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 萌子は夫婦の寝室に入った。この家でリビングの次に大きな部屋である主寝室には母が生存していた頃の家具がそのまま残されている。


 彼女はドレッサーに触れた。亡き母が使っていたドレッサーは母が祖母から受け継いだアンティーク品。

それを佳世が平然と使っていることが我慢ならない。どうして父も母の持ち物を佳世に使わせる?


故人の思い出の品に平気で私物を並べて使用する佳世の無神経さが信じられない。だからあの女は嫌いなのだ。


 ドレッサーには萌子には正体がわからない液体やクリームのボトル、派手な色のマニキュアと香水瓶が並んでいる。

母の時代とは様変わりしたドレッサーの引き出しを開けた。


整理整頓されているとは言えない、物で溢れた引き出しの中身は佳世の性格を表していた。想像通りで笑ってしまう。


 佳世の持ち物に興味もないが、時々こうして佳世のだらしがなくて粗末な性格を馬鹿にして嘲笑う行為が小心者の萌子ができる小さな復讐だった。


「……なにこれ?」


ごちゃつく引き出しの中にミントグリーンのパスケースを見つけた。萌子でも知っている有名ブランドのロゴが入った名刺入れだ。


「ローズガーデン……マユカ?」


 名刺に印字された名前は紺野佳世ではない。マユカが佳世だとすれば、佳世はローズガーデンと呼ばれる場所で偽名を名乗って働いている。


 引き抜いた一枚を手にして自室に戻った。名刺に記載がある店のURLをスマートフォンに打ち込んで検索すると店舗の公式サイトに繋がった。


 見るからにいかがわしい様式のサイトにはトップページに人妻専門デリヘルと綴られている。

デリヘルの意味がわからなかった萌子はサイトを閉じてまず言葉の意味を調べた。女が男に身体を売って稼ぐ仕事の一種だと理解した時、ふつふつと沸き上がる嫌悪と怒りが萌子の心を支配する。


 マユカという名を公式サイトで探すと所属キャスト一覧に佳世らしき女の写真があった。顔の鼻から下にボカシ加工が施された佳世らしき女は、グラビアアイドルでも気取っているのか、下着姿で卑猥なポーズをとっていた。


佳世は人妻専門のデリヘルで働いている。おそらく父には内緒で。

萌子から父を奪い、母の思い出を奪い、萌子の幸せを吸い尽くす女は複数の男に身体を売っている。


 けがらわしい。最低だ。

あんな汚い女がのうのうと生きていてどうして母は生きられなかった?


 6年前の春に母は病死した。病室から見える満開の桜を眺めながら母は静かに息を引き取った。

母の命を吸いとったかのように、病院の側の桜並木の桜達は薄紅色の花弁を広げて優雅に咲き誇っていた。


 陣内の言葉がふいに甦る。


 ──“美しく見えるものほど他から養分を吸い取っているものだ。植物も人もね”──


 母と作った思い出の桜のしおりが挟まる推理小説は売春婦が次々と殺されていく話だ。殺戮を繰り返す主人公の心情は今の萌子とリンクしている。


(どうして先生は私に貸す本にこの話を選んだの?)


殺意で研がれた鋭利な刃はまっすぐあの女に向けられた。

あの女さえいなければ……。それが責任転嫁に過ぎないと気付くには彼女はまだ幼かった。


 芽生えた殺意の芽は膨らみ続ける。やがてその芽は樹木となり鮮血の花を咲かせるだろう。

しかばねという名の養分を、木の下に隠して。

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