325 第21話09:本物の背中
無限の軌道を描くウィービングから繰り出される、たっぷりと反動をつけた拳がヒュドラの八つの頭に次々と突き刺さる。
「わあああああ、あーー!」
一撃一撃が必殺の威力を持ったそれは、蛇頭の顔面を歪め、毒牙を砕き、打ち飛ばしていく。
(すっ、すげえっ! そ、そうか! あんな戦い方が!)
本来ならクヴェレたちもまとめて攻勢に出るべき場面なのだが、思わず見とれてしまう。
突然出てきた少年拳士の籠手に包まれた拳は、いくつかの
対ヒュドラ戦において、最も恐ろしいのは無限にすらも感じられる再生能力であることは既に書いた。ただ、その次に警戒しなくてはならないのが、持続ダメージを与えてくる毒牙の攻撃である。
それを真っ先に粉砕しておくのは、危険を先に排しておく手として実に理に適っていた。
さすがはこの地を守護するワレンシュタイン軍の兵士といったところだった。明らかに戦い慣れしている。
既に無事な頭はたった一つ。頼れる攻撃手段を全て失ってはならないと、ヒュドラは一時後退を選択した。
「『
逃さぬとばかりにエリオットは飛び回転二連脚のSKILLを即発動する。鈍器のごとき足甲に包まれた左後ろ回し蹴りからの右の蹴り上げが、ヒュドラに残された一対の双牙と共に頭蓋までも完璧に破壊した。
「よぉし! あとは任せろエリオット!」
低い姿勢でフーゲインも突撃する。身体を前に倒して凄まじい加速を発揮し、瞬時にエリオットの位置を追い越してヒュドラの懐に到達する。
半ばエリオットの動きに注視していたクヴェレたちは、フーゲインの動きを全くと追えておらず、彼がいきなりヒュドラのすぐ前に出現したかのように見えた。
「決めるぜ! 『
ほぼ密着状態からのバク宙回転蹴りがヒュドラの胸元に炸裂し、表皮とその内側の肉を弾き飛ばす。ただ、本来なら勢いそのままに空中に飛翔する筈のフーゲインは既に地上にいた。飛びを抑え、再度の技の発動が行える体勢に。
そう。本命はこの後だ。
「————
今度は天空高くまで飛びつつの後方宙返りキックが全く同じ場所に炸裂した。一撃目で破壊されたさらに奥の肉、そして胸骨を砕き、本来、破壊されれば生命活動が即座に完全停止する臓器と共に魔晶石をはじき出す。
これぞ、フーゲインがモログとレベル四十五もの超巨大タラスクとの戦闘を観戦し、本気のモログが打ち放ってタラスクの岩山とさえ見間違えてしまうほどの超巨体を宙高くにまで浮かせた超絶なるSKILL、『ダブル昇星拳』を参考にして編み出した
既に習得済みのSKILLである『
とはいえ、言うは易く行うは難し。初撃の宙返りキックをどれだけコンパクトに行えるかがキモであった。
このSKILLの開発には、ハークとその従魔、虎丸の協力もあった。その甲斐あって、威力は正に絶大と言える。
心の臓と共に、再生能力の源である魔晶石を奪われて、ヒュドラはその動きを完全に沈黙させていた。
自分たちも戦う気はあったというのに一瞬でカタがついてしまった事実にクヴェレら三人は戸惑いつつも、とりあえず礼を伝えようと恐る恐る近づく。
救援に突如現れた二人は、いきなりの大立ち回りに大活躍の強烈な戦闘力がゆえに随分と大きく三人には、特にクヴェレの眼には感じられたが、実際に一歩ずつ歩み寄る度に存外二人の身体がそれほど大きくなく、むしろ小さいことに気がついた。
まだ大きい方の片割れ、頭髪の間に垣間見える角から鬼族と思われる青年でも、男性であるオットーやシュクルより背が低く、女性としては背の高い方であるクヴェレと変わらないほどだ。鎧などで武装していないせいか、細身にすら見える。
そして小さい方である獣人は、子供とすら見紛うくらいの背丈しかない。エアーを多分に含んだ感じのふわふわな頭髪や小さな背中が、先日自分たちを徹底的にやり込めた(とクヴェレは思っている)あのエルフの少年剣士を思い出させる。
二人の近くまで到達したクヴェレがまず声をかけようとしたところ、ようやく彼ら二人の様子がすこし奇妙であることを、遅まきながら見て取った。
戦闘が終わって、肩の力を抜いた感じがまるでないのだ。それでいて、二人揃って天空を見上げている。
「……?」
つられるようにしてクヴェレも上空を見上げると、何かが頭上を旋回しているのが眼に入った。
「……鳥型の魔獣? スカイホークか?」
スカイホークとは、よく『
温厚で人に懐きやすく命令に忠実。レベル二十五を超えないと実戦で役立つほどの攻撃能力は持ち得ないが、空を飛べることとその飛行速度を活かしての索敵や情報伝達にて十二分に活用することができる使い勝手の良さがある。
そのスカイホークがさらに数度旋回して街の方向に去っていったところで、ようやく鬼人族の青年が口を開いた。
「見たか? エリオット」
「ウン、四回回ったね」
「チッ。さすがにキツイか」
「そーだね。それに、今度も命令違反したら、さすがにマズすぎるよ。復帰して一カ月も経たないうちにまた謹慎とか笑えないよ」
「わーってらぁ。癪だがよ。ちゃんと守るさ、『ヒュドラ相手に完全なる数的優位を取れない場合は逃げに徹せよ』……ってな」
「あ……あのさ、アンタら」
おずおずと話が途切れるタイミングを見計らって声をかけたクヴェレに、鬼族の青年と獣人族の少年が二人一緒に振り向く。
「助かったよ。感謝する」
プレッシャーのようなものも感じたクヴェレだったが、とりあえずは当初の予定通り礼を述べる。
しかし、帰ってきた言葉は、まるで想像もしていないものであった。
「お前ら、運が悪かったな」
「「「は!?」」」
クヴェレたち三人は、いきなりの台詞をもらってワケが分からないといった表情となった。
そこへ、獣人族の少年が先の同僚の言葉を補完するように発言する。ふわ毛の頭髪から覗く垂れた耳が揺れて、元来子供が苦手である筈のクヴェレであっても、可愛いと思えてしまう。
「本来なら、ここで皆さんと名乗り合いでもして、自己紹介でも行えれば良かったのですが、そうもいかなくなりました。皆さん、まだ走ることはできますね?」
「あ、ああ。
答えたのはクヴェレとは逆に子供好きのオットーだった。
「よかった……。今からここにまた、ヒュドラがやって来るそうです。しかも四体も」
「よ、四体!?」
「ヒュドラってのは、実はすっげえ鼻が利くんだよな。まぁ、実際のところは鼻じゃあなくて舌で空気中の成分を感知しているらしいが、そんな専門的なことはいいとしても、頭八つ分はあるワケで、普通に考えても超優秀なんだ。お前らこの先で、何かモンスター倒しただろ? そこが、運の悪いことに今からやって来る四体のヒュドラの感知範囲に、まとめて入っちまっていたらしい」
「あ! じゃあ、さっきのスカイホークは……!?」
「気がついていたんですね。あれは僕らと同じ、軍の仲間が使役する従魔です。上空から僕らのサポートを行ってくれていたんですよ」
「見てたんなら話は早え。飛んでった方向に援軍がいる。行くぞ」
「わ、分かった!」
「ゲッ! もう来やがったぞ!」
シュクルの言う通り、土煙上げながら近づいて来る四体のヒュドラの姿が既に視界の先に見え始めた。まだ距離はあるが、悠長にはしていられない。
「逃げろォ!」
かくして五人での逃走劇が始まった。
体の比率もあってか、最も歩幅が短いであろう獣人族の少年が最後尾を走っている。逆に鬼族の青年はレベルが高いのか、常に先頭を走りつつも背後を見る余裕を備えていた。
そもそも道案内ということもあり、どちらかは先を走り先導を行う必要がある。
走りながら振り返る鬼族の青年が叫ぶように言う。
「こんな時になんだけどな、俺はフーゲイン=アシモフ! フーゲインと呼んでくれ! 後ろのは、俺の直系の部下でエリオットだ!」
「りょ、了解だ! アタシの名はクヴェレ=グランメール! クヴェレでいい!」
「俺の名はシュクル=ルーグリュックだ! シュクルでよろしく頼む!」
「タクマラカン=オットー! 俺はオットーと呼んでくれ!」
「なんだ、お前ら貴族か!?」
「実家はな! 今は何の関係もねえよ! アンタこそどうなんだ!?」
「ウチは四代前からワレンシュタイン家に仕える古参よ!」
「四代前!? ……ってこたァ、ワレンシュタイン家が貧乏貴族だった頃からか!?」
オットーが気づいて叫ぶ。
今でこそ大貴族の一角どころか筆頭とも噂されるほどのワレンシュタイン家だが、破竹の勢いで立身出世を果たして現在の地位にまで上り詰めたのは、『
それまでは貴族として名門の家柄とはいえ、特に平民と変わらぬ生活をしていたのは有名な話だ。もう消滅してしまったが、元々の主家を支えるため、商売人のようなこともしていたと噂される。
「おう! 俺の親父は『不和の荒野の決戦』でも従軍したぜ!」
「マジ!? スゲエ!」
ミーハーなシュクルが早速関心を示し出したが、その気持ちはクヴェレにも分らんではない。
『不和の荒野の決戦』とは、約二十五年前、モーデル王国と東の雄バアル帝国が現在のこの地方にてぶつかり合った、文字通りの最終決戦のことであり、ランバート=グラン=ワレンシュタインが今の地位を築く礎とした戦いでもあった。
ちなみに、今現在四十四歳のランバートは当時十九歳。当主の座を受け継いだばかりの若造であった。
その若造が、味方の不利を悟るや否や手勢わずか百人と共に敵軍に対して決死の突撃を敢行。次々とバアル帝国の猛者を打ち倒し、遂には敵軍総崩れを引き起こさせ、最後に帝国皇帝を捕虜にし大戦を終結させるという、今聞いてもムチャクチャな戦果を打ち立てたのであった。
つまりはそのランバートと共に、フーゲインの父は荒地中を埋め尽くしたと当時形容された大軍相手に突っ込んだことになる。
今聞くとぶっ飛んだ話だが、確かにそれは自慢以外の何物でもない。モーデルどころか西大陸中で通じる名声だろう。
が、フーゲインの自慢はそれだけにとどまらなかった。
「けど、後ろのエリオットもそれに引けを取らねえぞ! なんてったって先の『特別武技戦技大会』で優勝を分けたハーク相手に、試合で大善戦した男なんだからな!」
「はあ!?」
「え!? マジでえ!?」
「うっそだろおお!?」
走りながらもクヴェレ、シュクル、オットーは順番に振り向く。フーゲインの一言はそれほどのインパクトがあった。
だが、それを見てエリオットが慌てて返す。
「やめてよ、兄貴! 違うんです、皆さん! アレは……!」
「違わねえだろ! 決勝のモログを除けばお前が唯一人、ハークに有効打を打ち込んだ人物なんだからな!」
「スッゲエ! あれに!?」
この言葉はシュクルのものだ。さっきからスゴイが多い。ただ今回もそうとしか言えないのかもしれない。あの存在に一瞬で倒されないだけで既に相当なものだ。攻撃を打ち込めたとしたら、もうそれは、推して知るべしとしか表現できない。
クヴェレたちも、ハークが前『特別武技戦技大会』にてモログ以外ほぼ全ての試合を一瞬で終わらせたと聞いていた。シュクルは残念なことに脳みそから抜けていたのだろうが。
(そういうの全部を加味すりゃあ、アタシ程度があの旦那を倒せるかもだなんて、無理もいいところだと事前に分かりそうなモンだよなぁ……。はぁ、ガキの時分から頭ン中に凝り固まってやがる『レベル偏重主義』ってヤツを、どうにかしねえといけねえか……)
生まれ育った王都では、ある意味レベルが全てであった。だが極々たまに、そういうのを超越した存在が今思えば確かにいた。
ただ、ハークほどにレベルを全く歯牙にもかけぬ存在は、当然に初めてに決まっている。
「あんなの有効打なんて言わないでしょ! だいたい、フーの兄貴の方こそハークさんと『特別武技戦技大会』前の決闘で、引き分けた仲じゃあないか!」
が、顔を真っ赤にして反論したエリオット少年の言葉に、三人の精神はさらに粉砕させられた。
「「「な、何だそりゃあああ!?」」」
走り続けてはいるものの、一瞬、三人の頭から四体ものヒュドラに追いかけ回されているという事実が、吹っ飛んでしまうほどであった。
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