116 第10話05:日々勉強




 シン達3人、特にシンの登場で場は一瞬の緊張感に包まれた。

 しかし、それは本当に一瞬のことだった。


「よう、シン。遅かったな。悪いが先に頂いておるぞ」


 この一言で場の雰囲気は元のものへと戻る。

 険しい眼差しだったシンの表情は常なるものに変わり、陰口に近い言葉を聞かれてしまったシェイダンの、拙った、と言わんばかりに目を見開いた表情も平静なものへと戻っていた。


 シンはふうっ、と一息吐くと用意されたハークの左隣の席に座ろうとする。


「いや、こちらこそホントに遅くなったよ。戦術科の授業が少し長引いちゃってさ」


「遅くなりました」


 シンに続いてテルセウスも一言添えてからアルテオと共に席に座った。

 遅れてやって来た彼ら3人はハークのパーティーメンバーでもある仲間だ。あと一人、現役生ではないが、当寄宿学校出身の卒業生でまだ若く、それでいながら鍛冶屋街に店を構える女性がおり、冒険者との掛け持ちであるらしいがどちらも中々に上手うわてであるらしい。小さな店舗ながら最近上々の噂が上っており、評判も鰻登りと聞く。

 その鍛冶屋兼業の女性を含めた5人と1匹がハークのパーティーメンバーであるらしく、ロンとシェイダンはその付き合いの中に含ませてもらっているような形になっていて、休み時間や昼食にも共に、という機会が日を重ねるにつれて多くなっていた。


 いつものメンバーが漸く揃ったことにより、和気藹々わきあいあいとした昼食模様が再開できるかと思ったのも束の間、ハークの放った一言で、再び場に緊張感が奔った。


「それで、シンが何に負けたのだ?」


 のほほん、とした声である。

 混ぜっ返すとか関係を拗らせてやろうとかいった邪気の全く感じさせない素直な一言が逆に無視出来得ない力を持っていた。

 敢えて空気を読まない、いや、寧ろ敢えて全くに無視したハークの言葉に一瞬驚いた表情を見せたシンだったが渋々と言った様子で答え始めた。


「今日の午前中での出来事なんだけどさ、戦士科の授業で模擬戦をやったんだよ」


「ほう、それでシェイダンとやって負けたのか?」


「そんなワケねぇって! 俺レベル15だぜ!? 22のシンに1対1で勝てる筈ねぇよ!」


「僕とシェイダンで組んで、2対1のハンデ戦をやったのです。それで、……まぁ、何とか我々が勝ちました」


「おお、それは凄いのではないか? シンに勝つとは」


「ぬぐっ!」


 ハークの正当とも言える評価にシンが思わず苦痛めいた声を出す。2対1とはいえ7レベル差を覆すのは普通に考えても大金星と言える。だが、それを視てロンがすぐさまフォローを始めた。


「いや、でも、僕は木盾を砕かれちゃいましたし、最後もシェイダンの『氷の霞アイスヘイズ』で一瞬の隙をついて先当て出来ただけなんです」


 戦士科の模擬戦は、というかドコの模擬戦でも真剣を使わせてもらえることなど無い。木剣で、しかもファーストクリーンヒットを取ったら終了というのが普通だ。

 そもそも7レベル差もある相手などに先に一撃与えたとて、それで勝負が決まるようなことになどなるワケがない。実戦を考慮すれば前提条件としておかしいのだ。

 あの時も左肩に何とか一突き当てられただけだった。これも、実戦であれば勝負の帰趨にもほとんど関わらない程度のダメージにしかならない。だからこそ、ロン自身は勝負に勝ったなどとは思っていなかった。

 だが、ハークが反応したのはそちらではなかった。


「ほう! あの魔法か!」


「ご存知なんですか?」


 『氷の霞アイスヘイズ』は氷系統の初級魔法ではあるが、その中でも最上級には位置していて、シェイダンの奥の手のような魔法だ。当然、つい先日に本格的な授業が始まったばかりの魔法科の授業では未だ取り上げられてはいない。


「ああ、一度やられたことがあるからな。あれは初見ではキツかろう」


「そうなんだよ。全く、前が見えなくなっちまったからなあ」


 シンの台詞は「全く」のところに異様に力が入っていて、強調されていた。


 『氷の霞アイスヘイズ』は射程距離こそ短く、それこそ至近距離でしか効果はないが、相手の眼前に繰り出すことで視界を妨げる効果を持っている。しかも、ちゃんとした魔力を籠めることが出来れば光を乱反射させて目潰しの効果も倍増可能だ。

 今日は天気も良いし、野外での訓練であったからその効果もひとしおであったろう。


 要は相手の知識にある筈の無いテクニックをいきなり使用した、所謂完全な初見殺しであったワケだ。

 その事もあって余計にロンは自分たちの勝利だとは考えていなかったのだが、シェイダンは違ったらしい。


「それでも、勝ちは勝ちさ!」


 フフン! と、得意気に言い放ったのだ。

 ロンは流石にシンがキレるのではないかと内心ハラハラしたのだが、彼の反応は別だった。


「確かに、負けは負けだな」


 それまで非常に悔しそうに、歯軋りすら聞こえんばかりの表情であったシンが急にまるで憑き物が落ちたかのように冷静に語った。

 ロンはその変化に当然驚き、シェイダンも同様に当てが外れたとばかりに眼を剥いていたが、ハークを始めテルセウスとアルテオは当然と言ったばかりに食事を続けていた。


「よくぞ言ったな、シン」


「ああ、悔しいけどな」


「それでいい。模擬戦なんぞいくら負けても構わん。所詮は試しの機会だ。だが、次に同じ条件で戦う場合には、絶対に負けぬよう精進するのだぞ」


「勿論さ! 今度は俺が勝つ!」


 そう言ってシンは、ぎらりと光る眼差しでロンと、次いでシェイダンを視た。

 睨む、とかではない。

 憎しみなどの負の感情を全く感じさせぬ、何と言うか身内に滾る熱いモノのみをぶつけるかの様な眼差しだった。まるで、超えるべき壁を見定めた時のような。


「ヘッ、次も負けやしないぜ! 返り討ちにしてやるさ!」


 シンの闘志を向けられたシェイダンもそう返す。その表情は、造りは違うとはいえ、シンの熱さのみが込められた表情と瓜二つのようにロンには視えた。


(……ああ、これが父上の以前言っていた好敵手ライバルっていうものか)


 そう・・いうものを見つけた者は手強いぞ、と続いて父が紡いでいたのを思い出す。そして、ロンにもそういう相手を見つけろ、と結んでいた。


「それにしてもシェイダンがあの魔法、『氷の霞アイスヘイズ』の使い手だとは思わなかった」


「へ?」


 いきなりハークから自分に話が飛んで、シェイダンが素っ頓狂な声を発した。


「儂もあの魔法の厄介さ、恐ろしさは知っておる。だが、正しき時に使えぬは宝の持ち腐れよ。それを奥の手としてシン相手に正しく使うことが出来たのは素養と研鑽の表れと言えよう。流石だな」


 にこりともせずに食事を続けながら淡々と話すその様子そのものが、発した言葉におべっかや世辞など一片も含んでいないことを表すかのようであった。

 そんな素直で直接極まりない賛辞を浴びたシェイダンは、一瞬何を言われているか分からないと言わんばかりにぽかあんとすると、次いで嬉しそうな表情に変わりかけたが、直後、拗ねたように明後日の方向へと顔を向けて言い放った。


「ハークにその言葉を言われてもなぁ」


「む?」


 ハークが珍しく打って響かぬ反応をしたのも無理はない。惜しみない称賛が斯様な言葉で返されたのだから。


「ハークはたったの一週間で全属性の攻撃魔法が扱えるようになったじゃあないか。初級とはいえ流石なのはハーク……、いや、エルフだよ!」


 そんな言葉を言い放ったシェイダンに、そういえば、とロンは記憶の中に思い当たることがあった。

 ここ最近、シェイダンは「エルフはズリイよな」などと嘯いていることが多かったのだ。

 何故そんな事を言っているのかはロンも承知していた。

 シェイダンは彼の得意属性である氷系統と火系統の初級魔法を全て習得しており、更には中級にまで手を掛けようとすらしているレベル15にしては結構な魔法の使い手であるが、その他の属性はからっきしである。


 魔法には現在のところ、6属性が存在する。基本である4大元素、火、水、土、風。それに加え派生属性として数百年前に発見されたと言われる氷と雷の2属性。

 過去には強力な魔物だけが扱う属性を発見した、という発表もあったが、証明には至らず、現在も遅々として研究は進んでいないという。

 とにかく6属性だ。

 その6属性の内、魔法を扱い足る才を持つ者は、大抵一つや二つの自らが行使するに得意な属性というのを持つ。これが、シェイダンにとっての氷属性と火属性に該当するのである。

 ただし、その人物にとっての得意属性とは逆に、使用と習得に於いて大いに苦労させられる属性というものもある。これも人によって一つか二つ備えていることが多く、これが『魔法系統には得手不得手が出るのは当然』と評される所以ともなっていた。


 ところがハークはその6属性を最初期の攻撃魔法のみとはいえ、僅か一週間で全て習得してしまったのだ。それは確かに、他種族から『魔法の申し子』と称されるエルフとしての才覚が強く影響していると感じずにはいられず、シェイダンのように魔法で身を立てようと考えている者にとっては、羨ましくも妬ましく思えても仕様の無いことのように視えた。


 だが、それに応えたハークの言葉はロンにもシェイダンにも予想のし得ぬものだった。


「ああ、あれか。あれは儂の頑固の産物よ。何事もやってみなければ判らぬ、と思ってな」


「頑固?」


 これまでの会話の流れにそぐわない単語がハークの口から発せられて、思わずロンは鸚鵡おうむ返す。

 それまで無言で昼食を進めていたテルセウスとアルテオの二人が、ふふっ、と笑いを思わずと言った様子で漏らした。

 シンなど笑いを堪えようとして逆に憮然とした表情に近いものを浮かべている。

 そんな微かな笑い声にそっぽを向いていたシェイダンがこちらへ向き直った。


「お師しょ……いや、ハーク殿は先週、ずっと夕食の後に何時間もギルドの修練場を借りて苦手属性の習得を修練されておったのだよ」


「ええ、しかも放課後は僕たちと共に刀の修れ……いえ、知り合いの店の商品の宣伝バイトをみっちりとした後で、ね」


「そうなのですか?」


 アルテオが語った『夕食後の修練』とやらはロンも初耳だった。続くテルセウスの『知り合いの店での商品の宣伝バイト』というのは、シェイダンがつい最近、「どうやらハーク達がどこかの店で見世物まがいのバイトをしているらしい」との情報で知ってはいたが。


「夕食後、何時間も練習?」


 シェイダンも初耳だったようでうわ言の様に繰り返す。


「ああ。儂は氷と土が不得意の様でな。特に土魔法の習得には苦労させられたよ」


「結局5日間かかったよな」


「うむ、シンの言う通り昨日漸く成功したばかりだ。テルセウスにも教授してもらってな。その節は感謝だが、初期魔法ぐらいはと無理を通してみたが、アレは非効率に過ぎるな。それぐらいなら、得意を伸ばした方が良かったわ。素直に講師の助言は聞くべきだのう」


 そして、カッハッハッハ! と豪快に笑う。類稀に可憐な美貌を備える容姿には似合わぬ筈であったが、何故がサマになっていた。

 そんなハークの隣で、シェイダンは独りごちていた。


「そうか……あのハークさん・・でも努力は必要だったのか……」


 呟きにも似た言葉をロンの耳が拾えたのは、ひとえにシェイダンの様子を気にしていたからに過ぎない。次いで、彼は眼の色を変えて、ハーク達に向かって発問した。


「なぁ、その修練場ってのはどうやって借りるんだ!?」




   ◇ ◇ ◇




 午後の授業も終わり、放課後。

 夕暮れと呼ぶにはまだ少し早い時間、ロンは寮への帰路を一人歩いていた。

 入学して以来、何時も共に下校していたシェイダンは、今日は隣にいない。


「悪いが先に帰っててくれ」


 そう言って先程別れたばかりだ。

 彼は最後まで何の用事か、何をするつもりかを語らなかったが、ロンには大体の見当がついていた。


 恐らくギルドの修練場を借りに行ったのだろう。目的は魔法の修練に決まっていた。


 今まで、シェイダンとは長い付き合いだが、ロンは彼が何か一つのことに思い悩んだり、努力したりする姿を見たことが無かった。

 一つのことにこだわらない。そこが良いところであり、悪いところでもあった。

 そんな彼が今、こだわりにこだわって、そして努力しようとしている。


 昔からロンは、不真面目な事を言いながら飄々と、そして軽々と常に障害を乗り越えていく我が友が、本当の本気になった時、一体何処までの高みへと駆け上がるのかずっと見てみたいという欲求を抱いていた。


(やっと、その時が来たのかもな)


 待たせやがって、と思う。

 楽しみで、わくわくする。

 その一方で、置いてかれやしないかという不安も生まれ湧いてくる。解消する手段は一つだ。


(僕も努力しないとな)


 その想い新たに自室のキーを開け、中に入る。


 さて今日の復習だ、と教科書を机の上に置いたところで部屋の隅に置いてある、ロンが家の者から持たされた、いや、自分の父から持たされた、最も高価な法器に明かりが灯っているのに気が付いた。


 それはこの王国内にも20機程しかないとすら云われる超高級にして希少法器、『移動式長距離双方向通信法器』。通称『ケータイ』の着信を表す光だった。




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