第11話 謎の男・リリアック


「グラディウス侯宛の手紙だ」


 はいはい、と返事してルーカスは扉の前で分厚い手紙の束、および巻物を受け取った。

 ルーカスの弟子としての役目は、プロクスへの手紙の振り分けも含まれる。魔法がかかっていなければ、中を見ても良いと言われている。


「夜会の参加、面会申し込み……明日は王サマたちの舞踏会だから予定は何も入れない」


 ルーカスは買ってきたビスケットを口に放り込んで、作業を開始する。


 プロクスは、休暇の間にテルーの所へ行くと言っていたから、その間の申し込みは全て断ることにする。ルーカスは、手紙に勢いよく×をつけていく。

 手紙の整理をしながら、ふと姉弟子のテルーから手紙が来なくなったな、とルーカスは思った。

 師匠であるプロクスには砂糖菓子のように甘いくせに、ルーカスには非常に厳しい姉弟子が、彼は苦手だった。何よりこの国ではあまり見ない、独特な薄い空のような瞳が怖い。髪はさらさらの銀髪で、ルーカスには鋭い針を連想させた。

 この世界では、魔力が高いものは異質な色を身体のどこかに持つ。ルーカスの赤みがかった、あまり見ない蜜柑色の髪や琥珀の瞳も、魔力の高さ故だと言われている。

 テルーは異境の部族らしいが、弟子となった経緯は聞かされていない。尋常ならざる魔力を持ち、プロクスから「素質がある」と言われたルーカスですら、魔法では敵うかどうか怪しい相手だ。


 実際、彼女はとても優秀だった。


 ルーカスを弟子として迎えてから、テルーは徐々に【商人連】に請われて、あちこちで依頼を受けるようになった。

 今回ほどの長期の仕事は初めてだが、毎度離れても手紙は欠かさず届いていたように思う。

 もうすぐグラナート公国との契約を終了するにあたり、忙しいのかもしれないとルーカスは思う。正直言うと、彼女には帰ってきてほしくない。プロクスを独占して学べないのは嫌だった。


 ――さっさと自立して。いなくなって。先生に心配かけないで。


 姉弟子のテルーは、口を開けばそう言った。

 テルーはよく赤い目をして真剣を振り回してルーカスを訓練しようとする時もある。

 赤い目、というのは泣いているということではなく、瞳が赤くなるのだ。あの目を初めて見た時、ルーカスは恐怖で体がすくんだ。捕食される者の気分だった。

 姉弟子は外面だけは良かった。あまり華やかな場を好まないプロクスだったが、どうしても舞踏会に出席せねばならぬ時はテルーを同伴させた。

 彼女は一見地味な衣装を着て見えたが、その実全て一級品を身にまとった。派手なものを好まないプロクスの趣味に合わせ、自ら選んだ衣装をまとい、群がる貴公子を鮮やかにあしらった。

 先生、と甘い声を出し、騎士王に侍る美少女の姿はたちまち宮廷の話題となった。テルーは「ロバ騎士を射止めた氷の美姫」と話題になった。そして、騎士王もついに色ぼけ老人となったと囁かれるようになった。


 それが三年ほど前のことだった。


『私が戻ってきたら先生のお世話は私が全てするの。あんたももう成人になるんだから、早くこの家を出て行くのよ』


 テルーは長期出張に出かける前、そう言った。その時、ルーカスは大量の洗濯物を干していて、さっさと姉弟子が出て行けば良いのに、と嫌々聞いていた。

 と、その時、洗濯物の白いシーツの向こう、プロクスがアシリータを連れてゆっくり散歩に出掛けるのが見えた。

 いつもはすぐに駆け寄るはずのテルーは、シーツの合間からその姿をじっと見つめていた。そのいじらしい様子だけならば、彼女はとても愛らしかった。


『……これで、やっと、私はあなただけのものになるんだわ』


 テルーは恋する乙女のようなことを言った。が、その目は獣のように赤く爛々と輝いていた。

 姉弟子は、恐らくプロクスのことが好きなのだろうとは思う。だが、その様子は普通の恋する人間とは違って見えた。


 先生はどうなのだろう、とルーカスは思う。


 プロクス=ハイキングは、とにかく女と子供に甘いのだ。いつも顔を隠しているからわからないが、その声音からテルーには他の女性たちとは違った親しみが滲み出ているのを、ルーカスは敏感に感じ取っていた。

 そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。


「騎士王サマ、いるか? クラーバだ」


 少しかすれたような、男の声がした。


「リリアック? 今はオレしかいないけど――」


 言葉を待たずに、するりと細身の男が入ってきた。

 身に付けるのは、城にいるにはまるで相応しくない、薄汚れた革の服。男の蜜色の髪と同じ無精髭は、だらしなく酒で濡れている。一緒に入ってきた強烈な酒の匂いに、思わずルーカスは後退った。


「酒くさっ、歩かないで。息するなよ」


 そう言うと、長く伸びた前髪の間から、紺碧の瞳がのぞいて、すっと細められる。


「無茶言うな。騎士王とこの間賭けたんだ。最先端の魔法で何重も守られたこの城の部屋にどうやって侵入するかってな」

「それで?」


 リリアックは、目を大きく見開き、パンと大げさな動作で手を叩く。


「俺サマはこうしてたどり着いた。内緒だ」


 恐れ入ったか、と口笛を吹きながら両手を広げ、後ろに引き下がる。そのむき出しの腕は、指先から肘までびっしりと古代魔法文字による入れ墨が施されている。


「それで、騎士王サマはどちらへ? タイタニス様に俺と会えって言われなかったのかよ」

「夜に麺食べに帰ってくるって言ってたから、戻ってくるんじゃない?」

「この【西の大角】クラーバサマを差し置いて、麺かよ」


 リリアックは豪奢なソファーにどっかりと座ると、また酒をこぼしながら飲んだ。そして、彼はふと気がついたように酒瓶をルーカスに差し出した。


「飲むか?」


 リリアックの目が悪戯っぽく笑っている。


「いらないよ」

「先生に怒られちゃう~ってか? たまには羽目を外せばいい。酒は大人の男の嗜みだ。もうすぐ十五で、成人だろ?」


 ん?とリリアックは酒瓶をルーカスの顔の前で揺らした。ルーカスは眉間に皺を寄せながら、酒瓶を手に取った。とたん、その匂いでむせた。


「くさ! リリアックのにおい!」

「失礼な奴だな。蝮酒だ」


 リリアックはにやにやと笑った。


「今度はお子ちゃまの口にあう甘い酒でも持ってきてやろう。俺はお前の年には酒瓶は常時携帯していた。消毒や魔除けになるからな」

「……それで飲んでるの?」

「いや? 好きだからだ」


 リリアックは酒瓶を机に置くと、今度は腰の小刀を取り出す。手のひらでくるくると回し、素早く鞘に収める。その動作がリリアックに似合わず格好よくて、ルーカスは思わず身を乗り出した。


「今の、もう一回やって」

「あん? お前の先生に教えてもらえよ。これ接近戦する時の『先生』のクセだろうが」


 ルーカスは下を向いた。


「俺、小刀なんてほとんど使わないよ。長剣と、警棒と、槍の訓練は受けたけど……」


 リリアックがはぁ?と顔を歪めた。


「貴族的、儀礼的な騎士さまの訓練しか受けてこなかったのか。実戦は? 騎士王が実際に戦っているところは見たか?」


 ルーカスは真っ赤になった。


「十五になったら! 連れて行ってくれるって言ったから!まだなんだよ! 俺はまだ騎士見習いだからって……」


 言葉が尻すぼみになる。どんどん自信が無くなっていった。


「マジかよ。お前、それで雷蹄を継ぐ気か? 騎士王も何を考えてんだ。麺より訓練しろよ!」

「先生は! 忙しいんだ!」


 ルーカスは怒鳴った。

 小さい頃は、ほぼ一日一緒だった。プロクスはとても気を遣っていたのだろう。十を超えた頃から、少しずつ他の人間も交えて訓練を始め、勉強も教師が見てくれるようになった。

 この年齢になり、無邪気に「先生」と慕っていた人間がどれほど凄い人間なのかというのを、身に染みてわかってきている。

 そして、周囲の「騎士王の弟子」という自分の立場が、いかに期待されているかと言うことも。


「訓練はしっかりやってる! 俺は、先生の後を継ぐんだ!」


 ルーカスは、自分の手を握った王の手を思い出す。孤児だった自分は、「騎士王の弟子」となっただけで、天にもいるような人と触れあえる立場になった。それが最近、とてつもなく恐ろしく感じることがある。


「ルーカス……」


 リリアックは名を呼び、ため息をついた。

 ルーカスに一心にかけられている期待をリリアックは知っている。まだ十四の子供には重すぎる。


「よし、騎士王が戻ってくるまで訓練してやる。中庭に来い」

「え……? リリアックが?」


 ルーカスは目を丸くした。


「俺をただの酔っ払いと思うなよ。昔はお前の尊敬する『先生』の影武者すら務めたんだぜ?」


 そう言って、彼はぽんぽんとルーカスの肩を叩いて中庭に誘ったのだった。


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