3:過去と現実と


 その映像は、モノクロだった。


『ユキ! 今日は魚釣り行くぞ!』

『ちょっと! 今日は隣町の大きな公園行くってユキと約束しているのよ!」


 ユキの目の前で、両親がまた不毛な争いをしている。

 ここは、キッチンだ。その光景は、ユキにとって懐かしい。


『お父さん、お母さん。時間はあるんだし、どっちも行こうよ」

『……ユキがそう言うなら』

『よし、行こう!』


 いつも、言い争いを終わらせるのはユキの一言だ。彼女が発言すれば、両親はにっこり笑ってその場をおさめてくれる。


『待ってよ! 支度させて』


 と、素早くななみが反応。すでに、彼女は隣の洗面台に姿を消している。


『女性は支度が大変だな』


 と、人ごとのように笑うイチ。沸点の低いななみが聞いていたら、げんこつのひとつも飛んできていただろう。


『お父さんは準備良いの?』

『俺か? 俺は特にないぞ!』

『……歯は磨いてよね』

『忘れてた!』


 イチも、同じく洗面台の方へと駆けて行ってしまった。そのスピードに笑うユキ。

 彼女は、すでに朝の歯磨きや洗顔は済んでいるのでイチのように焦ることはない。


『……ちょっと! 私が先に』

『いいじゃないか』


 耳をすますと、両親の言い争いが聞こえる。そのやりとりも、ユキにとって笑いを誘うものでしかない。


 両親は、仲が良い。かといって、子どもであるユキのことを邪魔者にすることもない。

 むしろ、かなり溺愛していて「ユキが言ったことが正解」と思っているふしもある。そのあたりの思考回路はちょっと謎だが、良い両親であることに変わりはない。


『お母さん! お弁当つめちゃうよ』


 と、おいしそうな匂いを嗅ぎつけ叫ぶ。


『あ! お願い。すぐ行くから! ……ちょっと今使ってるのに!』

『だから少しだけ使わせてって』


 と、洗面台から声がする。


『わかった!』


 椅子を持っていき台所の作業台がよく見えるように登ると、卵焼きやできたての唐揚げが目に入ってくる。


『……1個くらい良いよね』


 特にお腹が空いていたというわけではないが、目の前にある食べ物に興味を持つのは仕方ないこと。卵焼きを一口頬張ると、すぐに卵特有の甘さが口の中に広がる。

 ななみが作る卵焼きは、甘い。イチが作ると、しょっぱくなる。よく、どちらが良いか喧嘩しているが、ユキにとってはどうでもよくどちらも美味しいことに変わりはない。


『美味しい』


 舌の上で卵焼きを転がしていると、歯を磨き終えたイチと目が合った。


『あ! おい、ずるいぞ!』


 急に聞こえてきた父親の声にビクッとするが、特に責められることはない。むしろ、イチも一緒になってつまみ食いをしている。


『お父さん、歯磨いたばっかりじゃないの』

『うまいものはいつ食べてもうまいからいいんだぞ』

『……ちょっと! お弁当の中身なくなっちゃうじゃないの!』


 そこに、身支度を終えたななみが。

 もともと顔の整った彼女は、薄化粧で事足りる。そのため、あまり化粧には時間をかけないのだ。


『ななみも食べるか? うまいぞ?』

『美味しかったよ!』

『……もう!』


 自分が作ったものを褒められて嫌な気になる人はいない。

 ななみは、2人の言葉に笑うとそのまま仲良くお弁当箱の中に食材を詰めていった。



 ***



「今日はここか」


 ユキが、いつものスクリーンの前に立って両親との楽しい思い出に浸っているところ、ミツネがやってきた。

 ここも、時間軸の中。彼女たちにとっては、夢の中だ。


「……左足どうしたの」

「ん?置いてきたのかな。特になんともなってないよ」


 ミツネは、左足が膝下からなくなっている。なのに、まっすぐ立っているのは、ここが夢だから。


 ユキの問いかけに、いつも通り優しい声で話しかけているミツネ。よく見ると、右腕も無くなっている。


「そう。調子はどう?」

「変わりないよ」

「……無理しないでね」

「ユキは優しいな」


 ミツネの様子を見て、ユキの眉間にシワがよる。


 夢にない部分は、現実でもない。それを知っているから余計。

 が、ミツネが「大丈夫」と言うのだから、ユキも黙って彼女の言葉を信じるしかない。


 ガシガシと頭を撫でられると、ユキは恥ずかしそうに顔を赤くした。


「ユキは、本当にななみの生き写しだな」

「……うん」


 生前の両親を知っている彼女の言葉に、ユキは嬉しそうに頷く。


 そうだ、この顔、この声は母親譲り。そして、五感や運動神経は父親譲り。

 よく、父親が「俺に似ているところがない」とユキの顔に穴が開くのではないかと思うほど見つめて一生懸命似ているところを探していたっけな。そんな懐かしい記憶を思い出す。


「ななみが歌で、イチがバイオリンだったか?」

「うん……」

「あいつらの出会いが音楽だなんて、意外だったなあ」


 元々、皇帝の教え子だった2人だ。

 その関係で、ミツネも両親を幼い頃から知っていた。


「……仲悪かったの?」

「ああ。何かあればすぐ言い争いでな。夫もよく嘆いていたよ」

「うちでもよく争ってたよ。そこは変わらないんだね」

「ははは、やはりあの2人は面白いな!」

「一番意味のわからなかった喧嘩は、私の手の爪の形がどっちに似ているか、だった気がするよ」


 ユキの言葉に、腹を抱えて笑いだすミツネ。


「……座る?」


 その笑い方で、身体のバランスを保とうとしていると気づき左腕を取る。彼女は、体幹で立っていたのだ。


「バレたか。私もまだまだだな」


 そう笑って、ミツネがゆっくりと座った。やはり、無理をしていたらしい。


「……無理しないでね」

「ああ、無理するとこわーい娘がどやしてくるからな」

「それって私のこと? 心外なんだけど……」

「ははは、自覚なしか」


 そういって、再度頭を撫でてきた。その力強さに、少しだけ安堵を覚えるユキ。


「……ミツネ」

「今日は「お母さん」と呼ばないんだな」

「……」


 その言葉は、真剣に言っているようで冗談にも聞こえる。どちらにも受け取れるように話している、と言う感じがした。


「……おか、お母さ、ん」


 それでも、その優しい言葉を口にしてしまう。

 実の母親じゃないとわかってはいるものの、ユキにとってはもう1人の母親なのだ。


「なんだ?」

「呼んだだけだよ……」


 ミツネは、いつも通り反応を返してくれる。

 スクリーンを向いていた視線は、いつの間にかユキに向けられていた。それがまた、優しい視線なのだ。


 それを見たユキは、抱きつこうとした。しかし、右腕と左足がないのでバランスが取れないだろう。そう思い遠慮していると、


「おいで。大丈夫だよ」


 その気持ちを透かしたように腕を伸ばしてくれる。


 ユキは、それに黙って甘えた。彼女の「大丈夫」には、何か魔法でもかけられているのだろう。それほど、ユキの気持ちを落ち着かせてくれる。


 胸に顔を埋めると、ミツネの……いや、母親の優しい香りがした。


「……あとどのくらい?」

「さあ。それよりも、カイトに伝言しておいたよ」

「……ありがとう」

「今日はあまりいれない。そろそろお暇しよう」

「……わかった」

「カイトのこと、よろしくな」

「……」


 一人では立ち上がれないようだった。それを見たユキが、素早く手を添えて立ち上がらせる。


「ありがとう」


 そう言うと、ミツネはゆっくりと消えていった。


 目に浮かんだものを腕で拭うと、ユキは公園へ出かける様子がうつされたスクリーンを背中に歩き出す。




 約束の、その日は近い……。


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