雨を嫌う男の肖像

希望ヶ丘 希鳳

〇月✖✖日(雨)

目を覚まして最初に目に入ったのは、雨に濡れた窓ガラスだった。もう何日か雨が降り続いてる。早く晴れてくれないか、とは思うものの、願って天気が変わるわけもない。天気予報を確認すると、午後から晴れるって事らしい。僕はホッと胸を撫で下ろして寝室を後にした。


 雨は嫌いだ。どうしても、思い出したくないものが思い出されてしまう。会いたいと心から願っても、絶対に会えない人にどうしても会いたいと思ってしまうんだ。




     ◆




 何年か前の話になる。僕には恋人がいた。僕は彼女を愛していて、彼女も僕を愛してくれていた……と思う。実際仲良くしていたし、何だかんだ上手くいっていた。というのもまぁ、よくよく考えれば彼女が僕よりもずっと大人で、いろいろと目をつむっていてくれただけなんだろうけれど。


 僕は感情を表現するのがすごく苦手で、彼女に気持ちを伝えたいと思ってもなかなか伝えられなかった。彼女の目を見て本心を伝えるなんてとてもじゃないけど不可能で、そんな僕に出来たのは作り笑いを浮かべて「愛してるよ」と、とりあえず口にする位だった。


 でもやっぱりどこかで彼女の心は傷ついていたのかもしれない。あの日、初めて僕達は喧嘩をした。


「どうすればいいの?」


 彼女は怒っていた。


「本当の事を言ってよ。どうしてそんな嘘つくの?」


 言葉は本心のつもりだった。でもどこかでズレが生じていたのかもしれない。怒っていた彼女に僕はあの時なんて言ったんだろう。ただただ熱くなっていて、お互いに何を言い合ったのかさっぱり覚えていないんだけど、君が泣きながら帰って行ったのは鮮明に覚えてる。


 僕はただ彼女に謝りたい一心でメールを送った。


『君に話したいことがあるんだけど、今夜聞いてくれないか? 僕について、君が知りたがっていること全部話したいんだ。寝室で待ってる』


 その日は雨で、やたらと風が冷たかったのを覚えている。


 結局彼女は来なかった。


 いや、来れなかったというべきなのかもしれない。彼女はその日、僕の家に行くと言って出掛けてすぐに、事故にあって死んでしまった。




     ◆




 彼女が亡くなってから何年か経って、今僕には新しい恋人がいる。でも何故かまだ気持ちの整理がついてないみたいで、雨が降ると彼女を思い出して、頭がおかしくなってしまうんだ。


「昼から晴れるんじゃなかったのかよ……」


 天気予報が外れたみたいで、むしろ雨脚が強くなっていた。窓ガラスを打つ雨を眺めてまるで彼女が泣いているようだと感じた。




 ――ただただ悲しい、僕は君に何もしてあげられなかった。




 彼女が死んでも世界は何事もなかったかのように回り続けて、常に変わっていく。日が沈んでは昇り、彼女の時間は止まっても僕の時間は止まらない。


 もう何もかも投げ出してして楽になりたい。何度願ったことだろう。そんな事出来るはずもないのに。




 僕は君が思っているほど、優しい人間じゃないんだろうね。君の顔を覗き込んでは、作り笑いで「愛している」と言ってキスをしてしまうような、ズルい人間なんだし。


 どうすればよかったんだ。どうしたら正解だったのか誰か教えてくれよ。


 僕はただただ悲しくて、辛くて、窓ガラスに映る自分を見て惨めだと笑った。




     ◆




『君に話したいことがあるんだけど、今夜聞いてくれないか? 僕について、君が知りたがっていること全部話したいんだ。寝室で待ってる』


 何度見返した事だろう。あの日このメールさえ送らなければ彼女が死ぬことはなかったのだろうか。


 どれだけ待っても、彼女は僕の寝室に来ることはない。それは分かってる。もう忘れなきゃいけない。それも分かってる。でも僕にはどうしても、彼女を忘れる事なんてできない。我ながら馬鹿な奴だと心から思う。


 いつだって彼女は僕に幸せをくれた。僕は彼女に何もしてあげられなかったのに、彼女はいつだて僕に元気をくれた。彼女を心から愛していた。だから忘れられない、どうしても、思い出してしまうんだ。


 どれだけ方法を探しても、もう彼女と過ごしたあの日々を取り戻すことは出来ない。


 僕はもうおかしくなってしまっているみたいだ。いや、彼女といた頃からおかしかったんだろうと思う。でもそれは彼女の所為じゃない。これを彼女が生きている時に言ってあげたかった。もう遅い、そんなことは分かってるんだけれども。




     ◆




 ――僕は君が思っているほど、優しい人間じゃないんだよ。君の顔を覗き込んでは、作り笑いで「愛している」と言ってキスをしてしまうような、ズルい人間なんだ。


 どうすれば、どうしたらよかったんだよ。誰も何も教えてくれなかったじゃないか。君がいてくれれば僕はそれだけでよかったのに。


 僕はただただ悲しくて、辛くて、鏡に映る自分の顔を思いっきり殴りつけた。




     ◆




 不思議なもんで世界は何があっても止まらずに回り続けている。こんなに厚い雲に空が覆われても、見えないだけで日は昇り、また、沈んでいく。同じ景色を見せることなく世界は常に回り続けている。


 それでも僕には彼女がいない世界なんていらないんだ。色のないこんな世界なんてぶっ壊してもう一度彼女に会いたい。そんなことは出来ないってわかってるけれど。




     ◆




気付いた時には終わりを告げ


全てが僕を笑うんだろう?


風が冷たいこんな日は


君を思い出すよ




     ◆




「もう忘れて、それでいいのよ」


 目の前に、君がいた。とても優しくて、でも今にも泣きだしそうなそんな顔をして、僕にそう言った。


「忘れる事なんてできるわけないだろ!」


 僕は叫んだ。


「忘れるわけがない。だって僕は君にまだ何もしてあげられてない」


「そんなことないよ」


 君はそっと僕に手を差し伸べてそう言った。


「私はあなたに毎日元気をもらった。あなたといると元気になれたもの」


 僕の頬を伝う滴を彼女はそっと拭い、僕が好きだった笑顔でそっと僕にキスをした。


「あなたは優しい人よ。いつだってそう、とっても優しい人。でも私はあなたが思うような完璧な女の子じゃないからどうしたらいいのか分からなかった。


 ごめんなさい、さようならを言えなくて、あなたの傍にいてあげられなくて。でも、もう泣かないで。あなたのそんな顔、見たくない」


 声が震えていた。彼女もまた泣いていた。やめてくれ。泣かないでくれ。僕だって泣いている君を見たくないんだ。


 考えるより先に体が動いていた。君を力いっぱいに抱きしめて「愛してる」と云った。


「僕は君の思うような優しい奴じゃないんだろう。でも、君が泣いているのを黙ってみていられるような奴でもないんだ。泣きながらさよならなんて、まっぴらだ」


「ありがとう」


 と君は言った。もうお別れの時間らしい。お互い、最後の言葉は決まっていた。




 ――僕は君に、君は僕に「愛してる」と、ただそれだけを――




     ◆




 目を覚まして最初に目に入ったのは風に揺れるカーテンだった。いつの間にか眠っていたらしい。


「おはよう!」


 寝ぼけている僕に彼女が笑いかける。


「おはよう」


 と僕も答えて、お互いに笑った。


 雨は上がったらしい。そりゃそうだ。だって止まない雨なんてないんだから。










                                  ~end~

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雨を嫌う男の肖像 希望ヶ丘 希鳳 @kihou777

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