310 第20話09:リアル・ファイト
見上げる巨躯に、ランバート以外全員の同行者が驚愕の表情を晒していた。
それも当然と言える。甲殻が積み重なった巨大なる甲羅はまるでちょっとした山である。圧倒的な存在感だ。
以前、日毬が例によって全力発動した『
「うわ~~~、とんでもないワねぇ。これ程巨大なモンスターっていうか生物は本当に久しぶりに見たわ。全長一キロは超えてるわね」
「他に見たことがあるのか? ヴィラデル」
「ええ、まぁね。ハークは黄金龍と呼ばれるドラゴンのことは聞いたことある?」
ヴィラデルの質問に、ハークの脳裏には即座に思い浮かぶ存在がある。
「ああ。龍王国ドラガニア首都に住む地龍のことだな。無論、聞いただけで見たことはないが」
「そうでしょうね。アタシは実際に見たことあるワ。里を出たばかりの頃はそこをしばらくの拠点としていたからね。とにかくトンデモないデカさだったワよ。街一つを丸ごと覆い隠すような大きさだもの」
「……よく下で生活できるな。恐ろしくはなかったのか?」
「普段は寝ているだけだったからネ。二百年以上は首から下を動かしてもいないワ。甲殻は岩の化石のようになって、もはや街の一部と化していたくらいヨ。十年に一度覚醒して、その時は盛大なお祭りが行われていたワ」
「十年も寝ているのか。よく飽きないな。儂には到底不可能だ」
「まったくよネ」
ヴィラデルが本当に邪気の無い笑顔を見せる。恐らく過ぎ去りし時を懐かしんでいるのだろう。あまり過去を振り返るような発言をしない彼女にとっては珍しいことであった。
そんなヴィラデルの様子を横目で視ながら、ハークは首元にぶら下げた知恵袋に確認を取る。
『本当なのか? エルザルド』
『ふうむ、半分正解で半分不正解といったところだな』
『どういう意味だ?』
『もう長いこと首から下を動かしてもいないのは本当だ。随分前の話だがロンドニア自身も、もう一度ちゃんと動かせるかどうか不安だ、というようなことも言っていた。ま、あり得んがな。ドラゴンの肉体がたかだか数百年動かさずにいたくらいで不調をきたすことはない』
『そうなのか』
『うむ。ただ、寝ていることが多いのは確かだが、十年間ずっと、ということはない。毎年行われる『大陸間会議』にも、欠かさず参加していたのでな』
『大陸間会議? そういえば、ガナハ殿がそんなことを言っていたな』
『大陸間会議とは、年一回、情報交換の名目で龍族の中でも特に年長、そしてある程度以上の能力を持った者達の間で行われているものだ。実際に会ったりはせず、以前に説明した龍言語魔法『
『成程、龍言語魔法は確か、龍種が成長と共に段々と習得していくものだったな。つまりはある程度の成長段階、力を持ったドラゴン達の会議ということか。……まるでこの世の行く末を決める会議だな』
『そんな大層なことは話しておらんよ。大抵は、この一年何があった、そこから予想される事柄はどんなものか、自分達にどう影響するのか、するのであればどのように対処するか、を其々に話し合うくらいだ。話し合うと言っても意思統一などされん。こうなったら自分はこう動く、などといった所信を表明することぐらいだ。後は世間話程度の軽い情報交換程度さ』
『そうなのか。しかし、だとするとロンドニアは年に一度、その大陸間会議に参加するために目を醒ましていた訳か』
『いや、彼はもっと目を醒ましていた筈だ。いや、頭の片方で眠り、片方で覚醒していたというべきか。半分眠り、半分起きていたのだ』
『……なんだか、よく解らんな』
『そういうSKILLがあるのだよ。彼は龍言語魔法である『
『ふうむ、聞くだけなら少し面白そうだが、儂は実際に動きたいものだ』
自身の身体を全く使うことなく動けずじまいなどハークには願い下げだった。
そういえば前方のタラスクもほとんど動きを見せない。今のところ動きも鈍重だ。
「ところでランバート殿」
「ん? 何だ?」
「これ、相手には完全に感知されておるよな」
ハーク達は巨躯タラスクの正面にではなく左側面にやや距離を置いて陣取っていた。何となく視線だけはこちらへと向けているような気がするが、それ以上、モンスターは何をしてくるでもない。
「あ~~、そうかもな。コッチ視てるような気もするし」
「マジか。それであの態度かよ。ふてぶてし過ぎんだろ」
「まったくネ。一発かましてやりたくなるワ」
「止めておいてくれッ、エルフの美しきご婦人ッ!」
気合の乗った声を聴き、ハークも含めた全員が振り向く。
そこには、既にマントを脱ぎ、右手をグルグルと回して肩をほぐすモログの姿があった。
先程までののんびりとした雰囲気はどこへやら、殺気、いや、闘気に満ちていた。
モログは左手に抱えていたマントをハークに差し出しながら言う。
「ハークッ、済まぬがしばらく預かっていてくれッ。こんな場所に放る訳にもいかんからなッ」
周囲は水分を多分に含んだ湿地帯だ。当然である。ハークは即座に受け取った。
「持っていよう。しかし、あの大きさ……、大丈夫なのか、モログ殿?」
「フッ、モログ、で構わんよッ。呼び捨てで頼むッ」
「承知した、モログ。それで、本当に大丈夫なのかね? あの大きさでは掴むこともおろか、持ち上げることすら難しいと思うぞ」
「心配無用だッ! 確かにあそこまで巨大であるとホールドもできんッ、腕の長さが足りんからなッ。だがッ! それでもッ! この俺様の両の脚とッ、二つの腕があれば充分ッ! ただもう一つッ、図々しいかもしれんが願いがあるッ」
「何だね?」
戦闘後の回復魔法であろうか。そう思ったハークであったが、モログの続く台詞の内容は全く違うものであった。
「声援を頼むッ」
「声援?」
「うむッ。君の声援でッ、俺の本当の実力を見せられるッ!」
そう言い残して彼はずんずんと進んでいく。
ただし真っ直ぐに、ではなく左斜め前方に。相手となるタラスク正面へと向かって移動していた。その心は、少なくともハークには、タラスクとの戦闘を存分に見分してもらいたいという意志が感じられた。
やがて討伐対象の正面に立った彼は、相手の方へと身体の向きを変えてから構えをとる。
それは、六日前の『特別武技戦技大会』にてモログが見せた仁王立ちから上半身をやや前に傾けて雄々しく両手を広げるといった構えとは全く違うものだった。かといって、同じ徒手空拳を主たる攻撃手段とするフーゲインのものとも一線を画している。
フーゲインの構えは相手に対して斜に構え、足を左右に開き、左手を軽く伸ばして中段辺りに遊ばせるかのように置いておくものだ。対して、モログのそれは両腕を緩く畳み握り込んだ拳を肩の高さにまで掲げ、こちらも力を抜いた両の脚を左側を前にして前後に軽く広げている。
当然に、初めて見る構えの筈だった。ところが、不思議なことに何故か既視感がある。
突如感じたこの妙な既視感の正体は、すぐ隣に立つフーゲインが図らずも説明してくれた。
「なんかよ、大将の構えに似てンなぁ。武器持ってねぇケド」
「ン? 俺に? 言われてみりゃそうかもしれんな」
そうなのである。ハークも言われるまで気づかなかったが、ランバートの構えに少し似ていた。彼と違って武器を持っているのだから当然に拳の向きが違うだろうが。
『……あの構えは……』
珍しく、胸元のエルザルドから語りかけてくる。が、モログと対峙する巨大タラスクとの機運が高まり切ったのか、モンスターが吠えた。
———ゴワァアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォオオオーーーーー!!
まるで岩山が怒りの大咆哮を上げたかのようだった。
長く、そして強烈であった。
もう少しハークのレベルが低ければ鼓膜を潰されていたに違いない。アルティナやリィズを連れてこなかったのは正しい判断と言えた。
かくして山が走り出す。けたたましい音を上げ、地鳴りに地響きを引き起こし、土砂を巻き上げる。そして意外なほどに———
〈速い!〉
事前に聞いた四十五という高レベルのお陰であるだろう速度能力で、その巨大で鈍重そうな見た目と完全に裏腹な勢いで瞬時にモログに迫る。
そのまま左前脚を振り上げる。踏み潰そうというのだろう。大きさのせいか、もはや巨大な脚にすらも見えぬ崩落するナニカである。
が、モログも身体能力ならば負けていない。
躱せぬ筈などないと予想した同行者の視界の中で、彼は何故か微動だにしていなかった。
「どうしたよオイ!? 逃げろ!!」
フーゲインが思わず叫んだが遅い。凄まじい足踏みが轟音と地響きと共に炸裂した。
「え? 嘘でしょ……?」
「イヤイヤ、マジだぜ……」
ヴィラデルとフーゲインが呆けた台詞を発したのは、ナンバーワン冒険者たる者がいきなりの出会い頭のような形で何もできずに敗北していたから、ではない。
圧倒的過ぎる勢いと質量差を撥ね返して、事前の立ち位置からほぼ後退することなく、モログが巨大タラスクの攻撃を両腕で完全に受け止めていたからであった。
「なんっっっつうパワーだよ」
ランバートの口の端をわずかに吊り上げた、戦慄とも呆れとも感銘ともまた違った表情での呟き声がハークの耳に届く。
しかし、ハークのその眼には距離があろうとも視えていた。受け止めたモログの上半身の筋肉が震えるほどに膨張し、肥大化していたのを。
彼も掛け値無しに全開なのだ。
勢いを完全に受け止め切ったモログは左手でタラスクの足裏を強引に押し返しつつ、残る右手を引き絞るように振り被った。
ここで、ハークの脳裏にモログからの願いの言葉が蘇る。則ち、声援をくれ、との。
「いけえっ! モログーーー!!」
「おおぉおッ! 『バァーーーニング・ナックル』ーッ!!」
燃え盛る火焔がモログの拳を包み込み、タラスクの足裏に打ち込まれた瞬間、紛れもない岩山とすら視えた超巨体が後方へとズレた。
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