第37話 絶望の足音

「二度は言わない。そいつから離れろ、リーオン」


 自身の名を耳にして、リーオンが妖しい笑みを浮かべてユリシスを真っ直ぐに見つめ返す。


「ユリシス=ルーグヴィルド……まさか本当に君とは」


 レフィスからユリシスへ向きを変え、リーオンがわざとらしく口元に手をやってくつくつと声を漏らして笑った。


「こんな所で会えるとは思ってなかったよ。君は十年前に死んだものと思っていたからね」


「俺も貴様になど会いたくはなかった」


「そう? その割には意外と大胆に登場したじゃないか。……余程この子が気になるんだね」


 嫌らしく口元を歪めて笑ったまま、リーオンが剣の切っ先をレフィスの喉元へ向けた。その様子に僅かに身を固くしたユリシスを見逃さず、またもリーオンが声を上げて面白そうに笑った。


「へぇ……面白いね」


「何がだ」


「ルナティルスは十年前に姿を消した君を、ずっと探していたんだよ。でも君は見つからず、もう死んだものとされていた。その間も君は卑しく生き延びて、ルナティルス奪還の機会を窺っていたんだろう? そうやって髪の色まで変えてさ。……そのまま死者にされていれば動きやすいものを、たかが小娘一人の為に僕の前に姿を現した。あのユリシス=ルーグヴィルドが、だよ? これが面白くないわけないじゃないか」


「御託はいい。さっさとそいつを放せ」


 剣を構えたユリシスの体から、魔力を孕んだ闘気が溢れ出した。それは目に見えずとも、肌に直接ぴりぴりとした感覚を与えてくる。あまりの気の強さに、一瞬だけ気を失いそうになったアデイラが、慌ててレフィスを捕らえる腕に力を込めた。


「二度目はなかったはずじゃないのかい? 余裕がないのは君のようだね」


「貴様……」


「君には分かってるはずだよ、ユリシス。もっとスマートに事を運ぶやり方を、ね」


 苦々しく唇を噛むユリシスに、リーオンが剣を持っていない方の手を差し出した。


「僕が欲しい物を君は持ってる。……答えは簡単だろう?」


「……ここには、ない」


「……そう」


 ユリシスの答えにさして興味もなさげに返答し、リーオンが差し出していた手のひらをユリシスへと向けた。


「別にそれでもいいんだよ」


 思っても見ない言葉にユリシスが動くより早く、リーオンの手のひらから放たれた光がユリシスの足元に不気味な魔法陣を形成した。白く瞬いたかと思うと、それはユリシスの体から自由を完全に奪い去る。


「勘が鈍ったね、ユリシス」


「リーオンっ……貴様っ!」


「君が素直にブラッディ・ローズを渡してくれるとは思ってないさ。君がくれなくても、ここにはその代わりがあるからね」


 そう言って、レフィスの足元に縫いとめられたままになっている小さな石を一瞥する。


「これはブラッディ・ローズの成り損ないだ。とは言っても、ブラッディ・ローズに匹敵する力に成り得ると思っているんだ。だから僕はずっとこの小さな石を捜し求めていた」


 魔法陣に封印された石から視線を移し、すぐ側に立つレフィスを見つめたリーオンの瞳がかすかに揺らめいた。


「ブラッディ・ローズが血によって生まれた秘宝なら、この成り損ないも血によって目覚めるんじゃないかと思うんだ」


 そこまで聞いて、ユリシスが見て分かるほど体を大きく震わせた。動かない体に無理な力を加え、足元の魔法陣に剣を突き立てようと必死に足掻くユリシスを見て、リーオンがこれ以上ないくらい楽しげに笑う。


「やめろ、リーオンっ!」


「ごめんね」


 どちらに対してなのか分からない謝罪を口にして、リーオンが手にした剣を一気に振り下ろした。




 何も見えなかった。何が起こったのかも分からなかった。

 動けないユリシスが、必死になって叫んでいる。何も出来ずにただ見ているしか出来なかった、その視界が――瞬時に赤に染まる。


「やめろ――っ!!」


 絶望を呼ぶ叫び声を耳にした時、レフィスは自分が魔法陣の上に倒れこんだ事を知った。

 痛みは、後からきた。右の首筋から左胸まで、斜めに切り裂かれた傷が一気に熱を持つ。あまりの痛みに叫ぼうとした口から、血がごぽりと溢れ出した。

 うつ伏せに倒れこんだまま、閉じる事も叶わない若草色の瞳に、今まで見た事もないほど取り乱しているユリシスの姿が映っていた。

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