揺れる心-6
夜明け前、ようやく城に戻ってきたエリンが主の部屋のバルコニーを目指し、大屋根から外壁の飾りに降りた時のことだった。
「待っていましたよ」
穏やかな声にギクリと背を固くする。ツヴァイがいつの間にか背後に立っていたことに、エリンは気付いていなかった。
「先生……」
群青に染まる視界に、師の白い衣がゆったりと翻る。
「返してもらうものがありますね」
「……」
師の持ち物を無断で持ちだした上に、その目を盗んで城を出ることができるなど、全く幼稚な思いあがりであったことを思い知る。
幼い頃からツヴァイへの恐怖心が無意識に刻まれているエリンは咄嗟に後ずさるが、ツヴァイは弟子の行動を咎めるつもりは無いようだった。
「どこへ行っていたか、と尋ねるつもりはありません。あなたの主のご意思なのでしょうから。ですが……」
ツヴァイは微かに目を細めた。
「私も、私の主にこれ以上苦しんで欲しくないのです。姫が弟君を気遣っておられるならば、私も手を貸しましょう。次からは話しなさい」
深かった夜の青が、新しい太陽の気配に薄められていく。まもなく、アヴァロン城に朝が来る。
師の優しい表情が徐々にくっきりと浮かび上がり、エリンは安堵した。そして、緊張が解けてゆくのと同時に、幼子のように素直に、不安げな言葉が口をついて出る。
「先生……私は、どうすれば良いのでしょうか。とても……とても、大変なことを聞いてしまいました」
「……大変なこと?」
ツヴァイはあくまで穏やかに問い返す。
「バシリオ・コルティスは皇子を利用しようとしています。ベネディクト殿下が……帝位に就くことを、望んでいると」
今夜見聞きしたことをアーシュラに報告せねばならないことが辛い。彼女はきっと悲しむから――いや、それだけではない。この苦しい感じは、何よりも、ベネディクトのこと思ってのことだ。胸が傷む。友人が出来たのだとあんなに喜んで、笑顔で過ごせるようになったのに。
「帝位……ですか。剣呑ですね」
早朝の涼しい風を受けながら、ツヴァイが言う。
「それだけ、時間が経ったということでしょうか」
「先生……?」
「アドルフが全てを捨てて作り上げた安定も、永遠には続かないということなのでしょう。とても……悲しいことです」
城の一番高い尖塔の先、最初の光が届く。
「さあ、姫が目を覚まされる前に部屋に戻りなさい。そして、見聞きしたことを全てお話しなさい。あなたが今感じている辛さと重さは、主人と分かち合うべきものなのですから」
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