Episode4.鼓動の音

 桜木町を離れた愛彩たちはさらに南下し、関内を抜け、中華街方面へと向かっていた。

 しかし既に愛彩の体力は限界を迎えており、横浜を出た頃の速度は出ていない。途中での休憩の回数も多くなっていた。


「ねぇ、優ちゃん………」

「ごめん、少し長めな休憩取るからまだ休んでて」

「これってどこまで走ればいいの………?」

「あと半分くらい、かな。目的地は根岸湾までだから」

「一体なんで………!」


 と、ここで上空を飛ぶヘリコプターが目に入る。その行き先は愛彩たちが先程走ってきた横浜方面へ。そのヘリコプターを無意識に目で追うと、とある違和感に気が付いた。


「煙が………⁉︎」


 爆発事故があったのは横浜。そこからおよそ4キロから近く走ってなお、煙の大きさは変わっていない。むしろ、大きくなっているようにも思えたのだ。


「優ちゃん、これって…………《カイン》?」

「そうだよ。恐らく今はこっちに向かってきてる」

「てことは…………」


 ————追いつかれてしまえば、殺される。

 その事を隠すために優は今まで何も話さなかったのだと理解する。


「……行こう、もう時間がない」


 優は缶をごみ箱に入れると、ごまかすように背を向けた。


「ちょっと待って。一つだけ質問いい?」


 既に足を進めていた優の足を一旦停止させたのは愛彩の言葉だった。優は顔を半分だけ向ける。愛彩はゆっくりと口を開いた。


「————《ジョーカー》って何かわかる?」


 それは今日の明朝、深夜0時に届いたメールの内容に書かれていた内容で。

その言葉を《カイン》という名前を聞いて思い出した。

 メールで読むことができた二つの単語の内の一つ…………。


「………ちょっと待って」


 そしてその単語を聞いた優の表情は酷く驚嘆していた。


「ゆう、ちゃん?」

「愛彩、どこでその名前を知った⁉︎ どこで—————」


 刹那、優の言葉を爆発が遮断する。それもかなり近い。


「くっ………《アンドロメダ》‼︎ 現在地から根岸湾までは何キロだ⁉︎」


 優は耳に取り付けられた装置————《アンドロメダ》に叫ぶ。


『はい、ここから約4.32キロメートルです』

「それってもう約じゃないよね⁉︎」


 《アンドロメダ》の小数点第二位まで回答に、この状況でありながらも思わずツッコミを入れてしまう愛彩。優はそんなツッコミに何を言うわけでもなく「わかった」と一言告げると、突然ズボンの右足部分を破った。


「何を……⁉︎」


 その足を見て愛彩は思わず言葉を失う。

何故なら………ズボンが破けて剥き出しになったのは優の足ではなく、足に取り付けられた金属機械だったからだ。


「頼むよ試作品…………博士、失敗したら恨むからな」


 優は機械横のボタンを押すと、赤色の光の線が浮かび上がる。バチバチと小さな電流が音を立てて纏い、やがて白い煙を吐き出した。


「愛彩、掴まって!」


 徐にしゃがみこんだ優。愛彩は言われるがままに優の背中に乗った。


「音声入力………解放リリース開始‼︎」

『認証しました。試験機であるため解放に制限がある事と、限定使用の設定がないため設定された全ての能力強化が発生する事を理解した上で————』


 足の機械から流れる音声を耳にするも、愛彩には全く理解することができず、ただ優の背中から感じられる脈拍が上がっているのを感じていた。

 そうしてやっと立ち上がった優は、「あ」と思い出したかのような声を出した。


「愛彩、少し驚くかもしれないから気を付けて」

「ぇ……?」


 急な警告に、愛彩が何も反応することができないまま優は走り出して………

 ——————瞬間。

 愛彩は地上を見下ろしていた。


  ***


 見たことのない角度の、見たことのある景色が高速で変遷を繰り返していた。

 一体何が起こっているのか………愛彩がそれを理解するのに数秒、やがて優が自分をおぶった状態で家々を飛び越えていることに気が付いた。


「んぁ?」


 現状を把握すると、驚きの余り間抜けな声が自分の口からこぼれ落ちる。

 一瞬で通り過ぎる景色の中に見えた標識を見て、根岸まで4キロあったところが、今では数百メートルにまで近づいていた。既に根岸湾は見えている。


「……あった、あの船だ」

「え?」


 優が見る視線の先……そこには一つの大きな船が止まっていた。


「え、どういうこと⁉︎」

「今からあの船に乗って海上に逃げるんだ」


 予想もしてなかった事を聞かされて、愛彩は困惑する。

 《カイン》とはそこまでの脅威なのだろうか、そうとも思った。

 

 やがて沿岸部の工場地帯に入ると、優は地上に降りてゆっくりと愛彩を降ろす。


「本当に急でごめん、詳しいことは後で話すよ」

「……わかった」


 正直、愛彩は納得することが出来なかった。恐らくそれは愛彩に限ったことではなく、誰であってもそう思うだろう。

 けれど、研究員と共に完全汎用AIの研究に携わっていたとなると、話を呑むほかなかった。開発者よりも詳しい人はいないだろうから、と。


「じゃあ、行こっか」

「そうだ………………………………ね?」


 刹那—————小さな一縷の光が、優の体を透過した。

 と、その直後。

 優の体から赤い液体が勢いよく飛び出て、愛彩の顔や服を汚した。


「ぇ…………?」


 まるで何が起こったかすぐに理解できなかった。

 愛彩が気が付いた頃には、優は血反吐を吐いて倒れていたのだ。


「優ちゃん‼︎」


 愛彩が駆け寄って身体を仰向けにすると、胸の真ん中から服を透けて紅が染み渡っていた。流血は一向に止まる気配はなく、段々と優の体温が急低下する。


「優ちゃん‼︎」


 涙ながらにそう叫び、グッと冷たくなっていく手を握る。

 ————どうすればいい! 私はどうするべきなの⁉︎

 必死にそう叫ぶが、答えが出てこない。


「……………ろ」

「優ちゃん?」

「に、げろ………」

「そんな事できるわけないよ!」


 優を置いて自分だけ逃げる、そんな事はできなかった。

 例えこの状況が危険なのだとしても、愛彩は優から離れようとは思わなかった。

 いや、この状況だからこそ離れようとは思わなかったのだ。もしも優がこの場で死んでしまうのならば、自分もこの場で死ぬために。

 そんな事を思っていると、奥からギギギという奇怪な音が近づいてきた。

その音は既に数時間前に聞いた音。地獄の始まりを告げた音。

そして————〝優を撃った犯人〟の足音で。


『見ツけタ』


 人型の鉄塊はのそりと二人の前に現れると、ニタリと嗤った気がした。

 その間、愛彩の鼓動の音は響いて鳴り止まない………。

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