第5話:On the way back

43 第5話01:接触




 古都ソーディアンは歴史が長いだけあって数多くの老舗を抱えていることは既に述べた。

 その中でも1、2を争う程の歴史を持つ老舗中の老舗でありながら、未だ衰えぬ人気を誇る宿屋『子豚の末路亭』。そのレストラン部は宿泊客以外でも利用でき、ソーディアンの在住者達だけではなく他の街からの旅行者等からも是非訪れるべき名所の一つとして憧れの対象となっている。

 豊富で行き届いたサービス、味に五月蠅い大貴族も唸らせる絶品の料理などその魅力は多岐に渡るが、最大の特色とも言えるのが超高級料理店を謳う店にありがちな貴族身分専用ではなくある程度の地位さえあれば平民出身であっても受け入れるという懐の広さであった。

 その為、成功してこの店で食事をすることを夢見る商人や冒険者等も多く、一種のステイタスとしての象徴としてもこの街に君臨していた。


 そんな超高級人気料理店であれば名物料理など幾つもあるものだ。

 そして、その中でも不動の一番人気メニューが『ジャイアントホーンボアの煮込み炙り』である。


 この辺りの名産であるジャイアントホーンボアの良質な肉を濃厚なソースで野菜と共に2日間煮込み、仕上げとばかりに表面を香ばしく炙られ供されるこの料理は、値段こそこの超高級料理店の中では真ん中よりも上程度ではあるが、良いジャイアントホーンボアの肉が入荷されないと食べることの出来ない希少性も相まって『子豚の末路亭』の数ある名物料理を抑え創業当時より一番人気の座を明け渡したことが無い。


 本日も相変わらず盛況な店内中央のテーブルに座し、そのナイフが要らない程に軟らかく煮込まれた大角猪の肉を、テーブルマナーに完璧に則した形で優雅に味わう一人の大柄な女性がいた。


 後ろで纏めたボリュームのあるブロンドを揺らしながら、次々と口の中に料理を運ぶさまは健啖家であることを示しているが、そんな様子も決して下品には見えず、むしろ気品すら感じさせている。


 ただ一つ、普通に考えて残念であるのは、彼女が一人であったことだ。こんな場所に同伴者もつけずに女性単独で訪れる者は、大抵、金だけはある大貴族、もしくは大商人の器量無しであることが殆どである。

 身分と気位の高さ、選り好みと我儘の果てに適齢期を逃し、下の者が継いだ家でいつまでもその脛をかじり続けて居残り、腫れ物の如く扱われる妙齢の女性。その鬱憤を少しでも吐き出そうとこういった店を訪れるのはこの国ではよく見られる光景であった。


 が、彼女はそういった態の客としてはあまりにも高嶺の花すぎた。

 完璧なプロポーションとその身を包む豪奢なドレス。それらをさらに彩るアクセサリーは最小限にとどめ決して自己主張しすぎないようまとめている。


 一言で言えば美しい。その美しさに男性は勿論、女性ですらもチラチラと伺い見る者も少なからずいる。彼女の美の前に、その肌が多少浅黒かろうと、その耳が長く尖っていようと、それは彼女をさらに引き立てるエッセンスにしかならない。特に純白のドレスは良い対比となり、お互いを輝かせていた。


 彼女が古都3強の一人と名高い冒険者、ヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクスであると誰が気付くだろうか。彼女を良く知る者であっても一目で見抜くのは不可能であろう。いつもの扇情的でありながら暴力の香りを漂わす無骨な大剣に鎧姿とは雰囲気が違い過ぎていた。


 そんなヴィラデルが一瞬、仕事時の表情になり、目だけで店内を見回す。


(いるわねぇ……)


 ここ数日、彼女は自分を監視する何者かの視線を断続的に感じていた。

 自分を尾行し、嗅ぎまわる何者かの気配を感じることはヴィラデルにとってそう珍しい事ではない。

 だが、これ程までの隠形の使い手は初めてだった。余りにしつこいので監視者の正体を確かめようとヴィラデルが逆追跡しても、もう少しのところで煙に撒かれてしまうのである。確実にプロの仕業だった。監視されているのが判っても、誰がどの方向から監視しているのか判らないのは苛立つ。


 そして今もその視線を感じる。

 そう、今も、である。


 ヴィラデルは今、店の中央で食事をしている。窓から離れているので、外からこちらの様子を見ているとは考えられない。

 『遠視ファーサイト』などの魔法で、という事でもない。

 今、ヴィラデルは『探知妨害ジャミングサーチ』の魔法を展開している。これは『遠視ファーサイト』、『探知サーチ』を始めとした遠距離探査系魔法の効果を遮断することが出来るものだ。

 向こうの魔法コントロールがヴィラデルのものよりも上であったなら彼女の妨害を貫いての構築も可能だが、それでも妨害を突破されたぐらいは感知できるし、そもそもこの辺りでヴィラデルよりも精緻な魔法操作を出来得るものなどいない。


 となれば手は一つである。監視者はこの建物内のどこからか直接ヴィラデルの様子を伺っているに違いない。

 ここは古都ソーディアンでも1、2を争う超高級店。警備もそれなりの人間が雇われている。自分の様によっぽどの高給取りでなければこの店に入ることすら出来ない筈である。

 それ相応の身分でない限りは。


(ああ、そうか。そういうことね。そう言えばこの店のオーナーは領主の城に勤める結構な家柄の貴族だった筈だわ)


 この時点でヴィラデルは監視者の正体、もしくはその裏で糸を引く者の目的に大よその見当はついていたが、2つの可能性の中から絞り切れてはいなかった。それが今この時をもって確信に変わった。


 ならば向こうに害意は無いのだろうが、人に無断で監視など趣味が悪い。

 どうにかして意趣返しをしたいものだ。


「失礼いたします」


 などと考えていると、ヴィラデルのテーブルの前に一人の若いウェイターが立っていた。彼は一礼すると、ヴィラデルの前に1杯の酒と共に二つに折り曲げられた紙を置いた。


「あら、頼んでいないわよ?」


 ヴィラデルは酒も良く嗜む方だが、今日は食前酒のみに抑えていた。それでも、置かれた酒は相当に高級な代物なのであろう。グラスの中からは芳しい香りが漂ってきていた。


「当レストランオーナーからのサービスでございます」


「サービス、ねえ……。これは?」


 ヴィラデルは酒と共に置かれた紙切れをつまみ上げ、ピラピラと揺らす。


「さるお方にお渡しするようにとのことでお預かりいたしました」


「さるお方とは、どなたかしら?」


「申し訳ございません。私もオーナーから以上の言伝と共にお渡しするよう申し付けられただけでございますので」


「ふーん……」


 立て板に水とばかりのウェイターの対応に、ヴィラデルの片眉が僅かに上がる。

 人差し指と中指の間に挟んだ、依然折り畳まれたままの紙切れに視線を送る。開かずとも中に書いてある内容は予想できるが、どうやら読まねばならぬようだ。


 サービスと称し置かれたグラスを手に取り一口含む。何年モノだか知らないが、芳しい香りと強い酒精が鼻に抜ける。ささくれ立った気分がほんの少し和らぐ。


(お礼をしなきゃいけないわね)


 この酒も含めて、これまでの意趣返し代わりにヴィラデルはとある悪戯・・を思いつき、さっきとは別のウェイターを呼んだ。




 『子豚の末路亭』斜向かいにある裏路地、建物の影に隠れるように目深にフードを被った男が一人佇んでいた。

 真昼間であるにも拘らず、まるで闇に溶け込むように周囲と同化しているのは彼が身に着けている黒い外套の効果であった。

 法器『影の外套ブラックシュラウド』。

 合わせに付けられた魔石に魔力を流すと周囲の風景に溶け込むようになる、身を隠すには打って付けのアイテムだ。勿論高価な法器であり、手に入れるには相応の身分でなければ難しい。


 彼の名はラウム。古都ソーディアンを治める領主でありこの国の先代国王ゼーラトゥースの腹心たる魔術師である。


 彼は一週間前にこの街で起こった大事件、ドラゴン襲来事件について調査していた。

 物的証拠、魔法探査両面からの調査の結果、古都ソーディアンに襲来したのは最強種と言われるヒュージドラゴンであったことが判明。

 この国始まって以来の前代未聞とも言えるこの大事件は、建国以来一度も破壊されたことの無いこの街を囲む城壁が一部とはいえ損壊、それを守護する城壁警備兵団も一団30名が全滅するなど大変な被害となった後、件のヒュージドラゴンが退散し、何とか終息となった。

 が、もしあの時点でヒュージドラゴンが退散しなければ、古都ソーディアンは焦土と化していたとしても何らおかしくはなかった。何しろそのドラゴンが放った『龍魔咆哮ブレス』一発で山が抉られ、地形が変わってしまっていたのだから。

 あの『龍魔咆哮ブレス』がもしも街に向かって放たれていたかと思うと、ラウムも今更ながら薄ら寒く感じてしまう。


 このドラゴンを退散させた、或いは退散させる要因となった者は街にとって大恩人であり、英雄と言える。

 ところがだ、その英雄的行為をした人間は未だ名乗り出てこない。その人物を示す目撃証言は皆無で捜査は難航。

 その上、あれ程の巨体を持つドラゴンが何処に逃げたのかも不明である。

 今後の街の安全を考えるならばどちらも放置していい問題ではない。特にドラゴンが街の付近に未だ潜んでいて、またぞろ襲来されては堪らない。


 以上の理由から領主の側近たるラウムが、まるで犯人探しの如く調査を行っているのだが、ここまで念入りに第一容疑者ならぬ第一該当人物の身辺を調べているのは、その人物が非常に複雑な背景を持つ捉えどころのない人物だという事に他ならない。


 元々捜査線上には二人の人物が浮かんでいた。


 一人は、古都3強と名高いヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクス。あの高級店で食事を楽しんでいる派手な女だ。影の報告では現在、店の奥に引っ込んでいるようである。恐らく化粧室であろう。


 もう一人はハーキュリース=ヴァン=アルトリーリア=クルーガー。

 最近、街に現れた『魔獣使いビーストテイマー』で、高レベルの魔獣を連れている上に自身は希少な回復魔法使いという期待の新人冒険者である。


 彼には唯一、ドラゴンと戦闘を行ったという複数の目撃証言があった。

 そこでラウムが直接ではないにしても、本人から先日事情聴取を行ったところ、彼は被害を最小限に抑えた最大の功労者の一人ではあれど、残念ながらドラゴンを退散させた直接の要因とは成り得なかったとの結論に至った。本人の弁でも、彼はドラゴンを引き付けてその場に留めることに成功したものの、終始、魔獣と共に時間稼ぎのみに徹し、最後には自身の魔力切れで撤退を余儀なくされたと語ったらしい。


 そうなると残る一人の可能性、ヴィラデルに注目が集まるワケである。

 だが、彼女には非常に黒い噂、この街どころかこの国全体の裏社会を牛耳る組織『四ツ首』の関係者ではないか、との情報があった。


 そうなると、ラウム側も頭の痛いところで、迂闊に接触するというわけにもいかない。

 ラウムは治安維持側の人間だ。『四ツ首』とは明確な敵対関係にはないが、非合法組織であることにも変わりはない。

 下手に捕えられでもして、先王様との交渉材料に使われてしまっては目も当てられない。


 その為、慎重を期して捜査を行っていたのだが、これが中々進展しなかった。『四ツ首』の関係者であるとの証拠は掴めず、かといって表側の人間であるとの確証も未だ持てずにいる。

 はっきり言ってしまえば今一歩信用しきれない女性であるのだ。別の言い方をすれば、尻尾を掴ませない女と言ったところか。


 冒険者として登録されておきながら冒険者ギルドに足を運ぶことは非常に稀だという。

 収入は他の商売人の手伝いや用心棒紛いで得ているようだ。一番最近では高級宿屋の一室を無賃占拠した厄介者たちに制裁を加えて追い出したらしい。宿屋の主人からは、彼女とは前から知り合いで困っていたところを協力してもらったという証言を得ている。


 これは治安維持側から見ればグレーだが、完全な違法行為というモノでもなし、それで報酬を得ていたとして問題になるワケでもない。しかし、本来、冒険者が行うべき活動とは乖離しているのは確かだ。傭兵、もしくは用心棒と言われる闇稼業の連中が行うべき仕事である。


 今日までラウムは、何人もの影を使って何日も彼女の身辺調査を行ってきたがそろそろ時間的に限界である。覚悟を決めて、対話を申し込むこととした。

 旧知の間柄である『子豚の末路亭』オーナーである貴族に協力してもらって、先王様の花押付きのメモ書きをウェイターを通して渡して貰ってある。思惑通りに行くならば、現在彼が監視している『子豚の末路亭』出入り口から彼女がもうすぐ出てきてこちらに向かってくるはずなのだが……。


 その時、彼の喉元にひたり、と冷たく硬質で鋭利なものが当てられた。


「下手に動かないことね」





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