05-エピローグ②:それは、平和を象徴するバケモノ①



 この出来事も、悲劇の始まりだった。

 少なくとも、彼にとっては。


「ナナオ」

「にいちゃ」

「抱っこしよ」

「うん!」


 風音には、「弟」がいた。血の繋がりがあるわけではなかったが、それでも、彼にとっては弟だった。抱っこすると頬に当たるふわふわの猫っ毛は、白と茶色という少々奇異なまだらな色をしている。どうやら生まれつきらしい。物心がついた時からその色だったと語ってくれた。

 彼の名を呼ぶと、すぐに満面の笑みを浮かべた少々舌足らずな話し方をした男の子が駆け寄ってくる。彼は、風音と10歳違い。16歳の風音にとって、その子は自身が守らないといけない存在だった。


「ナナオは体温が高いね」

「にいちゃも、あっかたい」

「あはは。あったかい、ね」

「あっかたい!」


 彼は、普通の6歳ではない。とはいえ、知能面は普通の人と変わらない。いや、それ以上かもしれない。しかし、精神面が少々他の人と違う子どもだった。

 言葉の発達が遅く、話すことが苦手らしい。風音と会話するようになったのも、ここ最近の話だった。それまでは、首を振ったり笑ったりとジェスチャーで会話していた。

 風音は、こうやってナナオが話してくれることが嬉しくて仕方ない。上界の任務がない日は、家で彼と遊ぶ日々を送っていた。任務の時は、母親が見ていてくれる。


「今日は、雨だからお菓子作ろうか。ナナオの好きなチーズケーキやるよ」

「うん!にいちゃ、甘いの好き!」

「オレも好きだよ。一緒に作ろう」

「つくる!ねえちゃのも!」

「そうだね、今日は早く帰ってくるらしいから作ろうね」


 チーズケーキの名前が出ると、興奮する様に頬を紅潮させて風音にギューッと抱きついてくる。そんな仕草も、彼にとっては嬉しいもの。そのまま抱っこして、2人はキッチンへと消えていく。


 彼の名前は、「ナナオ」と言った。

 風音家に来た日、泣きながら自身の名前を教えてくれた。その言葉以外全く話さず、ただただ泣き続けている彼にオロオロした日が懐かしく思える。


 その子ども……ナナオは、1年前に風音の父親がどこからか拾ってきた子だった。



***


 その日は、どしゃぶりの雨が降っていた。梅雨真っ只中で、気が滅入る日々が続いていたのを彼はいまだに覚えている。


 15歳になったばかりの風音は、そんな雨音を家の中で聞きつつ好きなスマホゲームをしていた。ソファで少々だらしない格好を披露するも、まあ家の中だから致し方ない。とはいえ、その口元にはガスマスクをしっかりと着けている。

 その隣に置かれているソファテーブルには、これまた好きな蜂蜜漬けのナッツが沈んでいる紅茶が置かれていた。それをゆっくりと飲んでいる時だった。


「ありさ!ゆみ!いるか?」

「!?」


 父親である風音時雨が鬼の形相をして玄関から帰還してきた。びしょ濡れになったその身には、ぐったりとして動かない小さな子どもを抱いている。家を出た時に着ていたトレンチコートは、その子どもの身体にかけられていた。


「姉さんたちは、部屋。呼んでくる」

「待て、ユウト!お前は風呂の準備をしてくれ」

「わ、わかった」


 普段穏やかな父親だからこそ、このような状況が非常事態だとわかる。風音は、素早くスマホをソファに投げ捨て風呂場へと向かった。後ろからは、必死に姉の名前を呼ぶ父親の声がする。あの子どもは、誰なのだろうか……。



 時雨が連れてきた子は、そのまま風音の入れたお風呂へと消えていった。その後ろに、部屋で休んでいたゆみとありさが続く。風音もそれに続こうとするも、


「ユウトは、リビングで待ってて」

「なんで」

「いいから。後で説明する」

「……わかった。温かいスープ作ってる」

「そうしてちょうだい。味は薄めね。あの身体は、しばらく食べ物を口にしてないわ」


 ありさの真剣な表情は、一度魔法省を訪れた時に見たものだった。家にいる時のリラックスしたものではなく、鋭い視線を張り巡らせていたもの。その違いが顕著すぎて、それはいまだに脳裏に張り付いている。連れてきた子どもがそれほど酷い状態なのだろう。

 風音は、そのまま急いでキッチンへと向かいキャベツを手に取ると調理を始める。


***


「ユウト、こっちにおいで」


 その子どもは、お風呂で意識を取り戻したらしい。リビングには、時雨に手をひかれ自らの足でやってきた。

 時雨の呼び声に気づいた風音は、IHの電源を切ってリビングへと向かう。


「湯加減、大丈夫だった?」

「ああ、ありがとう。ユウトの小さい頃の服も借りたよ、ぴったりだった」

「……誰なの、その子」


 風音はそう聞きながらも、その後ろに佇む姉2人の表情が硬いものなことに気づく。時雨は、言葉を発さずに連れてきた子どもをソファへと座らせた。その子どもは、大事そうに小さな袋を握っている。それがソファに当たると、急いで袋を手繰り寄せその身で守っていた。

 先ほど置きっ放しにしてしまったスマホを回収し、子どもの顔を見るためその付近に腰掛ける風音。その子どもは、真っ青な顔色で今にでも泣きそうな……いや、泣くことを堪えているような表情をしていた。少しでも気を抜けば、その瞳に溜め込んだ涙がこぼれ落ちるだろう。


「この子は……キメラだ」

「……キメラ?」

「大人の都合で作られた、戦闘兵器だよ」

「……人間でしょう?」

「いや、人じゃない。身勝手な大人のせいで、人間じゃなくなってしまったんだ」

「……時雨、どこで見つけてきたの」


 その単語を初めて聞いた風音は首を傾げるが、姉はわかっているらしい。警戒するかのように、その子どもに向かって威嚇をしている。

 特に、ありさは酷い。今にでも、その手が子どもの首に添えられるのではないかと思うほどの殺気を見せつけている。その隣で顔を真っ青にしているゆみは、いつもの威勢の良さがない。


「それは言えない。お前ら、絶対職場に言うだろう」

「当たり前でしょう?」

「だから、言えん。この子は、あるところから逃げてきたんだ。道端で座り込んでいるのを見つけた。可哀想に、もう取り外しができない身体だったよ……」

「……子どもだからって、油断しちゃダメよ。風音家に向けられた兵器かもしれないじゃないの。時雨らしくない」

「ねえ、キメラって何?」


 時雨は、その子どもにぴったりと張り付いてソファに座っていた。子どもも、それに甘えて両手をがっしりとその服装に絡み付ける。その様子は、「兵器」に見えない。

 風音は、これ以上話していてもラチがあかないと思い、口を開いた。すると、ありさの殺気が少しだけ緩んだ。


「ユウトは初めてか」

「当たり前じゃないの。学校で習うものじゃないわ」

「で、なんなの」

「……これは、国でタブーと言われている話だ。黙っていられるか?」

「……わかった」


 こうやって連れてきたということは、元々話すつもりがあったのだろう。時雨は、真剣な表情になりながら子どもの頭を撫で上げて話を始めた。


「キメラは、石を人間と合成させた戦闘兵器だ」

「……石?」

「正確には、宝石と呼ばれているものだよ。その宝石を魔法で無理やり人間の心臓に埋め込んで、その身体をえぐいほど強化するものなんだよ。しかも、その魔法はほとんど失敗すると言われている。オレも、この歳まで生きてきたが、初めて本物と会った」

「そうよ、元々戦争に使われていたものなの。この子どもだって、可愛く見えるでしょうが戦闘機と同じくらいの威力があるんだから。今、ここでその力を発揮されてもユウトのことまでは守れないわよ」

「……この子が?兵器?」


 その子がガタガタと震えているのは、寒さではない。外は多少寒いが、風呂で温まっているはずなのだ。であれば、その震えは恐怖のもの。風音は、その話を聞いてもピンとこなかった。


「そうよ。時雨、宝石はなに?」

「見た感じ、パイライトかな。ちょっとめくっても良いか?」

「……」


 子どもは、時雨の言葉に首を縦に動かした。怯えているくせに、やけに素直だ。

 その頷きに多少安堵したのか、ありさが子どもに近寄っていく。しかし、ゆみはその場から動かずに事を見守っていた。

 時雨が服をめくると、そこには金色にひかるゴツゴツとした石が埋め込まれていた。透視魔法で身体を覗くと、心臓がないことがわかる。風音も、その程度の魔法なら使えるのだ。と、言うことは、姉たちも気づいているのだろう。

 それと一緒に大事そうに握られている袋へも透視魔法を発動させると、同じ物質だろうか、同じ形をしたものが入っていた。危険を示す魔力の類は見当たらない。無理やり奪い取ることはなさそうだ。


「……言う通り、パイライトね。とんだ皮肉だわ」

「そう言うなって。今日から、この子をうちの子として育てるから」

「は!?」

「時雨、それは……」

「問答無用!メンターは結んだし、危険はない!」

「また勝手に……。危険はないの?」

「ない。オレも子どもを持つ親だよ、危険を家には持ち帰らない」

「嘘つき!前、爆破魔道書を持ち込んだくせに!」

「あれはノーカンだよ!怪我人がいなかった!」

「でも、家の半分は壊れたのよ!」

「いいじゃねーか、昔のことは!!」


 また始まった。正義感の強いありさは、こうやって少々緩い性格の父親と対立する。

 それを聞いていた風音とゆみがあきれ顔になるものの、1人だけ違う反応を見せてきた。


「ふふ……」

「……」

「……笑った」


 時雨にしがみついていた子どもが、笑ったのだ。

 言い争いをしていた2人は、その笑顔で黙りこくる。

 風音は知らなかったが、キメラは感情がないものだった。そんな子が笑えば、多少キメラに関する知識がある人なら驚くのは必然的。この2人も例外なく、驚いて目を見開く。


「はあ……わかったわよ。でも、ちょっとでも危険があったら私は排除するからね」

「それで良いよ。ありがとう、ありさ。……ゆみは?」

「私は……別に。時雨がそう言うなら従うわ。職場に直接関係がある話でもないし」

「ありがとう。ユウト」

「……事情はよくわからないけど、危険はないんでしょ?」

「ああ、オレがいる限りない」

「わかったよ」


 時雨の言葉に頷いた風音は、そのまま「戦闘兵器」と呼ばれた子どもに視線を向けた。そして、


「名前、言える?君のこと、名前で呼びたい」


 と、話しかけた。すると、その子どもは急に泣き出しながら


「ななおう、ななおー」


 舌足らずな声で言葉を発してきた。その声は、どこまでも幼く「子ども」であることを聞いている人たちに植えつけてくる。

 泣かせてしまった風音は、オロオロとしながら自然にその身を抱きしめた。ガスマスクの先端が頭に当たってしまうも、それを気にしていられない。


「ご、ごめん。ナナオって言うの?これからよろしくね」

「ナナオくん、か。怖がらせちゃってごめんね」

「ナナオって言うのか!オレには教えてくれなかったのに!」

「時雨は聞き方が雑なのよ」

「なんだと!」


 その様子を、大人3人が微笑みながら見ていた。少々親子ゲンカが始まりそうな雰囲気になるものの、子どもの泣き声には敵わない。

 風音は、ナナオが泣き止むまでその小さな身を抱きしめ続けた。


「……スープ、温め直してくるね」


 そう言ってゆみがキッチンへと消えたのを合図に、風音家はいつもの日常へと戻っていく。……新しい家族を迎えて。




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