2013年【守田】31 ちょっと勇次に優しくなれそうだ。

 守田が高校一年生のとき、高校の部室棟として使われている旧校舎で千秋と出会った。

 高校三年生だった千秋は、旧校舎から槻本山を眺めながら

「うちがドラムを叩く時に意識する音は、あのMR2の音なんだ」

 と、語ってくれた。


 当時は赤いMR2の運転手を疾風と知らぬまま、疾風を尊敬したい人とも話していた。

 疾風が置かれている状況は憶測の域を出ない。

 だから、余計なことを口にはしない。


 先輩の理想であるいい子であり続けたい。

 そのため、勇次が馬鹿でも怒鳴らない。


「ところで勇次、お前はなんで、ここで脱ごうとしてんだよ?」


 しかも、ベルトを外してズボンからだ。

 アピールか、もっこりアピールなのか。

 千秋先輩に男根様を見せたいのか、この変態め。


「うるせぇな。これならいいのか?」


 下からが駄目なら、上から。そういう順番の問題ではない。

 なに、脱ぎたいの?

 確かにすごいよ。

 筋トレしているところを見たことがないのに、腹筋がばっきばきに割れているもんな。

 我慢の限界だ。


「だから脱ぐなって! 美人の前なんだぞ。奥で着替えていいって言ってくれたの聞こえてなかったのか?」


「あ? 急いでるんだから、ここで着替えてもいいだろ?」


 千秋は勇次の行動に困って、頭をかいた。

 いつも前髪をきっちりとセットしていて、いまだに見たことがなかった眉毛が、まさかこんなところでお披露目されるとは。


 北風と太陽の話を思い出した。

 高校時代の球技大会や眠る少女のライブでも眉毛を隠し続けた鉄壁の千秋前髪。

 激しい動きでは駄目だったのだ。

 逆転の発想。

 千秋自身の手で髪を弄らせるように、困らせればよかったのだ。


 眉毛が見えた。

 想像より、いいね。

 ちょっと勇次に優しくなれそうだ。


「向こうで着替えるぞ。勇次くん。ね?」


 守田はコーヒーショップ・香の制服を勇次に手渡す。

 クリーニングが終わったばかりで、透明の袋に包装されているので、勇次が受け取るとガサガサとやかましい音が出る。


「くん? ね? お、おう。わーったよ」


 渋々納得した様子で、勇次は先に移動する。

 だが、歩きながらもズボンに触っている。


「おい、千秋先輩の視界に入ってるうちはズボンに触るなよ」


 拳銃を向けられても降伏しなかったくせに、守田に注意されると、勇次は両手をあげた。

 コーヒーショップの制服を持っているものだから、弾除けに人質を持ち上げて移動しているようにも見えた。

 なんだか圧倒されている間に、勇次は守田らの位置からでは見えなくなった。


「先輩。お見苦しいものを見せてしまい。すみません」


「ちょっと、びっくりしちゃった。けど、さすがって感じだね。守田くんならわかると思うけど、うちらって客商売だから色んな人に会うでしょ。けど、その中でも中谷くんって特別だよね」


「ええまぁ、特別ですよ。でも、俺にとっては先輩も特別で」


「え? あんな風に我が道をいってるように見えてたの? そうだよね。卒業してすぐに働いてる子って岩高だと少ないもんね」


「そうっすね。俺だって、大学進学をすすめられましたよ。かがみんにも言われました」


「おー、かがみんって懐かしい先生の名前だ。うちも、かがみんに進学をすすめられたよ。一緒だね」


「先輩と一緒って、それだけで実家で働く価値がありますよ」


「またまたー、得意の冗談が出てるよ」


「いえ、冗談じゃないです」


「え、どしたの?」


 本当にどうしたのだろう。

 この後、危険なことをするから、後悔しないように告げておこうとでもいうのか。それはそれでアリだな。


「実は俺、高校一年の、であったときからずっと」


「であったときから?」


「先輩のことが!」


「うちのことが?」


「おー、守田。次はお前が着替えろよ。ん? どうしたんだ? カウンターを挟んで顔を近づけて?」


 勇次が奥から出てきやがった。

 あとちょっとで、コーヒーショップ・香と山崎クリーニング店が、いまよりも太いパイプで繋がれたかもしれないのに。

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