第11話 月下の尾行
レフィスが猫になって五日目の朝、フレズヴェールが吉報を告げた。
「昨日の夜に研究所から報告があってな。星屑の灰を届ける任務は失敗したから報酬はなしだが、その代わり責任も問わないとさ。星屑の灰で猫になるって事は、お前さんで実証済だからな。で、その効果が続くのも長くて五日間だとさ。良かったな、今日で五日目じゃないか。やっと人間に戻れるぞ」
「良かったぁ。……でも報酬はなしか。残念」
少しだけ肩を落としたレフィスを見て、フレズヴェールがせめてもの慰めにとミルクを差し出してくれた。
「まぁ、いい勉強にもなっただろ」
「うん。同じ事をユリシスにも言われた」
今ではミルクも上手に飲めるようになったらしい。鼻に吸い込む事なくミルクを平らげたレフィスが、小さな舌で口元を舐めてから、おもむろにフレズヴェールへと顔を向けた。
「ところで、マスター。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「何だ?」
「……ユリシスって、どういう人なの?」
仲間について今更何を教えろと言うのか、幾分面食らった表情でフレズヴェールがカウンター上の猫レフィスを不思議そうに見下ろした。
「私、皆の事よく知らないと思って」
「まぁ、お前さんの仲間は皆揃いも揃って不思議な奴らばかりだからな。俺もあんまり詳しい事は知らない。個人的に立ち入った事なら尚更だ」
「マスターでも知らないの?」
「プライベートな事だからな。ギルドマスターと言えど、そこまで突っ込むわけにもいかんだろ」
「……似たような事、ユリシスにも言われた」
同じ事を言われてばっかりだと、レフィスが小さな溜息を漏らす。確かに仲間と言えど、個人的に奥深くまで立ち入る事は、互いが了承しなければ許されない事だ。
けれど、仲間であるからこそ、相手の事をより深く知りたいと思うのは、おかしい事なのだろうか。
「私……仲間の事は出来る限り知っておきたいと思うの。これっていけない事なの?」
「お前さんの言う事にも一理あるだろうよ。秘密だらけの相手を仲間として信用する事は出来ないしな」
そう言って、フレズヴェールが大きな手のひらでレフィスの頭を豪快に撫でた。あまりに豪快すぎて、小さな体がよろりと傾く。
「いい意味で、あいつらの仲間になったのがお前さんでよかったと思ってるよ」
にかっと笑ったその顔に幾分かの元気を貰って、レフィスは少しだけ勇気を得たような気がした。
やっぱり今夜もユリシスは出かけた。
いつもなら気が咎めて後を追う事はしないレフィスだったが、今夜は違う。昼間フレズヴェールから元気と勇気を貰ったばかりだ。
静かに閉まる扉の音を確認し、レフィスはそろりとベッドから這い出した。昼間のうちにさりげなく開けておいた窓を頭で押し開けて、こっそりと下を窺い見る。ちょうどユリシスが宿から出たばかりだった。
「いけない事よね。分かってるわ。……でも気になるんだもの。ちょっと様子を見るだけよ、見るだけ」
何度もそう言い聞かせて、レフィスは冷たい風の吹く夜の街へと飛び降りていった。
猫なだけに、案外気付かれずに尾行する事が出来たレフィスは、街から離れた人気のない森の入り口まで来ていた。特別な用事でもなければほとんど誰も来ないただの森、その奥にユリシスが消えていくのを見たレフィスが、少しだけ躊躇うように来た道を振り返る。
「入ると迷いそうよね。……うぅん、せっかく来たんだもの。頑張れ、私!」
ぐっと心の中で拳を握りしめて、レフィスは鬱蒼とした暗い森の中へ駆け込んでいった。
訪れる者のほとんどいない森の奥。少しだけ開けた場所に、細い月光が差し込んでいる。その光に照らされて浮かび上がる影が、二つあった。
「変わりはないか?」
問いかけたのはユリシスだった。返事の代わりに頷いた影が、その身に纏う漆黒を月光の下に曝け出す。
真っ直ぐに伸びた長い黒髪と漆黒に紛れる同色のマント。白い肌を隠すように、その顔の上半分を不可思議な黒いマスクで覆っている。一目見ただけで異様な雰囲気を感じ取る事が出来たが、不思議と不快感はない。なぜそう感じるのか、茂みから様子を窺っていたレフィスは、本能的にその答えを導き出していた。
「……ユリシスの影みたい」
存在を感じさせないのに、けれど振り返れば確かにそばにある。そういう雰囲気を纏う人物だった。
「今のところは、何も。ルナティルスでは未だ秘宝の行方を躍起になって探しています」
「そうか。……まだ知られていないと言う事か」
「ですが、魔族の数はどんどん増えてきています。奴らを使って秘宝を探し出そうとしているのでしょう。……このままでは魔族による被害が増える事は免れません」
「……」
「秘宝が見つかった以上、ユリシス様には一刻も早くルナティルスへ……」
「まだ時期ではない」
「しかし!」
「ルヴァルド」
言葉を続ける事を許さないかのように、ユリシスが重みのある低い声で影の名を呼んだ。冷たい響きを持つ声音に、レフィスまでもがびくんと体を震わせる。
その弾みで、レフィスを隠していた茂みががさりと音を立てた。
(やばっ)
瞬間、二人分の鋭い視線がこちらへ向けられる。
「誰だっ!」
その声を合図に、レフィスは弾かれたようにそこから一目散に走り去っていった。
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