Case 4 兄と弟 龍之介④


 倉部と鬼海が、それぞれ両手にコーヒーの入ったカップを手に、龍之介とユキの方へ歩いて来る。

 二人の様子が、何かおかしいことに最初に気づいたのは鬼海だった。


「ユキさん? ……えーっと、どうしちゃいました?」

 鬼海が、ユキの顔を覗き込む。

 ユキは、ゆっくりとその視線を鬼海に向けた。

「猫が……」

 視線はそのまま、細く白い指先だけが一方向を示している。

 怪訝そうな顔をすると、首を傾げるように伸ばし、頭だけを動かしてユキの身体越しにその方を見る鬼海の目に入ってきたのはブロンズ像だ。

「猫ですかー? あ、ホントだ。猫が歩いてる像がありますね。ユキさん、猫苦手なんですか?」

 倉部は龍之介の横に立つと、コーヒーの入った片方のカップを手渡しながら、無言で何があったのか問いかけるように眉を上げてみせる。

 小さく頭を下げてカップを受け取った龍之介は、同時にそっと首を振り、ユキの話を待つように微かな身振りで答えた。

「やっぱり……鬼海さんにも、猫が見えるんですね。見えないんです……わたし、見えなくて」

 どうしてなんだろう、と誰に聞かせるでもなくユキは呟く。

 倉部は少し先に見えるブロンズ像を見て、ユキが何を言っているのかが分かった。

 散歩する博士と、その背後からついてくる猫の像。

 その猫だけが見えないのだとしたら。

「……もしかしたらユキには此処ではない、並行世界の街並みが見えているのかもしれないな」

 そう言った倉部は、何気なくコーヒーをひと口飲んだ後、驚いたように目を見開きフードワゴンを振り向いた。

 琥珀色のその飲み物は予想していたよりも香り高く、美味しかったのである。

「それって、ぼくたちとは見えているものが、違うってことですか? だとしたら、いつからなんでしょう?」

 龍之介が倉部の言葉に眉を顰める。

 未だにカップを二つ持ったままの鬼海は、それにちらりと視線を落とした。

 甘い匂いがするほうが鬼海のものだったらしいが、悲しげに顔を曇らせるユキにやや強引にそちらを押しつける。

「ささ、ユキさん。こんな時は甘いモノを飲んで頭を働かせましょう、ね? カフェモカです。それに甘いだけじゃないんですよー? エスプレッソのショットをダブルにしてあるから、ガツンと効きますよ」

 俯きがちに震える手でカップを受け取り、小さな声でありがとうと言う。

 掌にじんわりと温かいカップから、チョコレートの甘い匂いがユキの鼻腔をくすぐる。

 鼻の奥がつんと痛み、泣きそうな自分を戒めた。

「まあ、誰しもが同じものを見ていると考えるのは、大きな誤りだよな。自分の目に映るものが、他人と同じなんて確証は無いんだから」

 小刻みに震える両手でカップを持つユキに、倉部が優しい眼差しを向ける。

「不安な気持ちは分かるが、とりあえず座ろうか。それから、それを飲め。落ち着いたら辺りを見回して、どんな違いがあるのか話し合うってのはどうだ?」

 鬼海が心配そうな顔を隠そうともせず、ユキを見ていた。

 龍之介が先に立ち、ベンチのある場所を皆に案内する。

 なんて温かいんだろう。

 ユキはカップを胸に引き寄せ、しっかりと顔を上げて歩き始めた。

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