15 第2話05:Bless or Breath
ハークの身体に戦慄が走る。
見上げるような巨躯だ。虎丸も大概だと思ったものだが、それがちんけに見えてしまう程である。圧倒的と言っていい。下手すると全長10丈(30メートル)を超えるのではないだろうか。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
青龍が吼えた。大音響である。思わず耳を塞いだ。耳鳴りでぐわんぐわんする。
青龍がこちらを見た気がした。
『危ないッス、ご主人!!』
大音響で耳を潰されても、念話は聞こえるのだな。そう思った瞬間、跳んだ。
いや、正確には虎丸に後ろ襟を食まれて上空へと連れて行かれたのだ。
一瞬で空へと逃れたハークに見えたのは、さっきまで己が立っていた場所を焼き尽くす青白い炎だった。
「なんじゃ今のは!?」
『
「お前なら耐えられるのか!?」
『オイラも無理に決まってるッス! 1発昇天ッスよ!!』
どうやら神話の好敵手はこの世界では大差がついているらしい。
『とはいえ、また助けてもらったな。礼を言うよ』
『了解ッス!』
眼下では炎が舐めた場所は石畳が融解しかかっている。骨も残らない、は誇張ではないらしい。
『虎丸! 儂でもアレはとんでもないモノだってことはわかる! だが、実際どうなんだ!?』
『鑑定不可だったッス!!』
『何!? どういうことだ!?』
『レベル差が余りにあり過ぎると鑑定できないことがあるッス! 少なくともあのドラゴン、レベル75以上はあるッスよ!』
『75以上だと!? 最低でか!? それってもう最強なんじゃないのか!?』
ハークは先日、虎丸からレベルによる強さの基準を教わっていた。
レベル一桁台は一般人。強さが求められる衛兵や兵士でレベル10から10代半ば。冒険者だと駆け出しでも12以上、ベテランになると20を超え、一部の強者がレベル30を超えて周辺では敵無しとなるらしい。40レベルとかになるともう国に1人とかの超天才ぐらいしかいない。
というのもレベルは20を過ぎたあたりから急激に上がり難くなる。一年に一度レベルが上がればいい方で、数年に一度しか上がらない者もいたり、中には10年頑張ってやっと、という人間もいる。
こうなるとそれ以上のレベルを殆どの人間が目指さなくなる。
これを人間たちはその人の『限界レベル』と呼ぶそうだ。まだ、強くなる可能性はあるのだが、それでも大して変わりはしないと諦めてしまうことが多いらしい。それが大体25レベル前後であり、殆どの人間の『限界レベル』とされている。
その『限界レベル』をいとも簡単に乗り越えていく天才たちこそが一部の強者となるわけであるが、それでも40を超えるのが一時代に数人いるかいないか程度だという。
75という数字は、強さに換算すれば正に桁が違った。
『75なんてレベル見たこと無い筈ッス! その上、ドラゴンは最強種ッス! 間違いなく最強ッスよ!』
この世界では龍のことを『ドラゴン』というのか、とハークは最強種であるということと共に記憶に刻んだ。
ここで漸く着地した彼らは、追撃を警戒しながら距離を取る。
周囲の音はちゃんと聞き取れる。鼓膜まではやられていないようだ。とはいえ、あともう少し耳を庇うのが遅れていれば間違いなく破られていただろう。
『ご主人! オイラもドラゴンと会うのは初めてッス! どんな攻撃してくるかわかんないッスから、もっと離れたほうがいいッス!』
虎丸の指示に従ってじりじりと間合いを離す。だが、何かおかしい。
追撃の気配が全くない。
龍がその動きを止めているのだ。
『何だ? 止まっているぞ?』
『ホントッス! 硬直してるッス!?』
何故だかはわからないが、好機には違いない。ハークはスラムの側に向き直ると大音響で呼ばわった。
「『すらむ』の者共よ! ここは危険だ! 早く立ち去れ! 街の中心に向かうのだ!」
だが、まるで動こうとしない。無視、というより耳に入っていない感じだ。ふらふらと揺れている者もいる。
『ご主人! 聞こえてないッス! たぶん、
「くそっ! おい、そこの!! 儂の声が聞こえるか!!」
ハークは有らん限りの大声で、こちらに寄ってきていた少年に叫ぶ。反応があった。こちらを見たのだ。左耳から血が流れているのが見えるが、どうやらやられたのは左だけで、不幸中の幸いか右は無事だったようだ。
「聞こえているな!? 動ける者をまとめて街の中央部ヘ向かえ! あの馬鹿でかい剣を目指すだけだ! 病人や怪我人で動けぬものは背に負って走れ! さあ、行け! どこまで持つかわからんが背中は儂らが守ってやる!!」
その言葉を聞いて青い顔をしたスラムの少年がこくこくと頷いて踵を返すのを確認すると同時に、虎丸がぐるん、と勢いよくこちらを振り向いて、マジッスか!? と言いたげな表情を浮かべた。
『すまんな、虎丸。ああでも言わんとあの連中、大混乱に陥ってしまうに違いない。下手すりゃ半分も生き残れん。大丈夫だ、少し注意を引きつけて、出来そうであれば進路を変えるだけだ』
恐怖に駆られた群衆ほど恐ろしいものはない。ハークは数多の戦場でそれを経験してきた。
『時間稼ぎッスか? 了解ッス。でもご主人。間違っても勝てると思わんで欲しいッス。たぶん、アレ、オイラの牙でも通じないッスよ』
『それ程か…。肝に銘じておこう。しかし…………、動かんな。どうしたことだ?』
視界の端では、まだなんとか元気のある若い男たちが中心となって、いよいよ避難が始まろうとしていたが、真正面のドラゴンはさっきから仁王立ちのままピクリとも動かない。自らが叩き壊した城壁を越えたっきり、金縛りの術に掛かったかのようである。
『ホントッスね…。ご主人、コレ刺激しない方が良いんじゃあないッスか?』
『お主もそう思うか、儂も…ぬ!? 拙いぞ』
このままでいてくれれば好都合と思われた矢先、街の外側だった方向から武装した一団がドラゴンに向かって進んでいるのが見えた。
整然としたその集団行動は統率された部隊のモノを感じさせる。
彼らの正体は、街の城壁を守護する30人ほどの兵士の一団であった。部隊長の号令で全体が停止すると、次いで左右に展開し戦闘態勢を取り始める。
恐れが無いわけではないのだろう、震えが遠目からでもわかる者が半数近くいるが、それでも各自が命令に従い盾を構え、槍の穂先をドラゴンへと向ける。
約30本の槍林が形成され、その先端が正午の強い日差しを受け返しギラリと光を放った。
「見よ! 魔物は動けぬぞ! 戦神様のご加護に違いない! 総員、奮起せよ! 突撃~~~!」
まだ刺激しないでくれ、とのハークの祈りも虚しく、突撃が敢行された。
ボリス=アルレサスは、ソーディアン城壁警備兵団の部隊長をもう5年近く勤めていた。
35の時に先代の領主様よりこの任を授かったので、つまりはもうすぐ40になる。そして、未だに独身であった。
これぐらいの歳になると嫁を探すにもひと苦労だ。
余程の幸運に恵まれるか、資産家か、一部の高給取りでもない限りいい話などやってこない。
残念ながらボリスの実家は代々続く兵士の家柄で、勿論資産家などではないし、警備兵団の部隊長という職も一部の高給取りには含まれていなかった。こういう場合、父親か母親が血眼になって駆けずり回り、どこかの行き遅れを探し当ててくるのが定番だが、どちらもすでに他界している。
父と母の夫婦仲は悪くなかった。時々意見の対立はあったようだが、概ね家庭は平穏だったとボリスは記憶している。時が移れば自分もあんな家庭を持つのだろうと漠然と考えていたが、気が付けばもうこんな歳になっていた。
ボリスの家はこの古都ではそれほど珍しくもない戦神信仰の家である。母方の実家も同じく戦神を信仰しており、それが縁だったと酔った親父が昔語っていたのを憶えている。
戦神様の神話はそれこそ耳にタコができるほどに聞かされた。
戦神様と悪神との戦いの神話を一言一句違えずに語れる自信すらある。
ソーディアンに巨大なモンスターが接近していると聞かされた時、ボリスたち戦神を信仰する者達の慄き様は他者の比ではなかった。
「この世の終わりか!?」
などと叫んだのは、ボリスの部下であり、自分と同じく戦神信仰の家柄出身の兵士であった。
ボリス自身も戦神様の予言が頭を掠めたが、懸命に部下達を宥め、ここまでやってきた。
古都と戦神様の御膝元をお守りするのは我らしかいないのだ。
そして今、目の前で、戦神様の
ドラゴンらしき魔物が動きを止めているのはそれしか考えられない。まだ世界が終る時ではないのだ。
部下達も戦神様のご加護に闘志を漲らせていたようだ。武者震いが良い証拠であろう。
突撃を命じると共にボリスもドラゴンの背を目掛け突進する。あとほんの少しで槍の穂先がドラゴンへと届くと思ったその時、ドラゴンが首を巡らせ、こちらを振り向いた。
(そういえば、今日はよく昔を思い出す日だな……)
何かが光ったと思った瞬間、ボリスの身体から肉と水分が全て蒸発した。一拍遅れて骨が炭化し、更なる熱で分解され粉末となり、風に乗って吹き飛ぶ。着ていた鎧や武器も、布や木製箇所はとっくに消し灰と化し、金属部分は赤熱化後融解し、瞬時に沸騰、その後蒸発した。
もはやその場にはボリスという人間がいたという証は何一つ残されていなかった。
だが、ボリスが痛みを感じるどころか、自分が死んだことすら気づく暇も無かったというのは一つの僥倖とも言えるのかもしれなかった。
何が起こったのか、すぐにはハークも理解できなかった。
『まずいッス!! また
叫びにも似た虎丸からの念話を受ける一方、後ろから突撃を受ける形となった青きドラゴンが、あと2丈(6メートル)程の距離に兵士たちが踏み込んだ瞬間、そちらへ素早く向き直り、かぱり、と口を開けるのを見た。
そして、轟音と共に光が辺りを覆ったのだ。
「うおっ!?」
突然の強烈な光に目を開けてもいられない。轟音のせいで周囲の状況を音で掴むことも出来ない。光は真夏の太陽の如きであり、轟音は大筒の連続放射を受け続けたかのようだった。
次いで、強烈な爆風に吹き飛ばされそうになる。前世で一度経験した、百年に一度とも言われた大台風の暴風かのようである。
目を腕で庇い、暴風から飛ばされぬよう後ろから彼を支えるように傍に立つ虎丸にしがみつくことしかハークには出来なかった。
どのくらいそうしていたであろうか。数瞬にも、長き時にも思えた。
目を開けると景色が一変していた。突撃した兵士たちは影も形も無く、その先に続く森の木々は消え去り、地平の彼方まで地は焦げてぶすぶすと煙を上げ、さらに先の彼方の山々はその形を変えていた。
〈山津波すら起こしたか!?〉
もはや驚天動地の威力だった。兵士たちが存在した地点から真っ直ぐ南に向かって地形が変わっているのだ。
〈天災すら起こす……。これがこの世界の最強たる力!?〉
天地をも震わす圧倒的な力に、人の身で対抗など敵うのかと震えが来るようであったが、一方で、この力を振る得るまでに達する可能性が我が身に存在するかもしれないことに、歓喜の震えもまた感じるのであった。
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