第5章 ブラッディ・ローズ覚醒
第32話 不吉な依頼書
耳を突くほどの静寂に包まれていた。自分の鼓動音だけが強く響き、朽ち果てた空間を包む静寂を激しく揺さぶってしまうのではないかと不安がよぎった。
崩れかけた部屋。石造りの冷たい床に、赤黒い色で己を主張する魔法陣。その中心に、小さな結晶石が安置されていた。魔法陣を描く赤黒い線によって床に縫い付けられているかのように、その結晶石は苦しげな鈍い光を内に秘めたまま、薄暗い部屋を不気味な色で照らし出している。
天井の一部が損壊し、そこから白い輝きを放つ月が部屋を覗き込んでいた。月光も躊躇うほどの緊迫した静寂の中、佇む影は四つ。そのひとつは、鮮やかな赤に濡れていた。
「ミセフィアの王立魔術研究所から依頼が届いてるんだが」
フレズヴェールが羊皮紙を広げながらそう言ったのは、太陽がちょうど空の高い所に昇る頃だった。ミセフィアの名を聞いた途端に硬直したレフィスにいち早く反応したライリが、隣で猫の真似をしながら楽しそうにからかい出す。そんな二人を初めから無視して、フレズヴェールは残り二人に依頼内容を淡々と説明し始めた。
「依頼主は研究所の主任カロン。こいつはリュシオン文明の第一人者でな」
「リュシオン……神族の失われた文明ね」
相槌を打ったイーヴィに頷いて、フレズヴェールが眉間に深い皺を寄せる。
「今回はちょいと厄介かもしれんぞ」
「……と言うと?」
「場所はルナティルス国内だ。とは言ってもルウェインに近い、外れの方だが。ルウェインの北東にある極寒の街ノーウィから、東に約二十キロの位置。場所はルナティルスの北西にあたるが、そこにフィスラ遺跡がある。リュシオン文明の遺産であるフィスラ遺跡を研究してきたカロンによると、内部にはあのルナティルスの秘宝に似た禁忌が眠っているらしい。魔族や邪な者の手に渡る前に、その禁忌の秘宝を厳重に保管し、研究所まで持ち帰る事が今回の依頼だ」
次第に声を落とし、囁くように告げたフレズヴェールが、依頼内容の書かれた羊皮紙を誰にも見られないように素早く丸める。
「あのブラッディ・ローズに似た秘宝だからな、何が起こるか分からん。用心して行けよ。それからこれを持って行け」
カウンターに置かれた白い何かを見るなり、それまでレフィスで遊んでいたライリが物珍しそうに声を上げた。
「へえ、白トカゲの皮だ。よくこんな物が手に入ったね。見つけるのは相当難しいって聞いたよ」
「え、何? それ」
「相変わらず石女は脳味噌まで石の塊なんだね」
大げさに溜息をついてみせるライリの代わりに、イーヴィが白トカゲの皮を持ち上げてレフィスの前に置いた。よく見ると、紺色の魔法文字で難解な魔法陣が描かれている。
「白トカゲの皮は魔法の力を増幅させるの。特に白魔法の力に適しているわ。描かれている魔法陣は封印術式みたいね」
「その白トカゲの皮で秘宝を包んで封印し、確実に研究所まで運んでくれ。何度も言うが、気をつけて行けよ」
いつもとは何かが違う雰囲気に、レフィスも心なしか緊張する。カウンターに置かれたままの白トカゲの皮に描かれた魔法陣が、これから起こる事を予期するかのように、一瞬だけ光の線を滑らせた。
ベルズを発ち、ルウェインの北東にある極寒の街ノーウィへ着いたのは夕刻だった。目的地はここから更に東へ約二十キロ。改めて考えずとも、フィスラ遺跡に着くのは夜中になるだろう。加えてノーウィはルウェインとルナティルスの国境付近にある最後の街で、そこから先は鬱蒼とした森が延々ルナティルス国内まで続いている。
視界もろくに確保できない夜、更に視界の悪い森へ入るのは得策ではない。ましてや行き先は、あのルナティルスなのだ。いくら中心部から離れているとはいえ、今までのように簡単に通り過ぎる事は出来ないだろう。
依頼内容も、行く先も、今までとは比べ物にならないほど危険だ。雪交じりの風を受けて乾いた唇をきゅっと結んで、レフィスが気合を入れる為に深く息を吸い込んだ。
「今からだと夜になるな」
そう言って空を見上げたユリシスが、次いで後ろを歩くレフィスたちへと視線を向けた。
「今夜はここに泊まろう。道具の補充や武器の手入れをしてから、早朝フィスラ遺跡へ向かう。それでいいか?」
「そうね。体力も気力も戻しておいた方がいいでしょうし、何より闇の時間にルナティルスに入るのは御免だわ」
「僕は夜目も利くけど、一人生き残っても仕方ないしね」
さらりと縁起でもない事を言って、ライリがさっさと宿へ向かう。その後を歩くイーヴィに続こうと足を動かしたレフィスを、ユリシスの静かな声が止めた。
「レフィス」
その声音に若干の躊躇いを感じて、レフィスが不安げにユリシスを見上げた。黄昏の日の光に、ユリシスの髪が折れそうなほど儚く輝いている。今にもそこから消えてしまいそうに、弱く、揺れる。
「お前は、ここに残るか?」
「……え?」
一瞬の静寂。風が止んで、ユリシスの声だけが降り積もった雪の上に落ちる。落ちて、ゆっくりと沈んでいくように、その言葉はレフィスの胸に深く染みこんで行った。
「どうして……?」
「ルナティルスはお前が思っている以上に危険な土地だ。今までのようにはいかない」
「そんなの、分かってるわよ。大丈夫! 自分の身くらい自分で守れるから」
あえて明るく言葉を返し、レフィスが逃げるようにユリシスに背を向けて宿へ走り出す。
「私、絶対一緒に行くからね!」
途中で一度振り向いたかと思うと、風にも負けない声でそう言って、レフィスは精一杯笑って見せた。そうでないと、泣いてしまいそうだった。なぜ涙が零れそうなのか、理由は十分すぎるほど分かっていたが、それを自分で認めたくはなかった。
「……言ってみただけだ」
宿に走っていくレフィスの後姿にぽつりと呟いて、ユリシスが再びルナティルスに広がる森の影を見つめる。既に日の光を失いつつある森は、内に秘めた暗く湿った触手を伸ばし、不吉な闇を広げていく。
ごうっと一層強く、風が啼いた。
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