第10話 【商人連】

 窓もない馬車の中は薄暗く、燭台の明かりがちらちらと揺れる。その光のために、【商人】たちの影が大きくなったり、小さくなったり蠢いた。


『もうすぐ、【約束】の期限。ちょうど次代の王も成人する』

『君はありとあらゆる役職、任務から解かれる』

『そなたがあの時代を知る最後の不死者』

『それは不可侵の契約である。しかし、三年後にお前の弟子が【雷蹄】を告げるようになっているかどうかは疑問だ』


 【商人】たちは、次々とプロクスに話しかける。まるで木々のざわめきの中にいるかのようだった。


「後継を見つけて退役するのも約束だった。しかし、正直言うと、あの規模の武器はもう不要なのではないかと思っているのだが……魔王は二度と蘇ることはない」


 プロクスは幾重にも施された結界と複雑な術式のことを思う。多大な犠牲を払い、奈落の魔女や魔王は封じられた。

 そして、五十年前の魔族との十年戦争以来、魔物の大規模発生・空白地帯からの侵攻は起きていない。


『雷蹄は戦火から我々が創り出した。特定の者が管理しないと危険である。特に、イオダスの手に渡るのだけは避けなければならない』

『イオダスについている【商人】。あれは均衡と摂理を破壊する。欲望に忠実だ』

「……蚕子サンコか」


 プロクスは、イオダスの衣服の一部となっている【商人】を思い出す。糸の塊のような姿だが、近づくと全身を針のように変え、相手を捕食し、繭の中に取り込んでしまう。そして、跡形も残さずに奪い尽くしてしまうのだ。


 蚕子は、自称芸術家の【商人】。契約した者、賭けに負けた者は異形に成り果てる。その結果、イオダスの姿形は人間離れし、それは感情にまで影響を与えた。


 プロクスは、弟子が異形となった日、何を被っているのだろうと黒真珠の頭をつかんで引き抜こうとし、真剣に怒られたことを思い出した。

 あれ以来、弟子が感情的になっているのを見たことはない。今日の大年会のイオダスは通常運転である。蚕子もまた力を増し、最近では華麗な孔雀の姿を取るようになった。


『蚕子は【商人連】を脱し、独自に客を取り始めた。独立は我々の定期的な訪問を前提に許した。蚕子に迎合する【商人】も出てきている』

「すると、イオは【商人連】の騎士ではなくなったということか?」


 弟子から一言もそんなことは聞いておらず、プロクスは仮面の下で目を見開いた。


『そういうことだ。イオダスはもう商品ではない。彼は蚕子の仕事の相棒であり、彼自身が【商人】に等しい行動を行なっている。非常に危険だと我々【商人連】は見ている。欲望のために等価交換を行なうことはできない』

『人は我々と同じ【商人】にはなれない。蚕子と共にあるならば、文字通りの人外と成り果てるであろう。イオダスもまた欲望に忠実な性質を持つからな』


 プロクスは、思わず俯いた。深くため息をつく。

 そんな彼女を慰めるように、首の後ろから白雪が出てきて、組まれた腕の上にちょんと留まった。

 一方の【商人】たちは、そんなプロクスの様子を頭巾の下からずっと見つめ続けていた。彼らの生み出した、最高傑作の【商品】を。

【商人連】は気づいている。

 いくら素質のある人間の子供だと言っても、ルーカスには到底雷蹄を扱えない。国の防衛を考えたならば、この世において最強と言っても差し支えない雷蹄の主は必要だろう。


 プロクスが騎士王を退官すると同時に、【商人連】と王家との契約も終了することになっているが、果たして今後の国防を担っていくのは誰になるのか。


 だが、それは【商人連】の与り知らぬところだ。彼らは求めに応じ、商品を提供するだけだから。

 そうして得た報償で、海の向こうの楽園に行く。人外である【商人】たちの目標だ。


『プロクス。約束の期限が来たら、どうするつもりだ?』

『そなたの望みは変わっていないのか?』

「……変わっていない」


 そうか、と【商人】たちはそれぞれ返事をして沈黙した。


 その脳裏には、在りし日のプロクスの姿。


 最愛の者を失い、打ちひしがれ、泣いていた。その美しい魂の声に惹かれ、【商人】たちはプロクスを作り変えた。その願いを叶えることを条件に。

 ――最強の騎士、プロクス=ハイキング。

 その呪われた生まれ故に、戦い続けることを運命づけられた、死ぬことの許されぬ子。

 きっと、人は騎士王を必要とするだろう。

 商売はまだまだ続きそうだ。【商人】たちはそう思い、頭の中で算盤を弾いた。


 ✧ ✧ ✧


 プロクスが車から一番に出てくると、イオダスが扉の前で手を差し出していた。


 蚕子が芸術家であることを自称するのが納得できるくらい、その黒真珠の頭部とその肢体は完璧な造形だった。加えて、その所作は洗練されており、優美なことこの上ない。

 彼はプロクスの手を取り、自分の腕に自然に絡ませると、ゆっくりと歩き出す。


「それではまず、研究所の案内を」


 振り返ると、巨大な鉄の門が重い音を立てて閉まった。車はすでに研究所の敷地内に入っていたらしい。門の左右に伸びていく壁は分厚く、高い。五階建てぐらいはある。

 プロクスは周囲を見渡した。魔法の気配が濃い。壁だけでなく、空まで覆う強力な防壁魔法がかかっている。魔方陣が煌めき、時折それが透けて見えた。


「ハル。案内を我が弟子のスカラーにさせます」


 そこにいたのは、焦茶色の髪に碧眼の青年だ。整った美しい顔に口元に笑みをたたえているが、どこかこちらを探るような目をしている。

 彼は優雅に一礼する。動き方が大仰で、どこかイオダスに似ていた。


「弟子がいるとは聞いていたが、利発そうな子だな。その翡翠の目はソル伯爵家の子だな」


 プロクスは先程の会議での侯爵を思い出す。


「神鹿軍団長・イオダスが弟子を取るなんて滅多にないことだぞ。父上もさぞかしお喜びだろう」

「は……父、は喜んでくれました。二人とも、我が一族の誇りだと」


 スカラーは静かに答えた。


「スカラーの兄も我が弟子。今日は仕事で不在ですが」


 イオダスが促し、先導するようにスカラーは歩き出す。


「スカラーの兄とは、スルーダーのことか」

「そうです。噂を聞きましたか?」


 プロクスは、薄いベール越しにイオダスを見つめた。


「噂は入ってくる。性格に難ありだと」

「腕は確かですよ。そして、恐れを知らない。喜んで魔物の頭を叩きつぶしにいく男です」

「魔物だけではないだろう」


 イオダスは表情のわからぬ黒真珠の頭部を細かく振るわせた。笑っているらしい。スカラーは会話が聞こえているようだが、静かに微笑んでいるだけだった。


 門から庭に続く道は石畳で、左右には緑が広がり、壁沿いに三階建ての美しい学舎、寮が並ぶ。乳白色の石、細かな蔦の装飾。学舎の前では子供が遊ぶ。


「寮は研究員が家族と共に住み、子供たちは目の前の学舎で学んでいます」


 寮の前には、研究員の妻と思しき女性たちが立ち話をしていた。

 その中に、ひと際美しい娘がいた。

 やわらかな明るい金髪。優しい、新緑を思わせる翡翠の瞳。風に、薄いグレーのスカートが揺れる。清廉な顔立ちで、その表情は儚げだ。

 他の女性たちは慌てて建物の中に入っていったが、彼女だけは凜と立っている。その腹は大きい。臨月であろうことは容易に想像できた。


「私の双子の妹であるソフィアです。先日、夫が戦死したので私の元に身を寄せているのです」


 ソフィアは、遠くでこちらを見つめながら、庭の木の後ろへ消えていった。まるで幻のような女だ。

 その後ろ姿に、プロクスは胸をざわつかせる。脳裏に、花を手向けられた女の姿が浮かぶ。


 ――プロクス=ハイキング、約束して。


 色とりどりの花に囲まれて、小舟の中で眠る女。その組まれた手が置かれた胸に、彼女の愛したスズランの花が添えられる。

 思わず一歩踏み出したプロクスを、イオダスが引き留める。


「……昔からの、あなたの悪い癖だ」


 イオダスにつかまれた手から、声が伝わってきて我に返る。


 ――か弱そうな女に、どこまでも甘い。全てを救うのは不可能だと知りなさい。


 手から不機嫌そうな感情だけが伝わってきて、プロクスはぽんぽんとその手を優しく叩き返した。

 それを、背後から【商人】たちが静かに見ていた。

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