Episode5.覚醒

 愛彩は正直、優の言っていることが嘘だと思っていた。

 よくSF小説にありそうなシチュエーション。きっとあの爆発も演出の一つなのだろう……そう思っていた。

 —————いや、思い込もうとしていた。

 既にあった現実が、平和が崩壊していくさまを見たくなくて、現実逃避するために。

 けれどその考えを完全に否定するかのように、目の前の光景は残酷にも愛彩の眼に写り込んだ。

 鈍色の体に目立つ血色のライン。その中で————人間でいうところの————頭のような部分から深緑の光が愛彩や優を伺うようにして覗いていた。

 左部分には、最初に見たとき同様に筒状の何か———ではなく。それは明らかに銃やその類となるものであった。


「………っ」


 愛彩はゆっくりと近づいてくるその機体を睨みつける。優は愛彩に脆弱な声で「逃げろ」と訴え続けてくるがしかし、優を手放そうとはしなかった。むしろギュッと自分の胸に近づけて両手で強く抱く。


「…………私は絶対に逃げない。放さないよ優ちゃん」


 愛彩は諦めず、その場を動こうとはしなかった。けれど《カイン》の進行は止まることはなく、愛彩や優の目前に接近してくる。

 やがて《カイン》が左を持ち上げるのを見て、愛彩の瞼が一回瞬いた。


「撃て!」


 その一瞬。

 銃器を構えた《カイン》の気を引いたのは、《カイン》の後方から現れた

男。響いた爆裂音に《カイン》の体を掠めた金属音で。

 軍人のような装備をした彼が構えるのは拳銃のような小さなものではない。


「あの人はぅ⁉︎」


 《カイン》が目を奪われている間に、誰かに愛彩は首根っこを掴まれて建物の陰に身を潜める。優はというと、いつの間にかその人に担がれていた。


「無事か?」

「………は、はい」


 立っていたのは見た目年齢三十歳から四十歳くらいの男だった。見た目から軍人であることと日本人でないことがわかる。外国人であっても言語が通ずるのは《アンドロメダ》による超通訳機能のおかげだろう。


「そうだ、優ちゃんは⁉︎」


 周囲を見渡すと、男が地面に優を丁寧に寝かせていた。


「手当ては済ませてある。………が、正直に言ってそいつが助かる可能性はない」

「ぇ……」

「心臓を貫いている。流血が酷く止血が間に合わない。私の行った応急措置もただの延命でしかない」


 まるで〝諦めろ〟と言わんばかりにその男は愛彩に告げる。愛彩は急いで優の手を握ると、人間の体温はほとんど残っていなかった。


「お前は急ぎ船に乗り込め。こいつは諦めろ」

「嫌です!」

「貴様………ッ」


 逆鱗に触れたのか、男が愛彩の頬を握り潰すようにして掴む。その形相を眼前に、愛彩は目からこぼれ落ちそうなものを溜め込んだ。


『………こちらC1隊、9番! 応答を願います‼︎』

「‼︎」


 やがて男が手を離したのは、彼の耳に装着されている《アンドロメダ》………ではない通信機器からの音声を耳にした時だった。


「状況は」

『それが………』


 男の言葉が一瞬止まる。と同時に彼の右手は強く握られていた。


「A1とC1、C3以外………全滅、だと?」


 怒りに震え、壁を叩きつける。

 歯は軋み。乾燥し切った唇からは血が流れ。目は充血し。

 しかしその目に、愛彩や優は映っていない。


「………こちらA1部隊長、アデュー。二名を保護、一名は問題ないが一名は危篤だ。回収を頼む」


 そう口にした男は、愛彩や優には目も暮れずにその場を後にした。


***



「………愛彩」


 男がその場を離れて数分後。男の止血が少しは効いたのか、優は辛うじて目を覚ました。


「優ちゃん!」


 歓喜の声が出るがしかし、優が吐血した瞬間、悲愴と焦燥に揉まれて消える。


「ずっ……と、伝えた、かった」


 霞む声。胸に巻かれた包帯に血が滲む。


「ちゃん、と………伝えたことなんて、なかった………から」

「………やめてよ」

「いつも……迷惑、掛けてごめん…ね」

「…………やめてったら」

「一緒に……いて、あげられなくて……ごめ、ん」

「やめてよ、ねえ? やめて…………」

「君、に…会え、て、よかった」

「やめてったら!」


 愛彩の言葉に、けれど優は言葉を口にし続けた。


「私が欲しいのはそんな言葉じゃない! 私は優ちゃんに一緒にいて欲しい………ただそれだけなの!」


 優はにこりと笑うだけだった。


「だからこれが最後のわがままでいい! だから優ちゃん………死なないで」


 その瞳から零れ落ちた涙は、優の頬に落ちて伝う。それはずっと堪えていた恐怖の涙ではなく、優のために流れ落ちた涙だった。

 優はそんな愛彩を放っておけなかったのか、彼女の背中に右手を回して優しく抱きしめた。


「これ、を………」


 優は左手に握っていたものを愛彩の手に収める。


「これ、と一緒、に……僕の分、ま、で生き、て」

「……嫌だよ、優ちゃんのいない世界なんてっ」


 愛彩は優が死んだら死ぬつもりでいた。それを優が理解していてのことだとは、愛彩は知る由もなくて。


「————生きて」


 優の目から流れ落ちた涙。絶対に愛彩の前では見せなかったもので。

 その涙に揺るがされたのか、愛彩は小さく頷いていた。


「よかっ、たぁ………」


 安堵の声を溢すと、それからいつものように微笑んで。


「今まで、ありが、とう…………」


 その眼が段々と霞んで、瞼が落ちて。


「愛彩と………いられ、て、僕は幸せだっ………た」


 突如、愛彩の背中から優の手が血塗られた地面に落ちる。愛彩の耳に聞こえていた音が完全に消え、愛彩は急いで起き上がった。


「いや……………だよ」


 朝、セッティングした綺麗な髪をぐしゃぐしゃにして。


「嫌ッ……!」


 自分の体が汚れることなど気にすることはなく、強引に涙を拭って。


「優ちゃん………‼︎」


 目の前で死んだ八木優の名を、呼んだ。


***


 愛彩の手に握られていたのは、小さな鍵だった。

 それは優が大事に持っていたもの。いつから持ち歩いていたかは愛彩は知らない。

 その鍵に付いている紐を首に通して服の下へ。それから愛彩は持っていた白いハンカチで、優の顔を覆った。

 涙は止まることはなく、けれど現実を見なければいけないと自分を牽制する。


「ッ……‼︎」


 先の男が、壁に拳をぶつけた気持ちがよくわかった。思い切って真似をしようとも考えた。

 その行動を留めたのは優の方から聞こえた、カシャンという音だった。

 愛彩が近くと、警告音が一つ鳴った。


『使用者の心肺停止を確認しました。右足・右腕の装着を強制解除します』


 その警告が終わると、薄灰の煙を排出しながら足の機械が外れる。

 けれどその機械はボロボロになっており、跡形もなくなる。さらに、装着していた足はかなり腫れており、とても見れたものではなかった。


「……………」


 しかし愛彩はその足を目で見るだけで意に介さず、愛彩が手を伸ばしたのは優の右腕だった。捲り上げるとそこには同様の機械が、ロック解除された状態で転がっていた。

 それを目にした愛彩は何を思ったのか、それを拾い上げる。


「…………ごめんね、優ちゃん」


 合掌して優に一礼した愛彩は、その場を後にした。


■ ■ ■


 『死』———その恐怖の感情はもうどこにもない。

 恋人を失った今、私はどうなってもいいとも感じた。自害してもいいと思った。

 そう思う度に恋人の、最期に遺した一言が脳裏を過った。

 —————生きて。

 その言葉が私の自害を留めた。と同時、沸々と胸の奥深くから湧き上がっていく感情に支配されていった。

 視界はモノクロに、音はノイズになって、ただその感情だけを煮え滾らせる。

 『死』をも超越したその感情は私に、近くに転がっていた軍人の死体から武器を奪わせる。ナイフ一つに銃一丁、ついでに奪ったポシェットにそれらを収めると、どこからか取り出した機械を、右腕に装着した。


『これは試験機ver.1.2です。使用において危険性が存在します。ご注意ください。……使用者のデータが保存されていないため、ゲストとしてデータを読み込みます。心拍数、体温……計測完了。保存されている能力は《パワー》と《インパクト》です』


 なにやら意味のわからないことを言ってくる。けれど私にはどうだって良かった。

 この使用方法は大体理解できる。あとはこれを使って、私の目的を達成するだけ。


「ごめんね優ちゃん………………私が《カイン》を、殺すから」


 遠くに見えた赤緑の眼光を睨みつける。近くでは驚いた様子でこちらを見てくる先の男の姿があって、私はその人を横目に入れつつ前進する。

 そして、すうと息を吸い込むと、勢いよく右腕の機械のスイッチを押した。


■ ■ ■

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る