十九歳の彼
冷門 風之助
その一
彼女に指定された場所に呼び出されたのは、12月に入って間もなくのことだった。
今渋谷区のとある場所で仕事をしているという。
道玄坂の近くのビルにある録音スタジオで、隣にある喫茶店でもう一時間近く俺は待っていた。
何でもOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)のアフレコ収録が長引いてしまい、
『申し訳ありませんが、少しお待ちいただけませんか』と、彼女は携帯の電話口で、ひどくすまなそうな声でそう言った。
幾らこの店が『500円余分に払えばコーヒーのお代わりは何杯でも可』という店だからって、流石の俺でも店員の目線がいささか気になりだす。
たまりかねて(俺らしくないが)、腹も減っていないのに、
『自家製ホットドッグ』とやらをオーダーした。
俺の目の前に湯気を立てたホットドックが置かれた、丁度その時だった。
軽いベルの音がし、ウェイトレスの事務的な『いらっしゃいませ』に迎えられ、
『遅くなってごめんなさい』という、実にいい声が俺の頭の上で聞こえた。
ホットドックをつまみ、端っこにかぶりつこうとした俺は、皿の上に戻して頭を上げる。
そこにいたのは、うりざね顔で銀縁の眼鏡にショートヘアー。黒っぽいコートに紺色のニット、茶色のフレアスカートという、極めて地味な身なりの熟年女性だった。
『弁護士の
彼女の名前は・・・・いや、本名は秘密だ。仮に
『率直に申し上げます。依頼したいお仕事は、ある男性の行方を捜して欲しいんです。』
『ちょっと待ってください。』俺は皿の上のホットドックを
『静野弁護士から
その点はご承知ですか?』
『ええ、よく存じております。』
早苗は眼鏡を外し、ポケットから小さな薄いハンカチを取り出してレンズを拭き、また元の通りにかける。
俺は皿に残っていたホットドックを全て食べ、コーヒーで飲み下した。
ゲップが二度も出て、胸が焼けた。
『・・・・分かりました。ではまずお話を伺いましょう。その上で引き受けるか否かを決めさせて頂きます。構いませんか?』
彼女ははっきりした声で、
『ええ』といい、不愛想なウェイトレスが運んできた野菜ジュースに口を付けた。
『私は今年で56歳、独身です。過去に結婚歴もありません。当り前ですが子供もおりません』
独身でいたのは、それほど難しい理由ではない。
早くに両親を亡くし、長女として生まれた彼女は、歳の離れた弟妹の面倒を見なければならなかったからだ。
生活のため、一心不乱に働いたが、唯一の慰めは『演じる』ことだった。
仕事や家事でくたくたになっていても、セミプロ劇団に参加し、舞台に立っていた。
それだけが彼女の人生に於いて、ささやかな喜びでもあり、また楽しみでもあった。
幸い、弟も妹も無事に育ち、結婚もして家庭も持った。
そのうちに運が巡ってきて、遅咲きながら正真正銘プロの女優になることができ、やがてアニメのアフレコや外国映画の吹替えの世界でも認められるようになったが、気が付くともう50の坂を越えていた。結婚などとうの昔に諦めていたという訳である。
『私だって恋をしなかったわけじゃありません。結婚も夢見たことだってあります。でも元々不器用なもので、目の前の役割をこなすのが精一杯だったんです』
彼女はそう言って、また野菜ジュースを飲んだ。
そんな彼女がある男性に巡り合ったのは、今から丁度三年前のことだという。
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