第34話 忍び寄る影
空は相変わらず冴えない灰色をしていた。ノーウィから続くルナティルスの森も、昨日と変わらず不吉な闇を湛えている。
昨日と変わらない三人に比べ、レフィスだけが明らかに暗く沈んだ表情を浮かべている。そんなレフィスを気遣うように、イーヴィが優しくレフィスの頭を撫でた。
「そんな死にに行くような顔をしないの。魔物の一匹や二匹、私たちの敵じゃないわ」
「……うん」
「でも怪我したらレフィスに頼るわよ。十分に魔力、残しておきなさい」
そう言ってにこりと微笑んだイーヴィに、少し心の軽くなったレフィスがゆっくりを笑みを零す。
「それくらいしか出来ないから」
「何言ってるの。レフィス、考えて御覧なさい。後先考えずに力押しで突っ込むライリと、目的の為には手段を選ばないユリシスがいるのよ? 回復出来る貴女がいないと、私たちはすぐに全滅するわ。男は血の気が多いんだから」
「酷いな。僕はいつだってスマートだよ。大体そういうイーヴィだって男じゃなかったっけ?」
少し頬を膨らませたライリを軽くあしらうイーヴィに笑いながら、レフィスはこっそりとユリシスの方へ目を向けた。
ライリたちとの喧騒。加わる事の少ないユリシスは、きっと今もひとり森を見ながら今後の計画を練っているだろう。そう思って見たのに、密かに向けたレフィスの視線はユリシスのそれとばっちり重なり合ってしまった。
「……っ!」
慌てて視線を逸らそうとしたが既に遅く、目が合った事で合図を得たユリシスがゆっくりとレフィスに近付いてくる。心臓が、どくんと高鳴った。
「レフィス」
「なっ、何?」
慌てすぎて声が裏返ったレフィスを一瞬怪訝そうに見たユリシスだったが、あえてそれには触れず、手にした小さな布袋をレフィスに手渡した。
「これを持ってろ」
「何、これ」
言いながら袋の中身を確認したレフィスが、小さく声を上げた。袋の中にはレフィスがいつも持っている魔力の篭った硝子玉が幾つか入っていた。
驚くべきはそれが普通の硝子玉ではなく、第三者によって更に魔力が上乗せされている事だ。小さな硝子玉から感じる魔力の大きさくらい、レフィスにだって十分感じ取ることが出来る。
驚いて見上げたレフィスが何か言うより早く、ユリシスがひどく優しい手付きでレフィスの頭を撫でた。先程イーヴィに撫でられた時よりも、レフィスの心がふっと軽くなる。
「絶対にひとりでは行動するな」
「……ユリシス、ありがとう」
ユリシスの優しさを噛み締めながら、レフィスは受け取った硝子玉の入った袋をぎゅっと握り締める。そこから力が流れ込んでくるようだった。
「準備はいいか? 行くぞ」
そう言って先を歩き出したユリシスの背中に、レフィスはもう一度ありがとうと言った。
そこだけが、世界から切り離されたようだった。
ルナティルスの外れ、深く湿った森の奥にひっそりと存在し、人知れず朽ちていく運命にあったはずの場所は、数百年の長き時を経て、今その内部に命ある者を招きいれた。
全てのものが死んでしまった中で、命の輝きはより一層その光を強くする。遺跡そのものが望んでいたかのように、命の鼓動を持つ者を歓迎して周囲の空気を震わせた。
遺跡の内部は、濃い瘴気に包まれていた。深淵を思わせる、暗く果てのない闇。肌にべっとりと絡み付いてくる生ぬるい風も心地良く、男は頬をくすぐる金髪をかき上げながら無意識に笑みを浮かべていた。
「リーオン様」
背後でか細い女の声がする。振り返ると、藍色の髪をした女が不安げな表情で男を見つめ返していた。
「どうしたんだい? アデイラ」
「何だか不気味な場所ですね。それに瘴気がとても濃くて……」
アデイラと呼ばれた女は、充満する瘴気に耐え切れず、白い手で口元を覆う。
「ああ、すまない。君には少し辛かったようだね」
紳士的な微笑を浮かべ、リーオンがアデイラの腰に手を回してその細い体を支えてやる。一気に距離が縮まり、アデイラの頬が仄かに紅潮した。
「君が倒れては意味がない。瘴気を祓うから、僕にしっかり掴まって」
そう言うが早いか、リーオンの足元に金色の魔法陣が形成された。それは白い光を発すると同時に風を巻き起こし、遺跡内部に澱み沈んでいた瘴気を一気に空へ霧散させる。
「……本当に、リーオン様の魔法は凄いですわね。わたくしではせいぜいこの部屋の瘴気を失くすくらいですもの」
「この部屋だけでも十分だよ。ほら、見てご覧」
促され、視線を巡らせた先に、赤黒い線で描かれた魔法陣があった。部屋の床いっぱいに描かれた魔法陣は未だ効力を失っておらず、その中央に安置された小さな結晶石をしっかりと封印している。封印が目に映るなら、それはさながら蜘蛛の巣のようだろう。中に封印された石は、苦しく呻くように、時折鈍く光っている。
「あれは?」
「僕がずっと捜し求めていたものだよ。手に入れる為に君の協力が必要なんだけど」
「わたくしに出来る事は何でもしますわ。わたくしはリーオン様の婚約者ですもの。何でも仰って下さい」
「ありがとう、アデイラ」
石造りの床に描かれた魔法陣と、その中央に封印されている結晶石を見ていたリーオンが、やがて何かを見つけたように足早に部屋の奥へと進んでいく。その後ろをアデイラも影のようについて行く。
部屋の隅に石版が置かれていた。所々崩れかけてはいるが、刻まれた文字を読み解くには難はない。見た事のない文字列だったが、リーオンは読めるのだろう。細い指先で文字を辿りながら、唇の先でぶつぶつと呟いている。
「リーオン様?」
「……結晶石の詳細と、封印に至るまでの過程が記してある」
「まあ、古代文字まで読めますのね」
さすがは我が婚約者といわんばかりに感嘆の溜息までついたアデイラとは逆に、リーオンは表情を曇らせたまま考え込むように石版を見つめている。一瞬にして笑顔を閉じ込めたアデイラが、不安そうにリーオンの側に寄り添った。
「……リーオン様」
「僕の考えに間違いがなければ……封印の解除には、血が必要か」
「それならばわたくしの血をお使い下さいませ」
即座に答えたアデイラを見て、リーオンが緩く首を振った。
「駄目だよ、アデイラ。生贄にする為に君を連れてきた訳じゃない」
「でも……わたくし、リーオン様のお役に立てるのなら、この命捧げる覚悟は出来ております」
きっぱりと言い切ったアデイラに目を向けて、リーオンが優しい笑みを浮かべながら、彼女の体を腕に抱く。髪を撫でられ、恍惚とした表情を浮かべるアデイラとは逆に、リーオンは彼女を腕に抱きながらも、何かを思案するように青い瞳を曇らせていた。
「君には重要な役割があるんだ。それに……」
不自然に言葉を切って、リーオンは崩れかけた壁から覗く外の世界へ目を向けた。その青い瞳が獲物を捕らえたかのように、鋭く冷たい輝きを内に揺らめかせる。
「今日は幸運だ。儀式に必要なものが手に入るかもしれない」
そう言って妖しく笑うリーオンの瞳の奥には、遺跡に近付いてくる四人の姿がしっかりと刻まれていた。その中の一人、栗色の髪をした少女の姿を、舐めるようにいつまでも見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます