323 第21話07:スタートライン③




「……う」


 ゆっくりと開いた己の視界に飛び込んでくる光景に、見覚えのない天井が映り、クヴェレは乾いた喉から絞り出すような声を出す。


「お! 起きやがったか、クヴェレ!」


 覚醒したばかりの精神にはキツイ至近距離でのオットーの大声が左の鼓膜を痛いくらいに震わせる。次いで右側から何者かの溜息が聞こえた気がした。


「耳が痛えよオットー。人の起きぬけに大声を出すんじゃあねえとあれほど……、ってアレ?」


 文句を言いつつ上半身を起こすクヴェレだったが、自分が寝ている理由が思い出せず周囲を見回す。


「ん? なんだぁお前、気絶した理由憶えてねえのか?」


 自分の右側にいたシュクルが呆れた声音で出した一言に、クヴェレは反応せざるを得なかった。


「気絶!? アタシが!?」


「ああ、そうだよ! お前ぇはハークの旦那と決闘して、思いっ切り気絶しやがったんだよ!」


「はぁ!?」


 否定したいが、だんだんと己の中からの記憶がよみがえってくる。

 確か自分は武器をはね飛ばされ、抵抗する手段もないままに超絶なる斬れ味を持つカタナを脳天に打ち下ろされ……。


「ア、アタシ死んだんじゃあねえの!?」


「バァカヤロウ! ちゃあんとハークの旦那はオメーの額に当たったところで止めておいてくれたよ! オメーの頭にゃあ傷の一つもついちゃあいねえ!」


「え!? 嘘ぉお!?」


 そう言って額から脳天までを触って確認するが、本当に小さな傷跡でさえ感じられなかった。


「しっかも、でっけえ叫び声上げながら気を失いやがってよォ! 恥ずかしいヤツだぜ!」


「ああ!? 何だとテメエ! もういっぺん言ってみろや!」


 売り言葉に買い言葉。普段ならば軽口で返せる言葉であっても余裕のない今のクヴェレは本気で返してしまう。そしてそれはシュクルも同じだった。


「おお! 何度でも言ってやらあ! 女々しくキャンキャン悲鳴上げながら倒れやがってこの恥さらしめ!」


「おー、言いやがったなテメエ!? よぉし、表へ出ろ! ぶっ飛ばしてやる!」


 クヴェレとシュクルのボルテージが最高潮に達したところで、さすがにオットーが止めにかかる。ただし、非常にやんわりと。


「二人とも落ち着けよ。クヴェレは起きたばっかだし、シュクルだってクヴェレが倒れた時にはメチャクチャ慌ててたじゃんか。斬られちゃった~~~! とか言って」


「バカヤロウ! オットー、言うんじゃあねえよ!」


「ケッ、なあんだ。オメーだって叫んだんじゃあねえか」


「ルッセエよ。あんな鉄を簡単に斬っちまうようなカタナが頭に触れりゃあ、誰でも斬られたと思うに決まってるだろうが!」


 確かにシュクルの言う通りでもある。あんな超絶な斬れ味を毎日見せられていたのだ。

 あんなものを急所に当てられたら、本当に誰しもが斬り殺されたと勘違いするに違いない。対峙したクヴェレだって例外なワケがないのだ。


 その時、オットーの後ろにあるドアが開いて一人の女性が部屋に入ってきた。

 この都市の冒険者ギルドの長、ルナであった。


「あんたたち、ここは曲がりなりにもギルドの医務室なんだよ? 今はあんたたち以外に使用者はいないけど、ドアの外にまで響く大声を出すのはどうかと思うね」


「あ、ルナさん。すいません」


 頭を下げるオットーに対してクヴェレは、ルナの言葉でやっとここが冒険者ギルド内の医務室であると理解する。


「すいやせん」


「ここがギルドの医務室だなんて知らなかったんでね。面目ない」


 続いて頭を下げる二人。クヴェレは一言添えてではあるが。


「まぁいいさね。ところで、どこか痛いところとかはあるかい?」


「いや、全くないよ。喉が渇いてるくらいだな」


 そう言いつつ、クヴェレは表情を変えてしまう。情けない方へと。


「どうかしたかい?」


「いや、腹が鳴りそうになってね」


「ああ、なるほど。もうそんな時間だねぇ」


 ルナにそう言われても、ずっとのびていたクヴェレに正確な時間など分かろう筈もない。

 尋ねようとしたところでルナの背後のドアが二度ノックされた。


「はいはい?」


「ルナ殿、入ってよろしいか?」


 どこかで聞いたことのある声であった。ドア越しであるせいか判別がつかない。


「ああ、どうぞ」


「失礼する」


 ドアを開けて医務室の中に入ってきた人物に、クヴェレは最初、見覚えがないと感じた。しかし、絹糸のような美しく流れ落ちる金の頭髪に、角度によって碧にも蒼にも見える瞳、そしてなにより横に尖って伸びる長い両耳が、脳裏に一人の人物をどうしようもなく想起させる。


「ア、アンタは!?」


 ハークであった。

 いつもの、モコモコに包まれた姿ではないので即座に気がつかなかったのである。

 上着こそ羽織ってはいるがいつもの厚手のものではなく、首巻も手袋も着けていない。虎柄の腰巻だけはしっかりと腰元に巻き付けてあったが、少年の背丈よりも長い『オオダチ』とやらは背に負わず、鞘に包まれた状態で左手に携えられていた。


「やあ。具合はいかがかね?」


「い、いや、もう大丈夫だ! 何ともねえ!」


「そうか。そいつは良かったよ。少々、悪戯が過ぎたようだな」


「え!? イタズラ!?」


 悪戯と聞き、クヴェレは内心ぎくりとなる。オルレオン到着日当日も含め、これまで数度、三人は隠れて鑑定法器を使用していた。そのことを咎められたと思ったのである。

 だが、そういうことではなかった。ルナが言う。


「この人さ、アンタの頭の上に振り下ろす刀を最後まで止めなかっただろう? こん、ってさ」


「あ、ああ」


 そのせいで完全に斬り殺されたと勘違いし、不覚にもぶっ倒れてしまった。


「ハークがさ、寸止めできなかったなんて、寄宿学校での模擬戦じゃあ初めて見たからね」


「は!? じゃあまさか!?」


「そッ。ワザとなのさ」


「なっ、ワザと!? 止められたのに止めなかったってコトか!?」


 クヴェレの心の中に、怒りにも似た感情が湧き上がる。文句の一つどころか二つ三つぶちまけてやりたくもなったが、次のハークとルナのやり取りで雲散霧消する。


「まさかぶっ倒れるなぞ思わなくてな。申し訳ない」


「正直に言ったらどうだい? 授業中、うるさくて眼についてた、ってさ」


 この言葉でクヴェレ、シュクル、オットーの三人は顔を見合わせた。言われて思い出してみると、鑑定法器を使用しているところを見咎められぬように注力し過ぎて、確かにあーだこーだと三人で言い合いしていたような感覚が幾度もある。


「え!? そんなにうるさかったッスか、俺ら!?」


 こう聞いたのはシュクルであった。


「まぁ、ホンのちょっと、かな。前はアンタらくらい喋ってたのはいたんだけど、みんな自分たちの拠点に帰っちまったからねえ」


「そ、そりゃむしろコッチの方が、すんませンした」


「「申し訳ねえ」」


 率先して頭を下げるオットーに続き、クヴェレとシュクルも頭を下げる。本来はもっと責められるべき案件に対して、軽めな口頭注意で済ませてくれたと三人揃って感じたからだ。

 ただ、それはそれとして、クヴェレにはどうしても訊きたい質問があった。


「あ、あのさ、それはそうと、一つ訊かせて欲しいことがあるんだけど、いいか?」


「「?」」


 ルナとエルフの少年が揃って首を縦に振る。


「えっとよォ、どうしてアタシは生きているんだ!?」


 眼の前の二人が揃って微妙な表情となる。ルナもハークも一瞬考えこんだのは同じだったが、禅問答のくだりを思い出したハークに比べて、ルナは再起が早かった。


「そりゃあ、ハークが加減したからに決まってるじゃあないか」


「そ、そんなこたァ解ってるさ! けどさ! あんな簡単に鉄の塊を掻っ捌いちまうような武器に頭っから襲われて、どうしてアタシの頭が無事なのか聞いてるのさ!」


「ああ! そうそう、確かにそう思ったよな! 俺もあン時は、クヴェレの頭割れたァ!? って思ったモンだぜ」


「縁起悪ィこと言うなよ、シュクル!」


「ああ、なるほど。そういうことかい。ハーク、論より証拠ってね。見せてあげなよ」


「ふむ、承知した」


 了承の意を示したハークは、一歩下がると流れるような動作で狭い室内にもかかわらず『天青の太刀』を抜き放った。

 クヴェレたち三人が揃って眼を剥く。地域にもよるが、冒険者の巣窟たるギルド内であっても、断りなしに武装するのは褒められた行為ではない。


 しかし、三人組、特にクヴェレが文句をつける前に、ハークは何も着けていない自身の左掌に向けて、解放したばかりの大太刀の刃を打ち下ろした。


「な、何やってん……!?」


 止める間もなく蒼き刀身が無垢な左手に到達する。どう考えても刃の軌跡その途上にある指は残らず斬り落とされる。

 そうクヴェレは幻視した。

 が、ハークの左手は、逆に超絶なる斬れ味を持つ筈の刀身を受け止め、しっかりと掴んでさえいた。


「「「はぁ!?」」」


 クヴェレも含めた三人が揃って素っ頓狂な声を上げた。




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