13 第2話03:Slum


 路地裏から飛び出してきたのは一人の少女だった。

 いや、その走り方も覚束無い様は幼女と言った方が良かった。

 何かを胸に抱えて前しか見ずに走っていたのだろう。突然、目の前に現れた少年に、わっ! と声を上げた。


 ハークの方は出会い頭とはいえ、突然という感じではない。

 何かが横合いから走ってきていて、細い路地の交差地点でこのままいけばぶつかるとわかっていたし、わかっていなくとも対応できない速さではなかった。

 だから、余裕をもって回避したのだが、幼女はそうではなかった。

 驚いた拍子に持っていた大事なものがぽーんと手からすっぽ抜けて、上空に放り上げられてしまったのだ。


「あっ!?」


 放り上げられたものはお椀だった。ぼろぼろで使い古され、薄汚れてもいたが、幼女にとっては大切なものなのであろう。悲しげな声を上げた。

 すぐに身を乗り出すが、幼女の儚げな身体能力では間に合いそうにもない。

 陶器製のそれは地面に落下すれば粉々になる筈である。それをもはや成す術無く眺めるしかなかった幼女の悲しそうな声に反応して、ハークはそれが地面に墜落するギリギリでキャッチした。


 ハークは前世から子供(と美しい女性)には優しかった。野獣のような風貌のせいで過度に接触するとよく声を上げて泣かれてしまったが。


「あっ……あっ……」


 幼女は自分の手を離れたお椀が無事なのに安心したのであろう。が、それが見知らぬ少年の手にあるのを見つけて返してほしい、と言いたいのであろう。だが、その後ろには白くてデッカイ大虎が少年を守るように控えている。とても、声なんてかけれない、そんなところであろうか。


「ホレ」


 だから、ハークは出来るだけ優しい笑顔でお椀を返してやる。幼女はたちまち笑顔になり、渡されたそれを胸に抱えるとぺこりと頭を下げて言った。


「あいがとぅ……!」


 しっかりとお礼を言って、先程と同じように走って立ち去る幼女の背を目で追いながら、しばらくハークはその笑顔が瞼の裏に沁みついてしまった。

 にぱっ、と笑った幼女の歯は数本しか見えなかった。欠けたか抜け落ちたか。いずれにせよ栄養状態が悪いのだろう、体も小さく、そういえば痩せ細っていた。着ているものも相当に使い古しでボロだった。


 ハークがこの街に来て以来、というかこの世界に来て以来、あんな戦災孤児のような子を見るのは初めてだった。前世ではたまに貧しい村とかで見たが、こんな豊かな街でお目にかかるとは想像していなかった。


『あー、あれは『スラム』の娘ッスね』


『すらむ?』


 何とはなしにその場所が気になった。自然と足が向かってしまう。


『行くッスか?』


 ハークはほとんど無意識で、ああ、と応えていた。




   ◇ ◇ ◇




「なんじゃこれは……?」


 ハークは我知らず呟いていた。


 その場所は古都の南西端、城壁がすぐ傍の空き地の一角にあった。

 そこには百人近い老若男女が集まっていたが、皆一様に痩せ細り、あの幼女のようなボロを纏っていた。表情も暗く、目は虚ろなものさえもいる。

 瓦礫かゴミか区別のつかぬ建材で支柱を建て、ボロ布で外壁の代わりとした、前世での掘っ建て小屋もかくや、という家らしきものが点在していた。

 前世で、『道々の者』のような漂泊の徒が河原に廃材で良く家を建てていたが、例えちょっと雨が降って川が増水しただけで流されるような家でも、あの家らしきものと比べれば豪邸と言えるのではないか。


「この人たちは、罪人か何かなのか?」


 虎丸に向けての言葉であった。念話を使うことすら忘れている。


『いや、罪人って罪を犯したヒトッスよね? 彼らはそうじゃないと思うッス。『ステータス』の『功罪』欄に、ほとんど何も記載が無いッス』


 また何やら新しい単語が飛び出てきたが、構う余裕はハークに無かった。

 この場所に来るまで、立ち並ぶ家々は煉瓦か石造り、道には街路樹、細長い灯篭に敷かれた石畳。お伽噺かとも思えた荘厳な街並みが、この一角だけ切り取られたかのように一変したのだ。


 悪い冗談か、白昼夢を見ているかのようだ。


「ならば何故誰も助けぬのだ? この街はここまで豊かなのだ。これだけの人数すら面倒をみる余裕もないなどとは言わせぬぞ」


 ハークの言葉は段々怒りすら籠ってきていた。太陽の光を遮るくらいしか意味をなしていない天幕のような建物には、劣悪な環境ゆえ身体を壊したのか青白い顔で臥せっているものが何人もいる。

 それが先程の笑顔を見せた幼女の未来の姿かと思えてしまう。


『ああ、そういえば思い出したッス。なんか、難民、とか言ってたッスかね。この国の人間ではないらしいッス』


「難民? 敵国からの難民ということか?」


『そこまではわからないッス』


 敵国から、であればわからなくもない気はする。だが、それでもこれはやり過ぎだ。天国と地獄が近過ぎる。見えぬならまだしも、こんな近くでは見せつけているも同然である。この環境が地獄に住む側に理不尽と怒りを抱かせても、何の不思議もない。


「この国の、いや、この街の為政者は無能のようだな」


 余りこんな往来で話すことではないのを百も承知で言わざるを得なかった。早晩、彼らの怒りが噴出するに違いない。その後に待っているのは彼らの虐殺だろう。人数も規模も違いすぎる。例え証拠があろうと無かろうと危険物と為政者に見做されればそうなる。

 仕掛ける側はそれを承知で仕掛ける事だろう。

 だが、打撃をまず受けるのは街の側なのだ。その規模が小さければいいが、大きければ……。



『ねえ、ご主人。この人たちは何を目的に生きてるッスか?』


 珍しく、虎丸からの質問だった。

 考え事の最中だったが、纏めている段階だったために逆に落ち着けた。だが質問の意味が分からない。


『どういうことだ?』


 思わず聞き返した。今度は念話だった。


『この人たちは何の為に生きてるッスか…?』


 またも同じ様な台詞だった。一瞬、からかっているのかとも思ったが、虎丸がそんな性格じゃないことはよく知っている。茶化すとか、揶揄とか、そういった意味の言葉でないことは、虎丸の目が真剣な輝きを放っていたことからもわかった。


 とはいえ、まるで禅問答のようだ。


『何故、そのようなことを聞く?』


 何と答えていいかわからず、またも聞き返してしまう。


『オイラたち魔獣っていうのは大抵が生きる目的……っていうか、使命みたいなものを持って生まれてくるッス。その場所を守護したり、生き残って数を増やすことだったり……。でも、人間ってたまによくわからない理由で生きてるって思える者も多くいるッス……』


『なるほど。虎丸の生きる目的とはなんだ?』


 何となく答えは分かっているようなものなのだが、聞かずにはいられなかった。


『もちろん、ご主人と共に居ることッス! オイラはご主人のお祖父さん、2代前の方に拾われたッス。それからずっと一緒だったッス。次に、その息子さん……。そして、今のご主人ッス!』


 その言葉は、ある程度予想は出来ていたものであっても、やはりハークは嬉しかった。

 同時に少し不安にもなる。虎丸の自由を奪う程にこの身体の持ち主は立派なのだろうか、と。

 虎丸は充分に強い。知識もあるし、一人になっても問題無く生きることが出来るだろう。むしろ自分という足手まといが無くなるのではないか。


『そうか。儂としてはお前について来てもらって感謝しかない。命も救われたことだしな。だが、虎丸は儂の面倒だけ見ていて大変ではないのか? 自由に生きたい、と思うことは無いのか?』


『自由っていうのは人間の概念ッス。オイラにはよくわかんないッス。それに、オイラは元々寿命長かったッスけど、精霊種になって、さらに伸びたみたいッス。だから、ご主人が生きている間だけでも、一緒に居させてほしいッス! 大変なんかじゃないッス!』


 何という忠義者だと思った。

 そして、本来、その忠義を受けるべき人物、いや、人格は、もう既にこの世に存在しておらず、そのことを告げられないもどかしさに、不憫が募った。


〈生きるか、虎丸と。それしかないな〉


 真実を語ることのできぬ侘しさを紛らわすにはそれしかない。


『わかった。儂は死する時までお主と一緒にいる。これからもよろしく頼む』


『もちろんッスよ! そんでもって、ご主人には生きるだけ生きて欲しいッス!』


『そうか……、そうだな。改めて礼を言う。さて、ところで最初の質問だが、彼らが生きる目的だがな……恐らくは、とにかくその日その日を生き延びる、ってことであろうな』


『何ッスか、それ? それって、生きる目的なんッスか?』


『厳密に言えば違うな。人間の世界は時に残酷で、まずは己が生き延びなければならぬ、という状況に陥ることがある。そんな時に、自分がどうなりたいか、何を残したいか、など考えられん。生まれたから生きている、とも言えるな。いや……、死ねぬから、生きている、だな』


 前世での子供の頃、農村にいた頃を思い出す。あの頃は生きるのに精一杯で、抱いた夢、というより野望すらも毎日に埋もれてしまいそうであった。もし、あのまま村を出ずにいたら、確実にそうなったであろう。


 虎丸は項垂れて言った。


『目的も無く、産まれたから生きている……死ねないから生きている……、何か、とても可哀想ッス。悲しいッス』


『……そうだな。悲しいし可哀想だ。だが、言ってやるな。彼らにとってはそう思われることが屈辱であろうからな』


 そこからは何とは無しに無言だった。

 だが、視線は同じ方向を向いているとお互いが確信していた。


 奥の方で煙が上がっていた。

 火事か、とも思ったが、どうやら違う。煮炊きをしているようだった。

 まるで風呂釜のように大きな大鍋で、ぐつぐつと得体の知れぬものが煮込まれている。だが、匂いだけは美味そうだった。

 そこに集まる人々には笑顔の人間もちらほらいる。子供は特にそうだった。

 灰色の世界で、そこだけ色づいているような気さえした。救われた気さえした。


 順番待ちなのだろう、そこに待つ人々は手に手にお椀をもって並んでいた。

 見れば、あの時の幼女もいる。


 出来上がったのであろうか。小さな歓声がここからでも聞こえる。

 次々と並ぶ人々のお椀にごった煮がよそわれていき、幼女の番が近くなってきた。しかし、そこへ幼女よりも少し年長の少年二人がくっちゃべりながら割り込んだ。

 少年たちは話に夢中のようでもあり、幼女に気付かず割り込んだようにも見え、わかってて割り込んだようにも見えた。

 遠目にも幼女がシュンとなっているのがわかる。だが、自分から文句を言える性格ではないのだろう。

 ハークが釈然としない気持ちを抱いていると、横合いから少年達よりもさらに年長の少年が彼らに注意していた。二人組の少年は抵抗せず、大人しく引き下がった。

 注意した少年に促され、幼女の番が来た。ごった煮をよそわれたお椀を受け取っての満面の笑みを見て、何故かハークが安心してしまう。

 その笑みは輝いているかのようだった。もはや歯が無いことなどどうでもよい程に。


 不意に虎丸から念話が飛んできた。


『ご主人は、あるッスよね、生きる目的。じゃなかったら、あんなに強い力、出ないッス』


 強い力。森で3人組の内、一人を討ち取った力であろうか。

 厳密にはハーク一人の力ではなく、多分に虎丸の支援があったからこそではあるが、確かに己の強い目的があってこその、あの結果だった。


『虎丸は本当に賢いな。勿論、あるさ。この世界で生き残って、生き残って、そして強くなることだ。そして、最強に―――いや、最強になることなど目標ではないな。儂が目指すのは剣の頂点。つるぎを極めることだ』


 それを聞いて、虎丸がくるりと顔をこちらに向けた。真っ直ぐハークを見て言った。


つるぎ、ッスね! じゃあ、まだまだゼッタイ、死ねないッスね!』


 ふっ、と少し笑ってハークは返答する。


『ああ、そうだな』


「おい! そこのお前! 何見てる!?」


 ハークの言葉が言い終わらぬうちに、明らかにハーク達に向かって大声が投げつけられた。

 さっき割り込んだ二人組を注意した少年だ。年齢は15歳くらいでハークより少し背が高い。

 彼はこちらに近づいて来ようとして、一瞬硬直した。虎丸と目が合ったからだろう。が、気を持ち直すようにするとまたこちらに歩みを進めてくる。

 その光景は、因縁をつけに来た、というより、じろじろとみる無作法な他者の視線から仲間を守ろうとしているかのようであった。


〈しまった。あまりにも長い時間居座り過ぎたか〉


 己が非を悟り、さてこれからどうするかと、一言言って退散するか、応対するかを決めかねていると、遠くから、ブォーーーー、という重低音の笛の音が聞こえてきた。


「な、なんだ!?」


 近くまで来ていた少年が慌てたような声を上げて周囲を見回すのと、明らかに緊急事態を報せる鐘の音が辺りに響くのはほぼ同時だった。


 カン、カン、カン、カン、カン!!


 街の中心部から流れてくる警報の音が周囲を騒然とさせる中、最初にそれに気付いたのは虎丸だった。


『何か……来るッス!!』


 その瞬間、『すらむ』と呼ばれた場所の裏手に聳え立つ城壁が、突然、砕かれた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る