344 第22話11:凍土国オランストレイシア③




 結局、砦は解体することとなった。

 苦労して積み上げたという民兵の中には最初反対する者もいたが、聖騎士であるクルセルヴが丁寧に、そして柔軟に説明を行ったことにより粗方の同意を得られた。

 仕方のない、というよりある意味当然であった。

 こんなところに二百を超える民兵が生活できるほどの建物が建っていたとしても役に立つどころか邪魔なだけだ。


「それに、中央にバレたりすれば、下手をすると頭と首から下が永遠にお別れすることにも成り兼ねねえぞ。比喩じゃあなくてな」


 ランバートがそう言ってしっかりと警告するも、彼らのほとんどは「ヒユ?」などと言って首を傾げるばかりである。



 教育レベルの違いというものが如何に格差を生むのかの実例を、ハークは学びつつあった。

 彼らは決して悪人ではない。互いを守ろうとしただけだ。

 だが、その行動によって今、国家の罪人になりかけている。その原因は、ただ知らぬだけなのだ。


 彼らは幾つもの間違いを犯していた。


 まず、この地にいた駐屯部隊は我が身可愛さに中央へと逃げ帰った訳ではない。戦力の一極集中という、ごく単純な軍事行動がゆえである。ワレンシュタイン軍が捉えていた帝国の蠢動の兆候を、ここオランストレイシア軍も事前にしっかりと察知していたことになる。

 凍土国オランストレイシアは、帝国との総戦力で大きく差をつけられている。戦力の一極集中を行わないということは、戦争を始める前から勝利の可能性を諦める行動に近い。

 また、この地の住民たちを決して見捨てた訳でもない。この地域は帝国が目標とすべき戦略的要地に全く適していないからだ。

 帝国の地より最も遠いし、その間、侵攻先である凍土国の領土を通らねばならない。当然、途上で発見されるだろうし、運良く露見を免れて無事に辿り着けたとしても、ここはモーデル王国、もっと言えばワレンシュタイン軍との挟撃を最も受けやすい地点になる。


 つまり、この地が襲われるのは、普通に考えれば最低でもこの国の王都がまず陥落し、占領を受けてからということになる。ここの住民たちに、少なくとも帝国からの軍事的危機は現在のところ、全くない。


 駐屯していた軍の一部隊はこれらをきちんと説明してからこの地を離れた筈である。

 そうと予測したクルセルヴが集まった民兵たちに改めて確認してみると、その内の数名が「そう言われてみれば、そうと説明された気も……」などと自信なさげに告白してくれた。しかし、文章で残された訳でもなく、残しても読める者がいないと考えられたのか、はたまたそんな時間すらなかったのか口頭のみに留まり、おかげで住民たちが他の住民たちに伝え、また別の住民にへと伝えられていく過程にて伝聞は悪い方悪い方へと内容を歪められ、変えられてしまったようだ。

 このようなことは、集団心理を放置するとよく起こり得る現象の一つであるらしい。


 知らぬということ、知識の格差とはこういう弊害を生んでしまうのだ。


「とにかく、この場にこんな砦を放置したままにしておく訳にもいくまい。中央に知られれば厄介の種に成るであろうし、万一の避難路で考えれば障害物でしかない。ではヴィラデル」


「え~~、アタシがやるのォ?」


 ハークの説明と指名に対して、いかにも面倒くさそうな言葉をヴィラデルは返す。


「頼む。儂は、土魔法はほとんど使えぬも同然なのだ」


「ハークに頼まれちゃったら仕方がないけれど……、アタシも土魔法に関しては初級までしか使えないのヨ?」


「……そうだったな」


 魔法の才を有する者であっても、属性を司るそれぞれの精霊との親和性は各個人によって様々である。親和性が高ければ得意属性となり、反対に親和性が低いと不得意属性となってしまう。

 ハークの場合は炎と風を得意とし、逆に土と氷を不得意としていた。特に土属性魔法の覚えが悪く、苦労させられた記憶もある。


 そして、魔法と武器戦闘の双方を使いこなしながらも、魔導に於いては高レベル冒険者たちの集まるオルレオンにあっても並ぶ者なしと評されるほどのヴィラデルであっても、やはり不得意魔法の属性は存在する。

 それが土と水なのだった。ただし彼女は、エルフとしての長い年月を費やして、野外活動に便利な土属性の初級魔法を全て会得していた。


 普段の態度と、そして言動からはあまり想像がつかないが、ヴィラデルは意外なほど努力家なのである。


「分かった。日毬、手伝ってはくれぬか」


 ハークがそう一言声を掛けると頭の上から囀りが降ってきた。同時に、ハークが髷代わりに髪をまとめ結ぶ箇所より、ぴこんと六枚のはねが起き上がる。


 了承の意を聞いたハークは、優しい声で日毬への語りかけを続けていく。


「頼むぞ、日毬。ヴィラデルの言うことをよく聞いて、やってくれれば大丈夫だ。……ん? ヴィラデル、どうかしたか?」


 ここでハークは気づいた。ヴィラデルが驚いたような、戸惑ったような、そして呆けたような表情で己を見つめていることに。

 しかもすぐには反応がなかった。


「おい、ヴィラデル。どうした?」


「あ。ああ、いいえ、何でもないワ。ちょっとイイモノ見せてもらった気分だから」


「む? ……ああ、日毬は可愛いものな」


「え? ええまあ、そんなところネ」


 その後、ヴィラデルは日毬と共にワレンシュタイン軍の土魔法使い達まで指揮して、結局わずか三十分足らずで砦があった場所を跡形もなく平らな道へと戻していた。




 最後に、クルセルヴが聖騎士の権限によって彼ら自警団たちに解散命令を出すことで、問題は完全に解決と誰もが考えていたが、そう簡単にはいかないものである。

 解散への難色を示されてしまったのだ。


 原因はこの辺りに巣くう魔物のせいであった。モンスター名はスノウブレードパンサー。白一色の保護色体で雪の中に潜み人々を襲う、非常に危険な存在なのだという。

 オランストレイシアの駐屯部隊がこの地の去り際にある程度は駆除していったようだが、虎丸の鼻によればいくらかの狩り漏らしがいるようである。


「よし、我らワレンシュタイン軍の得意分野だな! 今日一日で片づけて先に進むぞ!」


「おう! 了解だぜ、大将!」


 ランバートの指揮の元、ワレンシュタイン軍は本当に残りの半日で周辺一帯の魔物駆除を終わらせた。彼らの連携能力の高さあっての結果でもあるが、虎丸の驚異的で正確無比な索敵能力と感知範囲あってのものだということは言うまでもない。


 ただ、この作戦にハークは珍しく参加することをしなかった。

 その理由は、本人も事前に全く予期していない意外なものである。


「すまぬ、虎丸。儂はあまり斬りたくない」


『? そうなんッスか、ご主人? 珍しいッスね』


 虎丸も全く気づいた様子はなかったが、スノウブレードパンサーの容姿はいわゆる巨大なユキヒョウの手足や背中に鋭い刃を備えた姿であり、若干ながらではあるが、虎丸の容姿を想起させるものであった。

 もっとも、体長体格、立ち居振る舞い、面構え、特に理知的な虎丸の両の瞳とは似ても似つかず、ハーク以外のほとんどが気がついた者などいない、或いは気にしなかったのも頷ける。


「どうしたんだい、ハーク? 調子でも悪いのかい?」


 その証拠にシアすらも気づいていない。


「いや、そんなことはないよ。儂に気にせず行ってきてくれ」


 気づいた様子を見せたのは、意外なことにヴィラデルだけであった。


「ふう~~ん。憐憫の情、ってヤツかしら?」


「すまん、皆まで言わんでくれ」


『?』


 増々首を傾げる虎丸に対し、呆れるという風にではなく、仕方がないなと言わんばかりな微笑みをヴィラデルは見せた。


「ま、そういうトコもあるに決まっているわよ。特に大した相手でもないし、無理にアナタたちが加わる必要もないわ。ここは、任せておきなさい」


 そして防寒具の上とはいえ、自身の巨大な胸をポンと叩いたヴィラデルに向かって、ハークはこう返すしかなかった。


「恩に着るよ。今回はヴィラデルの手を借りてばかりだな」


 と。そんなハークにヴィラデルは気にする必要などないと言う代わりにヒラヒラと手を振り、軽快に戦線へ加わるのであった。




 こうして、多少のトラブルはあったものの、ランバート以下ワレンシュタイン軍は地元住民の歓待をその日一日だけ受け、二日後には予定通りに、凍土国オランストレイシア王都シルヴァーナに到着していた。



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