瑠璃の手

@tkgtotkg

第1話

 カメラのフラッシュが視界いっぱいに広がる。焚きつけれる光は心地よく、集まる視線は高揚感を齎して、称賛の声は甘美な囁きに成り代わる。

 けれど、「今日も」気付いてしまった。


「はい、オッケー! 良い感じだよ! ルリちゃん」


カメラマンが見ているのは私の手だけということに。

 

──ああ、私、また勘違いしてる。


 その事実に気づけば最後、冷たい感覚がどっと押し寄せて、死にたいって思えて仕方なくなる。恥ずかしいとかじゃなくて、呆れ。今だに夢見てる自分に心底がっかりするだけ。

 だから、表には出さないように。


「はーい! ありがとうございまーす!」


 明るい調子で答えると、カメラマンはニコニコ笑顔でシャッターを切っていく。

 多分、急に拵えたから私の笑顔の仮面はすごく歪になっていると思う。でも、大丈夫だよね。


 私の顔を見てる人なんて、いないんだから。


 手島瑠璃(てしま るり)。それが私の芸名にして、本名。パーツモデル兼OL。

 手に持つのはブランド物の高級財布。きっと、これが発売されたらインスタで自慢投稿が殺到するに違いない。それくらい、誰もが知ってるブランド。

 今の主役はこの財布。私は謂わば付け合わせ。パセリみたいな存在。

 だから、何も考えないことにする。私の仕事はそこにいるだけで事足りうるのだから。


「お疲れ様でしたー」


 仕事を終えると、駅に向かうべくハイヒールを鳴らす。それも早足で。別に急いでる訳ではなく、これも一つの仕事なのだ。

 私が仕事として受けているパーツは手、足、髪、尻の四つ。故に、それらのケア及び研鑽は欠かせない。だから、早く歩く。これも美脚を保つための術なのだ。


 特に紫外線対策は欠かせない。クリーム、日焼け止めは必需品だし、日傘は絶対するし、化粧水を開発した人は天才だと思う。

 よって、私はあまり外を歩きたくない。というか、歩かないように基本はタクシーを使っているが、駅がスタジオから程近いので仕方なく歩いている。

 駅に着くと、スマホでモデル仲間のミサに連絡を取る。


『今着いた』

『お疲れ様ー。 カフェにいるから』


 居場所を聞くと、すぐさま歩を進める。駅内にあるということで、あっという間に到着した。

 店員に話を通して、席へと案内して貰うと、スマホを弄っている女性が視界に映る。

 その女は私に気づくと、立ち上がって満面の笑みを咲かせる。


「お、瑠璃ーお疲れ様ー!」


 いつ見ても美しい顔立ち。この世のものとは思えない程、美麗で明媚なそれを見るだけで思わず息を呑んでしまう。


「ん? どしたの?」

「……え? あ、いや、相変わらず可愛いなって」

「ほんと!? えへへーありがとー」

 

 屈託のない笑顔。とても眩しくて、見ていられない。それこそ太陽みたいに、私が絶対手の届かないような場所にあるものだから。

 店員に注文を済ませて、座るとねぇねぇと話を始めるミサ。


「今日は何を撮ったの? バッグとか?」

「財布だよ。ピンクの皮製の」


 私の話をはえーとか言いながら、聞いているミサはバッグから財布を取り出して、感激に満ちた表情を見せる。


「財布かー! 私、新しいの欲しいと思ってたんだぁ。出たら買うね!」

「ありがと」


正直、商品自体に大した思い入れは無いのだけど、嫌な気分はしない。それどころか、つい顔が綻んでしまう。それも、彼女の出す雰囲気のおかげだろう。

 白谷ミサ。来年ヒット間違いなしと謳われている期待の新人。……と、なっているが、実際は業界に入って4年経っており、新人と呼ぶのはいささか疑問だが、そういうことにしておこう。

 実際、仕事が忙しくなっているのは事実で、こうして定期的に会っている私達だが、その頻度は少なくなっている。

 それがリサの状況を物語っていた。


「仕事は順調?」


頬杖をついて聞くと、首肯してピースサインを前に出す。

 それなら良かったという意思を示すべく、微笑で返す。まぁ、よく噂は聞くし、分かっていたのだけれど、本人から直接聞いてみたかったのだ。

 ふとリサを見ると、先程の表情とは打って変わって、何やら優れない顔色になっている。ピースも下がってしまった。

 どうしたのかと怪訝に思っていると、口を開くリサ。


「あのさ……その」


 言葉を選ぶようにして話すリサ。普段のリサからはとても考えられない兆候だ。何か彼女の身に有ったのだろうか。

 果たして詮索していいものなのか、いや、そもそもそれを話そうしているのでは無いかと、頭を巡らせるが、それらは全て杞憂だったと、次のリサの一言で思い知らされる。


「モデルの夢……どうなの?」


 胸を矢で射抜かれた、そんな感じがした。弱々しく、儚くとも取れるその問いは、私を動揺させるには十分すぎる威力を有していた。

 突然のことに、私は固まってしまう。何も言えないでいると、リサは下げていた顔を上げて訴えてくる。


「本当に……今のままでいいの?」


 透き通ったリサの瞳に付いた涙はまるで真珠のようで、ポロポロと落ちる様は糸が切れた真珠の首飾りを彷彿とさせる。


 ──たしか、こんな感じだった。あの時の私も。


 私の夢は素朴で、それでいて壮大だった。誰もが憧れるものだが、叶える者は限られている。

 きっと、夢だったり就きたい職というのは、決まった席があって、それを椅子取りゲームのように奪い合ってるんだと思う。

 そして、私の夢はその席が異常に少ない。


 結果、私は勝ち取ることが出来なかった。


 当然のことだった。敗因は明らかだった。だって、鏡の前に立つと、嫌でも思い知らさせるから。

 

 優れたものは私が望んだものではなかった。


 手も、足も、髪も、尻も、みんな褒めてくれた。けど、一点だけ、ある一点だけは誰も触れなかった。

 それが逆に辛かった。

 過剰に言葉を連ねることで何一つ伝えないとすれば、また同時に、何も言わないからこそ、伝わることがあるのだと私はこの時知った。

  

 そんな時、ある話が飛び込んでくる。

 

「パーツモデル……ですか?」


 私は断るつもりだった。自分が求めたものでは無いのだから、必要ない。そう言って、切り捨ててやろう。

 でも、思い出してしまう。あの輝くステージを、浴びるばかりの喝采を、憧憬の目を。

 もし、私があそこにいたら、なんて幾程妄想したか分からない。

 すると、より一層煌めきが強くなって、手を伸ばして、諦めると決めたはずなのに、頼って、しがみついて、凭れて、屈して、縋って、依存した。


「はい……よろしくお願いします」


 その時は涙を堪えるので必死だった。代わりに声が震えて、情けないくらい弱々しい返事をしてしまったことを今も覚えている。

 けれど、涙は溢れて、それはまさしく瑠璃のように輝いていた。


 そうして時が経ち、今に至る。

 

 泣きじゃくるリサに戸惑いながらも、私は御用達の笑顔の仮面を被る。

 

「なんで泣いてるの? ……ほら、涙拭いて? ね?」


 私は少し焦り気味に宥めようとする。大の大人が急に泣き始めて、注目が集まりだしてきてしまったのが半分、これ以上泣いてるリサを見たくないのが半分。


 どうして、この子は私のために涙を流すのだろう。

 友達だから?同じモデルだから?憐んでいるから?

 きっと、どれも違う。思うに、彼女は正しいのだ。彼女の為すことはすべてにおいて正しく、狂いがない。


 なぜか。答えは至極簡単。

 彼女、白谷リサは歩むことを辞めないからだ。

 答えを探すことを諦めていないからだ。

 結論を諦観や妥協で導いていないからだ。


 だから、彼女は間違えない。必ず正しくあり続ける。

 

 歩みを止めないこと、そう、あたかもモデルがランウェイを歩くように、美しく、気高くあり続ける。


 では、私はどうか。私は真逆。歩みを止めた者だ。

 妥協と詭弁で塗り固めた存在。それが私、手島瑠璃。

 どれほど手や足が美しくとも、姿勢や立ち振る舞いが汚ければ、それは偽物。仮初の産物である。


 ……リサは本当に姿勢綺麗だもんね。モデルとしても、人としても。


 ふと照明の光が眩しくなったので、上を向いて、手で覆うと白い肌に当たって、光が視界に入る。が、それはぐにゃりと歪んでしまい、目頭が熱くなる。


 我知らず泣いていた私は下を向いて周りから隠そうする。すると、一滴の雫が手にポツリと落ちて、玉を形成する。


 美しい手。けれど、私の心は冷ややかな感情に埋め尽くされていた。



 リサとの一件が起きて以来、ここ二ヶ月は会っていない。

 いつもなら、気軽に連絡出来るはずなのに、今は憚れてしまって諦めてしまう。そんなことを続けていると、マネージャーから一報が入った。


「撮影……ですか? それもモデルとして」


 突然の連絡に驚きを隠せなかった。なんの脈絡も無く、訪れた転機。願ったり叶ったりだった。喜びの感情がじわっと広がる。

 でも、その先の言葉が出てこなかった。頭の中では理解していても、言葉を紡ぐことができない。

だって。


 ──私は一度敗北している。あの競争に。


 そんな私が出る資格はあるのか、なぜ私が選ばれたのか、相応しくないのではないか。

 一度嵌ると否定的な言葉が湯水のように湧いてくる。それがさらに重圧を大きくして、より一層言葉が出なくなる。

 でも、何か言わなくては、とようやく口を開いた。


「少し、考えさせてもらってもいいですか」


 それが精一杯だった。声は掠れて、聞こえるか怪しいくらい幽かだった。

 マネージャーは明日には答えを聞かせてほしいと伝えると、通話は終わってしまう。

 力が抜けて、その場で崩れる。何もやる気が起きず、動かないまま時が過ぎる。

 時針は進み、気づけばすっかり夜になっていた。

 再度、スマホが着信を報せる。けれど、相手がマネージャーでは無いことを知っている。

 私はゆっくりとスマホを取り、電話を取る。


「……もしもし」

『あ、瑠璃。あら、どうしたの? 元気がないようだけど』


 電話の相手は私の母だ。実家を出て以来、三ヶ月に一回は連絡を取り合うようにしていて、その日が今日なのだ。

 久しぶりの母の声に気持ちは和らぐが、同時に拒絶の念が湧いてくる。タイミングが悪いと心底思った。

 心配な様子の母に私は明るく取り繕う。


「なんでもないよ。それより、何か変わったこととかあった?」

『特にはないわねぇ。歳を取ると変化に気づきにくいから。そう言うあなたは?』


 聞かれて、一瞬戸惑う。


 変化は、あった。それもさっき。

 けど、言っていいものなのか。私は答えを出していないし、決まってもないことを言うのは良くないのではないのか。

 ならば、今後のことを考えてから、相談を……。


「あの、さ」


 御託を並べる前に、口が動いていた。すぐに空気に溶けて消えてしまいそうな言の葉。

 母はそれを聞き流す筈がなかった。


『やっぱり、何かあるのね。言ってみなさい』


少し呆れるように言う母。でも、その声色から喜びの念を感じ取れたのはきっと気のせいではない。

 その事で、少し軽くなった私は話す事にした。私が話す間、母は何も言わずに聞いてくれた。

 話し終えると、しばらく考えているような間が空いて、ようやく口を開いた。


『……ひとまず、おめでとう。どう捉えるにせよあなたは、確かに、選ばれたんだから』

「うん……」


 母は続ける。


『私は、やった方が良いと思うの』


 きっぱりとそう告げられた。

 正直なところ、予想はついていた。母はそういう人だから。

 見当は付いていても、やはりはっきりと言われると、否の感情が生まれてくる。

 だから、取り敢えず理由を聞いてみることにする。


「どうして、そう思うの?」


 『え?』と間抜けな声を出した母は、ウフフと笑って朗らかに答える。


『そんなの、あなたが小さい頃からの夢だからに決まってるからじゃない』


 さも当たり前のように言ったその声音からは一抹の迷いも無い。


『あなたがモデルになりたいって言ってから、本当に頑張ってたじゃない。お化粧も、お肌のケアも、スタイルも、必死に磨いてた』

「でも、あれは昔からお母さんが、いろいろ買ってくれたり、通わせてくれたから……」


 私はもう聞いていられなくなって、遮るように反論する。

 母は諭すように、ゆっくりと話す。


『私は場所や物を用意することしか出来ないの。続けるかどうかはあなた次第なのよ』


 続けること、確かにこれまでの私の人生、モデルに費やしたと言っても、過言では無い。

 でも、今はただ惰性でやっているようなもので、母の言う『続ける』に当てはまるかは定かではない。


『瑠璃、夢ってのはね、そう簡単に諦めさせてくれないのよ。……だから、もう少しだけ、付き合ってあげたら?』


 優しく囁くように言う母だが、その言葉の端々から、哀愁が感じられた。

 その理由がわかった私は喉まで出かかった声を飲み込むと、代わりの言葉を添えた。


『か、……考えてみるよ』


 それからは他愛の無い話や現状報告などをして、通話が終わる。

  

 すっかり遅くなってしまい、ベッドに横になり、仰向けになると、微睡みが訪れて、瞼が重くなる。


 もし、神様がいるのなら。許してほしい。


 これから身勝手な妄想をするから、許してほしい。

  

 狭まっていく視界の中、手を掲げてその眼に映す。


 ──胸の内が仄かに熱くなった。



 心音が煩くて、喉が乾く。体はすっかり強張ってしまって、微かに指が震える。 

 ダメだダメだこんな調子じゃあ、と分かっていても体は中々言うことを聞かない。

 タクシーはあっという間にスタジオに着いてしまって、下りるとお洒落な外装をした入り口が私を迎える。

 この中にはきっとスタッフが待機している。それも私のために集まっている。その事実に、心拍数がさらに増える。

 掌に人の字を書いて飲む。この日のために、シミュレーションはした。パーツモデルとして経験も積んでいる。


 だから、大丈夫。


 長い息を緊張と共に吐くと、入り口を開いた。

 

「おはようございます!」


 挨拶をすると、こちらに気づいたスタッフたちが其々に挨拶を返してきた。

 先に来ているはずのマネージャーを探していると、カメラマンが忙しなく動いているのに気づく。そこにあるのは、いつもの撮影ブース。

 

 見慣れているはずなのに、今日だけは不思議な気持ちになった。


 足が止まって、そのままブースを眺めていた。すると、私を見つけたマネージャーが声を掛けてきた。

 合流した私達はカメラマンやスタッフ等に挨拶周りを始めた。と言っても、本当に忙しそうな人は飛ばすのだけれど。

 

 それからメイクや衣装のチェックなどをしていると、すぐに撮影の時間は訪れる。

 ブースに立つ前に、マネージャーが手招きをするので、近寄るとそこには大きな鏡があった。

 背筋に冷たい感覚が走った。本当に変わっているのだろうかと、不安になってくる。


 しかし、マネージャーの優しい微笑みでこちらを見るものだから、覚悟を決めて立ってみる。


「これが……私?」


 鏡の中には見知らぬ女性が立っていて、それが自分だと気づくと、何かが溢れそうになる。

 でも、堪えた。溢れたらメイクが台無しになるから。

 そんな時、肩にマネージャーの手が乗る。向けば、目尻に雫を浮かべさせて破顔していた。

 マネージャーの計らいに感謝をしつつ、私はすんと鼻を鳴らして、乱れたところが無いかをチェックしてもらう。 

 問題なしと言われたところで、私はブースへと向かっていく。

 が、一瞬、足を止めて振り向いてマネージャーと向かい合う。

 

 モデルに必要なのは、気高さと美しさ。けれど、私はそれらを持ち合わせていない。


 だから、別のものを代わりにしたいと思う。

 考えた末、思いついた。


 歯を見せて、にっと笑ってピースをする。 

 私の親友であるあの子のように。


「いってきますっ!」


 マネージャーは再度顔をくしゃくしゃにして笑った。

 太陽に少しだけ近づけた気がした。

 


 ストロボのフラッシュは不思議と眩しいとは感じなかった。いつもは目を背けるほどなのに、今日だけは臆さないと思えた。

 カメラマンも、衣装も、スタッフ一同の視線が私に集まっている。それも、手や足ではなく、私自身に集まっている。

 ひしひしと感じる視線に慣れるのは時間がかかりそうだけど、耳に届くカメラマンの言葉が癒してくれた。

 

 私に舞い訪れた仕事は服のモデル。服屋で外国人や日本人がかっこいいポーズで撮られているポスターなどがそうだ。。クライアントは超がつく大手で、私の写真は全国の店舗で貼られるらしい。

 つまり、今、このスタジオの視線ではなく、全国の人たちに私が見られるということだ。


 正直、ワクワクした。というか、私が待ち望んでいた世界がまさしくこれだった。だから、怖くはなかった。


 夢のような空間だ。いや、本当に夢かもしれない。少なくとも、今のまま何もしなければ、この撮影は夢で終わるだろう。

 今回の主役は服だ。私ではない。変わった点は私が写る範囲だけだ。

 が、今はその変化だけで十分すぎた。変化は必ずしも肯定は出来ないが、今回ばかりは間違いなく肯定出来る。


 私には名前がない。手島瑠璃という名前を知る者は指折るくらいだ。

 つまり、他人から見れば私は女性Aに過ぎないのだ。

 それほど、知られていないのならば、それは名前が無いのと同意である。

 リサがヒットまでに4年かかったように、それは当然のことだ。リサだって、初めから名が売れていた訳では無い。

 そう、これは誰もが通る道。そして、先人たちが足跡を残した道だ。

 ならば、そこを歩むまで。例え、歩みは遅くとも、納得がいくまで止める気はない。


 ストロボがまた光を放つ。


 背後にできた大きな影、壁に沿って伸びている。


 ──それは、まるで長い道のようになっていた。


 

 撮影は何事もなく順調に終えることが出来た。


「お疲れさま! 良かったよ、るりさん」

「ありがとうございます」


 現場の監督が上機嫌な様子で声を掛けてくる。どうやら私以外にも撮影する人がいるらしく、それらを纏めて取り仕切っているらしい。


「いやー流石だよ、本当に! リサちゃんの同期なだけあるね!」


 何故そこでリサの名前が出てくるのだろう。状況的にあまり気分が良いものではないというか、困るのだけれど。

 あははと苦笑いで返すと、監督はうんうんと頷く。


「リサちゃんの推薦には間違いないね!」


 言っている意味が分からなかった。

 推薦? つまり、リサが私を起用するように推したということ? そんなことをマネージャーが知らないわけ……。

 見ると、険しい表情で黙って佇んでいた。態度から察するに本当のことらしい。


「すいません、ちょっとお手洗いに」


 適当言って、その場から離れるとすぐにメッセージアプリを起動して、短文を送信。


『会いたい。時間作れる?』


 しばらくして、返信が来る。


『瑠璃がいるスタジオ近くの喫茶店で打ち合わせしてる。少しだけ時間取れるかも。それ以降は難しいかも』


 私は今どこのスタジオにいるかとは言っていない。なのに、まるで私がいるスタジオが分かっているかのような文。

 

 つまり、そういう事なのだろう。


 後ろから歩み寄ってくるマネージャーに一瞥をくれると、真剣な面向きで頷いた。


『すぐにいく』


 私は柄にもなく、走り出した。



 どうしても会って話がしたかった。


 私は、私たちは、モデルだ。


 言葉で語るのではなく、姿で語らなければならない。


 足が痛い。呼吸が乱れる。血が引いていく。周りの目線が痛い。辛くて、苦しい。


 足を止めれば楽になれるなど、何度考えたか分からない。それくらい、しんどい。


 でも、会いたかった。いや、会わなければならなかった。自分の意思以外の別の大きな何かが働いていた。


「……ふっ、ふっ、あっ!? ……いったぁ」


 足がもつれて、盛大にこけてしまう。

 けれど、すぐに立ち上がり、また駆け出す。止まってはいけない。

 痛いが、そんなものこれまでのことを思い出せば、些細なものだった。

 猶予はあまり無いのだ。打ち合わせが終わる前にたどり着かなくては。


 その時、目の前に一台のタクシーが見える。駐車先は喫茶店。間違いなかった。


 店からリサが顔を出す。私を探しているようで、首を回してキョロキョロしている。


「リサ!」


 痛みに耐えて、振り絞るように叫ぶ。叫びは届いたようで、私に気づくと慌てて駆け寄ってくる。


「瑠璃! どうしたの、それ!? ヒールで走ってきたの!? 足真っ赤だよ、それに……手も」


 目をうるうるさせるリサは体を支えようと近づいてくる。

 咄嗟に、私はリサに抱きついた。


「えっ! ちょっと、瑠璃!」


 ──堪えていたものが溢れ出した。


 別にメイクが崩れてもよかった。今だけは、良いと思えた。


「私……夢諦めないからっ……! 絶対に追いつくから!」


 訴えるように叫ぶと、すんと鼻を鳴らす音が聞こえたかと思うと、リサはギュッと抱きしめてくる。


「うん……嬉しい。諦めて欲しくなかったから……本当に綺麗だと思ったから……親友だから……ぐすん」


 優しく温かな囁きは心地良くて、聞こえてくる息遣いは落ち着いていた。


 私が秀でたものは望んだものではなかった。


 だけれども、それで、よかった。


 だって、私の周りには素晴らしい人たちに満ちているのだから。


 しばらく抱擁しながら溢した後、私たちは少しだけ話すことにした。

 リサのマネージャーにお願いをして、時間を作ってもらったのだ。


「ありがとね。モデルの件のこと。……色々変われたから」


 照れ臭くて顔を合わせては言えなかったけれど、十分伝わったようでうんと大きく頷くリサ。


「別に特別扱いしたわけじゃないよ? 本当に瑠璃が相応しいと思ったから……」

「うん、嬉しい」

「うふふ」


 愉快そうに微笑んだリサは独り言のように話し出した。


「でも、良かった。瑠璃を推して」


 唐突に話し出して困っていると、心底嬉しそうに言う。


「今の瑠璃、本当に楽しそうだもん」

「リサには敵わないよ、ほんと……」


 でも。


「いつか、必ず追い抜くよ。だから、待っててよ。期待の新人さん」

「そう簡単にはいかないよ。……でも、瑠璃なら大丈夫だね」


 リサはニッとして、いつものピースを前に出す。


 どこかでピースサインには二つの意味があると聞いたことがある。


 一つは辛い時や勇気が出ない時に元気を出して笑顔にする。

 

 もう一つは誰かに向かって頑張れと応援して成功を祈る意味。


 リサはこれを知っていたのかな。


 きっと、今のピースは二つ目の意味だろうと思って、ピースサインを刻んだ。


 車のライトで照らされたその手はこけた時に汚れたはずなのに。



 ──とても、美しかった。

 


 

 

 

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