341 第22話08:氷の国へ②




 出立してからしばらくして、ランバートは己の前を馬で進む獣人、しかも獣の特徴を色濃く表す集団の中に見覚えのある背中を見つけた。


 いや、記憶力の良いランバートは自身の周囲で働く者の顔と名前くらいは完璧に頭に入っている。正確にいうならばランバートは、本来ここにいてはいけない・・・・・・・・・・人物の背中を見つけたのである。


 灰色の毛皮に包まれた背中で、ランバートの記憶と中と色が違う。だが、体型、姿勢、何より筋肉のつき方は誤魔化しようがない。

 ランバートはすいっと馬を進ませ、何食わぬ顔でその人物の斜め後方に位置取った。


「お守りのいる歳ではないぞ」


 びくりと馬の上で小さく飛び跳ねた彼は狼によく似た顔を、声を掛けられた方角、斜め後ろに陣取るランバートへと向けた。

 見開かれた眼の中で忙しなく揺れる瞳、二の句が継げぬ口。獣顔は表情の変化が乏しいとはよく言われるが、見慣れたランバートでなくとも焦っているのが分かることだろう。


「……あ~~~……、殿……」


「その毛色はなんだ? わざわざ染めたのか?」


「ええ、まぁ……。すぐ取れますが」


 ワレンシュタイン家の家老、ベルサであった。しどろもどろで、未だ眼も泳ぎっ放しだった。彼は本来、色の抜けた白狼のごとき毛色の筈である。


「似合わないぞ、落としてこい。今ならまだ間に合う筈だ。城に戻れ」


「その命令は、承服しかねますなあ。苦労して施した戦化粧代わりですから」


 ここでランバートは珍しくベルサを睨むと、先程までの冗談めかした口調ではなく真剣な眼差しで言った。


「そもそも従軍を許した覚えはない」


 逆に、年の功かベルサは落ち着き取り戻し始めていた。


「おや、前の戦の時にはそんなモンを出してもらった覚えはありませんぞ」


「何十年前の話をしているんだ。……ったく、大人しくしていると思えば」


「戦となれば、殿と共にいるのがこのベルサの役目でございますれば」


「お守りはいらんと言ったばかりだぞ。今回は激戦となる。既に兵士としての盛りを過ぎたお前には危険過ぎる」


戦場いくさばで危険なのは当然の事でしょう。何と言われようと、ついていきますぞい。大体、今回の戦場は慣れない異国。いくら『戦いの天才』と言われた殿であっても、荷が勝ち過ぎでしょう」


 ランバートの表情が一瞬だけ曇る。ベルサの言葉が真実図星であったからだ。


 モーデル王国はその建国以来、他国を侵略したことはない。それはつまり翻って見れば、比較的補給の受けやすい防衛戦以外の戦争を行った経験がないことも示していた。

 今回の戦いも遠征とはいえ防衛戦。だが、異国ではしっかりとした補給路を構築できるかも怪しい。


 更に相手はあの強敵キカイヘイ。相手にとって不足はないが、ランバート自身が前に語ったように戦いは強者同士の総力戦と化すだろう。

 ランバートも指揮だけに注力してはいられない。自らも前線に出る必要があった。


 初条件での戦場にて軍全体の指揮を執りながらも、自らは最前線で全力を振るう。『モーデル王国最強の騎士』と呼ばれたランバートをして、正直なところ、不安を拭いきれてはいなかった。


「心配要らん、大丈夫だ。そのためにハーク達を連れてきたんだ」


「他の者ならばいざ知らず、ですな。殿とてお分かりでしょう? あの御仁は確かに破格の戦闘能力を持っておりますが、軍全体の指揮が得意なようには視えません。精々が部隊指揮くらいでしょう」


 強がりも正論で返される。

 軍の指揮というのは特殊な才能、そして経験が必要だ。

 人は普通、少し勉強すれば百人までの指揮を行うことは容易だという。別に戦闘に限ったことではなく、案内や誘導、商売や普段の仕事であっても、百人までであれば、多少の問題はあろうと有機的に人を配置し、動かすことができる。

 だがしかし、これ以上の人数になると、相当の訓練を積む必要があるらしい。更に、いかに努力しようとも才能がなければ実を結ばないことも多い。


 ハークにその才覚がないとはランバートもベルサも思わないが、その手の特別な訓練を積んだ形跡がないことだけは気づいていた。徒党を組んだ少数での戦闘は経験豊富でも、軍全体の指揮を任せられるほどではとてもない。


 大体からして、ハークも最前線にて力を振るう一員である。

 ランバートにもできない事を任せる気など始めからなかった。


 言葉に詰まり、鼻から溜息代わりの息をフンッと吐くランバートに向かってベルサが続ける。


「お願いでございますわ、殿。このベルサに最後の戦働きをさせてくだされ」


「良い加減にしろ、駄目だ。お前を異国の地で死なせたら家族に何と言えばいい?」


「そんなモン、殿の部下となってからとっくの昔に皆覚悟しておりますわい。しかしながら、殿をむざむざ異国で失うことになれば、どやされること請け合いです。姫様にも……、リィズ様にも合わせる顔がございません」


「あいつが頼んだのか?」


「いいえ、ご相談を受けました。今回の事に関してはロッシュ様も殿側でしたからの。となると……」


「お前しかいないか」


 ベルサは肯く。


「ええ。姫様も不安に思われているのです。殿に似て、聡明な方ですからな。悪条件を完全にご理解しておられましたぞ」


「…………」


「再度のお願いでございます。殿、このベルサに最後の仕事をさせてくださいませ」


 今度こそランバートは、ふうーッと溜息を吐いた。


「分かった。ただし前線には出るな。後方で俺の代わりに全体の指揮を執れ」


「了解いたしました。お任せください」


 ベルサは深々と頭を下げる。


「あと、家老はまだまだ辞めさせんからな」


「それも、了解しました」


「本当に前には出るなよ。お前を異国の地で死なせでもしたら、俺がリィズに殺されるからな」


「勿体ないお言葉です」


 ベルサは再度、深々と頭を下げた。




   ◇ ◇ ◇




 小さな問題が発生したのはオルレオンを出立してから四日後。そろそろオランストレイシア領内へと足を踏み入れるところであった。


 ハークは仲間たちと共に部隊後方に配置されていた。フーゲインも一緒である。


「しっかしよォ、ハーク。お前さん、日を追うごとにモコモコになってンなぁ。大丈夫なのかよ?」


 そのフーゲインが、見かねたように言う。


 彼の視線の先には、春が近づき暖かくなってきていたオルレオンでもハークが身を包むままにしていた防寒着重装備に加え、虎丸の上に揺られながらも毛布のようなもので更に上からグルグル巻きになった少年の姿があった。


「…………」


 答えたいが唇が動かない。喋るのも億劫で、仲間たちが話に興じている間も口を挟むことなく無言でいたら、かじかんでしまっているのだ。


「ハーク殿は南国のご出身なのか?」


 訊いたのは同じ位置で進軍するクルセルヴである。


「あ~~~、まァ、そうね、南国とまでは言えないけれど暖かい気候の良い土地よ。木々に囲まれた森の中で、風もほとんど吹かないし、雪も降らないわネ」


 やや答え難い質問に、ハークの代わりに答えたのはヴィラデルである。そういえばヴィラデルはこの身体の元の持ち主である故郷にて彼と出会い、その出奔の原因を図らずも作ってしまった経緯があった。


 故郷の名は、森都アルトリーリア。

 ハークの本名にも三番目に刻まれている。エルフの習慣であり、やはり出身地を示していた。


「そうか。それは堪えることでしょうな」


「寒い……。もう春だというのに、どんどん寒くなるではないか……」


 クルセルヴの同情に、やっとこさ口を開いても愚痴しか出てこない。ハークには珍しいことであった。

 動ければ少しはマシなのかも知れないが、行軍の最中に自分だけ徒歩とはいかない。モンスターも現れず、ここまでの道のりは順調そのものであった。


「ハークにも弱点はあったんだねえ」


 シアが感慨深げに言う。そう言う彼女はいつもの戦闘用の鎧姿に一着防寒着を羽織った程度だ。


「逆に……、何故に皆はそんなに平気なのだ?」


 ハークがやや不満げにそう返す。

 彼の視線の先にはいつも薄着なヴィラデルや、肩まで出した稽古着のようなフーゲインすらも一枚上に羽織っただけの姿でいる。それで特に寒そうな素振りも見せない。

 答えたのはヴィラデルだった。


「レベルが上がると、毒や病気に対する抵抗力と同じように暑さ寒さにも強くなるのよ。でも、ハークはアタシたちほどレベルが高くなってはいない上に、身体が小さいからより堪えるのでしょうねェ」


 どこか他人事のように説明するヴィラデルに、実際他人事ながら内心ほんの少しムカつくハークだったが文句を言えた義理でもない。黙って聞いているとその後の説明で、寒い地方の生物は身体が大きくなる傾向があるとの話が出てきて、つまりはこの地の魔物なども巨大なものが多いと予想できる。


 そんなことを考えていると、虎丸からの念話が届いた。


『ご主人、オイラたちの軍の行く先に、複数の武装した人間の匂いがあるッス』


『何?』



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