ライアン・シアター5

リッチメンズアイランドで今回の事件が発生する二週間前、絵人トゥーンについてとある研究結果が発表された。


内容は彼女のプロファイリング結果だった。


これまでの行動を収めた動画から、その表情を読み取り、何に対してどう思っているのかを読み取とろうとしたもだった。


微表情、喜怒哀楽に代表される顔の変化は文化言語人種を超えて共通であるとされる。


それを踏まえ、アニメ調であるロジャーヘアーの表情を分析した結果、二つの表情から、逆算的に彼女の正体に迫るかもしれない事実が浮かび上がった。


一つ目は悪質なストーカーに襲われた時、浴びせられた硫酸から間一髪、逃れた瞬間の、本気で命の危機を感じた瞬間だ。


当然、恐怖の表情だった。


二つ目は、晩餐会、シャンパングラスを渡された時、中の匂いを嗅いでお酒だとわかった瞬間だ。


何故だかこちらも同じ、恐怖の表情だった。


この時のインタビューによれば、初めてのお酒でビックリしたのだと、だけど未成年だから遠慮したとあった。


しかし表情は恐怖、驚きではない。ならば何か、なぜ誤魔化したのか、意図的か、本人もわかってなかっただけなのか、そこら辺の溝を埋める手掛かりにあ、アニメ特有の縛りがあった。


年齢制限、表現に関する規制、法として定められてはいないが、多くの放送局、ビデオ屋、映画館、動画配信サイトが遵守していた。


その中の基準の一つ、例えどんなに軽微であったとしても、どのような経緯であろうとも、中で法を犯すシーンがあれば、そのアニメは全年齢指定から外される。


例えば未成年の飲酒などは子供への悪影響を防止するため、十二歳以上でなければ親の許可と監督なしに見ることができない。


……ロジャーヘアーの始まりは全年齢アニメのキャラクターだった。


そんな彼女がレーティングを外されてしまったら、アニメとして生きていけない、というのは滑稽ながら、多くの研究者からはありえると受け止められた。


豹変後の虐殺を指摘するものもいるが、この年齢制限の基準の中に、殺人はなかった。


これは昔話や歴史を題材とした教育アニメを配慮したもので、そこに明確な暴力、流血の描写、身体の欠損、はっきりとした死体、それらを揶揄するような言動があって初めて規制対象となる。


しかし、彼女の操る氷は、瞬時に凍らせ、まとめて押し潰すことで、暴力も出血も欠損も死体さえも目立たせずに殺した。言動も、言葉はなくなり、表情も死んで、引っかからなかった。


ここまでアニメに影響を受けているとなれば、彼女の洗脳説はかなり強いものとなった。



一瞬なはずなのに、ヒニアには長く長く長く感じた。


クラクとロジャーヘアーの、唐突すぎるキスシーンは、何もかもをひっくり返していた。


あれだけ殺して、あれだけ攻撃しあって、ついさっきまで必殺の攻撃を打ち合っていて、その結果の接近戦なのに、そこからの、いきなりな口付け、ヒニアは追いついてなかった。


ただざっくりと、洗脳された彼女が口付けで解放さてる、というイベントは物語としては王道で、かなりロマンチックだと思った。


ただそれにはこれまでの繋がりとか積み重ねが必要で、それがないなら一度失敗して後から本命が成功させるパターンかな、とまで考えた。


そこまで妄想を膨らませてたヒニアが見てる前で、一瞬クラクの両手の炎が大きく光ると、萎むように消え、それから掴んでいたヘアーの手を放した。


放されたヘアーは、それでも離れない唇からまるで空気が抜けているかのように、彼女の長い耳がへたって倒れた。


それを確かめてから、ゆっくりと、クラクは唇を離した。


間に糸を引くような濃厚なキス、その後に残されたのは、一本のタバコだった。


口移し、いつの間に口の中に仕込んでいたのか、丁寧にフィルターを逆に咥えて、先に青い火まで点けてあるのを、キスに見せかけて唇の間にねじ込んでいた。


そういえば、アニメでタバコを吸うシーンってあんまり見た記憶がないな、とヒニアは思った。それと、ウサギの唇に咥えられたタバコは妙に似合ってるなとも思った。


ヘアーは、へたった耳で最初驚いた表情、次に大きな目を寄り目にしてタバコの先を見ると、小さく微笑んだ。


そして不器用に、右手の人差し指と親指でフィルターを掴んで固定して、大きく吸い込むと、ケホリと咳き込んだ。


不器用な喫煙は初々しく見える。


タバコを口から離して、煙を吐き出し、それで輪を作って見せると、ヒニアが動画で見てきた、いつもの笑顔を浮かべた。


そしてヘアーは、手のひらに乗った雪のように、融けて消えていなくなった。


残されて落ちるタバコを素早い空中でキャッチする。


消えた虚空をみつめて、クラクはタバコを持ち直すと、自分の唇に咥え直した。


そして大きく吸い込むと、煙を天井めがけて吐き出した。


何か意味ありげな、幻想めいた、まるで映画のワンシーンのように、ヒニアには見えた。


何か、思うところがあったんだろうか。


静まった舞台の上で、クラクは余韻に浸るように、また煙を吸いこんだ。


「素晴らしい!」


余韻をぶち壊す声が響く。


現れたのは、ライアンだった。

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