2-4
銀座の夢幻堂で個数限定のミカン大福を死守し、他にも頼まれ物の茶菓子をいくつか購入して鈴菜は帰社した。
午前の業務を終えた昼休み。食堂の端でうなだれる鈴菜の背中を同期の
「すずー。何落ち込んでるの?」
「またご飯誘えなかった」
「あー、木崎さん?」
こくりと頷く鈴菜に苦笑を返した架純は湯気の昇る醤油ラーメンを箸で掴み上げる。鈴菜のランチは社食ではなく手作りのサンドイッチ弁当だ。
「すずも競争率高い人を好きになったよね。イケメン、会長秘書、頭の回転が速くて仕事ができる、おまけに近寄りがたいミステリアスさ。新入社員の子達も木崎さん見るとソワソワしてるもん」
「あれだけかっこよければ皆好きになるよ。見た目だけじゃなくてね、細かなところにも気が効くし、重役プラス秘書課の皆のスケジュールも全部把握して、一番効率的な仕事の割り振りをしてくれて、取引先に合わせたお茶菓子とお茶の銘柄のセレクトも完璧で……」
「はいはい、木崎さん自慢はそれくらいにして。彼女いるか聞けたの?」
ラーメンをすする架純の隣で鈴菜はわかりやすく言葉を濁す。ツナサンドを頬張る彼女は情けなく眉を下げた。
「そんなの聞けたら食事に誘えてるよ……」
「そっか、そうだよね。すまない」
同期入社で苦楽を共にした架純から見れば、鈴菜は肝心な時の押しが弱い。
こんなに気弱な鈴菜が経理部から夏木コーポレーションの
「木崎さんの女関係は謎に包まれてるからなぁ。前に人事の
端整な容姿と目立つ立場も相まって、社内でも社外でも木崎愁は噂の的だ。
「今怪しいと言われてるのはほら、すずの同僚の真野さん。木崎さんと親しげに話してるの何度も目撃されてる」
「真野さんは社長付きだからね。会長付きの木崎さんと込み入った話をしてる時はあるよ」
社長秘書の
「木崎さんと真野さんが話してるところ見ると現実を突き付けられるの。木崎さんに釣り合うのは真野さんみたいなシュッとしたクールビューティーなんだよね。私が隣に並んでも恋人というよりは妹と兄にしかならない。シュッとしたクールビューティーとは無縁の丸顔だし、背も標準で、おっぱいも色気もない」
嫌なところを挙げればキリがない。
街で豊満な胸の女性を目にすれば、平たい胸元と比べて悲しくなり、愁とお似合いの真野千咲のスタイルの良さも心底羨ましい。
ネガティブ思考のループを続ける鈴菜の口から漏れた溜息は架純がすするラーメンの音で掻き消された。
「こらこら、自己肯定感上げてっ! すずだってかなり可愛いよ。社内でも取引先からも評判いいし、常務や専務にも気に入られてるじゃない」
「もちろん仕事で評価されるのは嬉しい。だけど私は木崎さんに好かれたいんだよ。できれば同僚としてじゃなく女として」
最初は憧れから始まった恋だった。洗練された佇まいに惹き付けられ、次第に奪われた鈴菜の心。
愁が誰かに恋をするなら、どんな風に相手を見つめるのだろう。あの感情の見えない瞳が熱っぽく潤んだりするのだろうか。
できるなら彼に熱っぽく見つめられる恋の相手になりたい。
「ねぇ、やっぱりゴールデンウィークにある営業部との合コン駄目? 絶対にすず連れて来てって頼まれてるの。木崎さんは止めておきなとまでは言わないけどさ、追いかけるだけの恋も辛いよ。経営戦略部の人も何人か来るし、すずなら選り取り見取りだと思う」
誘われていたゴールデンウィークの合コンは気が乗らない。しかし営業部所属の架純の顔を潰すわけにはいかなかった。
「……うーん。ちょっと顔出すくらいでいいなら行く」
「やった! ありがとうすずちゃんっ!」
「なんか食欲出てきた。ラーメンちょっと欲しい」
絶望のどん底にいても救いになるのは友達の存在だ。麺が少し伸びたラーメンを一口分食して、食べかけのサンドイッチにかじりついた。
愁が誰かと社食でランチをする姿は見かけない。
夏木会長に付き添うために外出も多い愁が会社の食堂に現れる機会は早々ない。
「そういや、木崎さんて夏木会長のお子さん達と一緒の家で暮らしてるよね。なんでなんだろう?」
「その話なら専務に聞いたことがある。木崎さんは子どもの頃から夏木会長と知り合いで息子同然に可愛がってもらってきたんだって。だから今は会長のお子さん達の保護者役を引き受けてるみたい」
夏木会長が10年前に養子を貰った話は有名だ。特に隠し立てもしていない。
愁が養子の子ども達と同じ家に住んでいることもまた、社内の人間には周知の話だった。
「会長の家族とも親しいとなると益々将来有望だ。いつかは木崎さんがここの社長になっていたりして」
「うん。そういう噂はあるから徳田社長だけは木崎さんを嫌ってるんだよね。社長に嫌味言われても木崎さんは気にしていない様だけど、聞いてるこっちは腹が立ってくる」
還暦を過ぎた夏木会長はまだまだ健勝だが、会長が引退後の夏木コーポレーションの未来に繋がる根回しや思惑は虎視眈々と蠢いている。
末端の鈴菜には中枢の実情はわからない。だが愁はそんな根回しや思惑からは距離を置いているように感じた。
何物にも何者にも縛られない。
鈴菜の目から見える木崎愁はそんな自由で孤高な男に見えていた。
本当はこの会社にいる誰よりも縛られている愁の真実を、鈴菜は知らなかった。
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