてタブレット端末を覗き込む。

 どうやら人と会っているようだ。

 しかもものすげー美人と。


「やっべ。本気でぶっ殺したくなってきた」


 高級な自動車を乗り回し、超絶美人とデートとか。

 間違いなく敵である。


「あれ? でもなんかおかしいな」

「お気づきになりましたか。その女性にょしょうの容姿が、はっきりとは判りませぬ。美人だということは判るのですが、目鼻立ちなどの特徴がまったく頭に入ってこないのです。監視していた者も同様でした」


 映像で見ても実際に見ても、なぜか印象に残らない。

 美人だということは判るのに。

 見ているはずなのに。


「妖術か幻術の類か?」

「こんな技はきいたこともありませぬが」

「だよなあ」


 腕を組む命。

 見えているのに見えていないか、と、考えてはっとする。


 人間は目でものを見ているわけではない。目というのはあくまでもレンズで、レンズが映したものが何であるかと認識するのは脳だ。


「つまり、ここに映っているものを脳が正しく認識していないってことだな。それなら」


 一度、目を閉じる。


「先入観を捨てろ。この世にはどんなことだって起こりえる。べつに不思議な事なんてなにもない……」


 呟く。

 側近もまた同じように瞳を閉じた。

 ゆっくりと深呼吸。


 そしてふたたび目を開いたとき、彼らは認識した。

 端末の画面でエモンと談笑しているクンネチュプアイの姿を。


 陽光にきらめく金髪を、深い森で眠りにつく宝石のような碧の瞳を、透けるような白い肌を、ファッションモデルが泣きながら裸足で逃げ出しそうなプロポーションを、そして、頭の両側に飛びだした長く尖った耳を。


「えええエルフっ!?」

「幻想種族キターっ!!」


 驚愕の絶叫。

 命が取り落とした端末を、奇跡の反射神経で側近がキャッチする。

 壊しちゃったら大変だからね。


 ジョン・ロナルド・ルウェル・トールキンの『指輪物語』や、水野良みずの りょうの『ロードス島戦記』などで紹介されたファンタジー世界の住人。

 無限の寿命とこの世のものとは思えない美貌を持ち、精霊と心を通わせ、いくつもの魔法を操る人々。それがエルフだ。


「実在したんだ……」


 呆然と呟く命であった。

 妖怪やモノノケ、鬼の存在を知っている陰陽師の頭領でも、さすかに異世界ファンタジーの登場人物が実在するなんて思いもよらなかった。






 そもそも時期が悪かった。

 七条の家も秋月の家も御厨の家も、この四年くらいで相次いで代替わりし、政治的な影響力を減少させている。


 三つの家の当主で最年長が十九歳の命なのだから、そりゃあ政財界のお歴々から舐められるのも無理はないだろう。

 ついでに、減少してるのは政治力だけではなくて、純粋な戦力だって凋落はなはだしい。


 トップが十代の若者では将来に不安を感じてしまう。

 これはべつに陰陽師に限ったことではないだろう。けっこうな数の陰陽師が辞めてしまった。


 大昔のニンジャだったら抜け忍は抹殺じゃあ、とかだったのだろうが、現代日本では普通に殺人であるため、そんな手段は使えない。辞めたいという者を引き留めることはできないのである。

 高給優遇するから辞めないで、ともいえないし。


 現実問題として、去っていった者たちのほとんどは給料面での不満を抱えていたというのもある。

 貨幣経済の世の中では、お金というのは大変に重要なファクターであり、こいつがないことには一定の自由すら買えない。


 無料でできることなんて、息をすることと金持ちになった自分を想像して楽しむことくらいだ。

 せちがらい世の中なのである。


 ともあれ、陰陽の家が軒並み弱体化しているところに妖たちが騒ぎ出したのだから、弱り目に祟り目といったところだろう。

 金もない、戦力も足りない、政府の支援もアテにできないという、ないない尽くしの状況で事態にあたらなくてはならない。


 しかも妖怪どもの首魁は、大物中の大物、酒呑童子らしい。

 正直なところ、命ひとりで調伏できるかかなり微妙なところだ。


 かといって他の二家のチカラが借りられるかというと、そう簡単な話でもなかったりする。

 なにしろ秋月の当主の時雨しぐれはまだ高校生だし、御厨にいたっては中学生である。

 戦力として期待することなんてできやしない。


 もちろん陰陽師は出してくれるだろうけど、酒呑童子クラスの大物と戦うのに、一般的な陰陽師では荷が勝ちすぎる。

 こちらだって当主級が出るしかないのだ。


「なんで俺、こんな時代に当主になっちゃったんだろうなあ」


 とは、命の嘆きである。

 希少価値を主張するほどではない程度のありふれたイケメンで、ととのえない前髪が爽やかな印象だ。


「滅びゆく陰陽道を俺が立て直すんだ。フゥゥゥっ! とか言っていた御仁の言葉とも思えませんな」


 にやにや笑っているのは側近の峰岸小太郎みねぎし こたろう。命にとっては部下であると同時に、兄貴分のようなものである。


「フゥゥゥなんて言ってないもんっ!」

「ともあれ、嘆いていても仕方ありませんな」

「華麗にスルーしやがったな……」


 がしがしと頭を掻く。

 残念ながら小太郎のいうことは事実だ。


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