第2話 弟子・ルーカス

 サンクトランティッド帝国には、七人の王がいる。


 最も南に位置する通称帝都こと、アストライア主国には【王帝】。サンクトランティッド帝国の七人の王の頂点に立つ宗主で、唯一無二の王。領土の下半分は海に接する。

 帝都以外の国に存在するそれぞれの地の支配者は、【王侯】と呼ばれる。サンクトランティッド帝国という枠の中から見れば、彼らは王の縁戚である公爵という立場だが、王帝は彼らをそれぞれの地の王として任じている。

 王帝、王侯共に元をたどれば騎士王・アトラス=ハイキングが始祖だ。アトラスの血族で、膨大な魔力を持つ者は【タハト】と呼ばれる濃紺の瞳を持つ。

 彼らは王であると同時に祭司でもあり、民の安寧を祈願するのは王族の役割であった。そして、【夜】の末裔が各地で王として君臨している。


 プロクスの領地があるのは、アストライアの東にある僻地・ツァガーン。


 元は公国であったが、数十年ほど前に王侯一族が途絶えたこともあり王帝の直轄地になった。原っぱとはいえ一応村は点在し、その中でもサーティス=ヘッドに接する西の空白地帯、足摺の森を監視する役目を担っていた。


 プロクスの本来の名は、プロクス・ハルノート・グラディウス。近しい者は彼女のことを「ハル」と呼ぶ。


 ハイキングは、王家から騎士の頂点に立つ者――騎士王のみが許される名称であり、彼女は王や貴族から「プロクス=ハイキング」と呼ばれ、公ではそれを名乗る。



「さて今日も頑張りましょう」


 プロクスはロバのアシリータを伴い、家の周囲の畑に実った作物を収穫する。濃い緑の葉っぱの下にある、黄色や赤のまん丸い実を見て、彼女は首をひねる。


「トメトスはまだだねぇ。もうちょっと大きくなるかな」


 言いつつ、大きなものをぷちぷちと手でちぎっていく。ロバのアシリータがほしがったので、一つあげる。

 井戸から水を汲み、桶と杓子を手に斜面の畑に水を撒く。土の具合を指先で確かめて、小さな芽が出ているのを見てそっと微笑んだ。


 ツァガーンに住み、早四十年。プロクスは、すっかり農業が板に付いていた。最初はちょっとだけ、から始まり今では家の周囲一面が畑と化した。今の服装も、何度洗っても大丈夫な麻の服に前掛け、つばの広い帽子。その胸には目と口に穴が空いただけの素朴で不気味な木の仮面。


 これを見て、誰が王の片腕だと思うだろうか。


小石芋ボロロスイモも収穫時だな」


 プロクスは手慣れた様子で、土を掘り返す。たくさんのイモを見て、宝物を見つけたように目を輝かせた。両手の籠にイモをいっぱい入れて、いそいそと水場に向かう。井戸の近くで小さなそれを水に浸して洗っていく。


「――先生!」


 遠くから、元気な少年の声がした。

 その声に、プロクスは仮面をつけて立ち上がる。丘の下、荷物を背負った彼女の愛弟子がいた。プロクスの姿を見つけると、彼は一目散に駆けてくる。立派な漆黒の騎士服の襟を緩め、手を振りながら。


「お帰り、新人ルーキー

「新人じゃねぇえええええ!」


 少年は怒鳴った。


「もう! 一人で仕事へ行っただろ! 俺も連れて行ってくれって行ったのに!」


 短い蜜柑色の髪の頭、夜明けを思わせる琥珀色の瞳。プロクスの養子であり、侯爵家を継ぐルーカス・グラディウスは文句を垂れた。


「でも、君は訓練中だったから。蠅を叩くような仕事より、仲間と交流を深めるほうが良いと思うのだがね。すまなかったな、ルキ」


 プロクスは弟子のことをルキ、と呼んでいた。それは昔からなので、弟子は口を尖らせただけで何も言わない。


「……弟子を成長させようと思わないわけ?」

「偏屈な老人といるより、たくさんの人と触れあい成長していくことの方が重要だよ」


 またそんなことを言う、とルーカスはとうとうあきらめのため息をついた。


「俺もうすぐ十五だし。成長しているし」


 ほら見ろ、とルーカスはプロクスの横に並んだ。ほんの少しルーカスの方が大きくなっていた。


「いや身長の話じゃないのだがね。でも君が大きくなってうれしい。最初はこんな大きさだったのに」


 プロクスは親指と人差し指で豆をつまむような形を作る。そんな師匠を、弟子であるルーカスは呆れて見る。


「……それで先生、大年会があるからアストライアに戻るんだろ、急がなきゃ」


 そうだそうだ、とプロクスは立ち上がる。


「タンタンには使い魔を飛ばしたからアッシュクラフトを連れてきてくれるんだ。……浮気じゃないよ、アシリータさん。私はいつだって君が一番だ」

「早く準備しなよ」


 傍らにいたロバを未練がましく抱きしめる師匠に、ルーカスは呆れ顔だった。背中を押して家に入れる。


「ルキ、イモが取れたから君の好きなハチミツイモのケーキしてあげようか。お腹空いているだろう」

「せ、先生。俺甘いの好きだけどさぁ……」


 ルーカスは頭を乱暴に掻く。いつまで経っても子供扱いの師匠に、彼は困惑していた。


「また帰ったらでいいよ。アストライアに行く準備をしなきゃいけないだろう?」

「そうだね。そうだ、ルキ。しばらく国からの仕事の依頼はないし、休暇なんだ。つまり私は騎士王じゃなくて、ただの一般人。心置きなくアシリータを愛で、惰眠を貪るつもりだけど、行きたいところある」

「え、でも大年会と次の日の王の誕生祝賀会は出るんだろ?それって仕事じゃん」

「それは前々から入っていた予定だから仕方ない……そうだ、麺。私は麺が食べたい。大年会が終わったら麺が食べたいなぁ。おっと、その前にイオダスのところにも行かないとな」


 休暇にも関わらず結局やることがいっぱいあるので、プロクスは静かになった。


「……わかった。麺ね。いつものとこ、席とっといてもらうから」

「さすが我が弟子。席取り名人。君になら春のタイタス山の花見だって任せられる――」


 プロクスがそこまで言ったところで、彼女はふわりと身を翻して家から飛び出した。ルーカスは、その後を慌てて追いかける。

 外で何かを待つようなプロクスの隣に並び、丘の下、砂煙を上げながら近づいてくる者を見る。


 大地を割るように荒々しく近づいてくるのは、巨体の男。猛獣のように険しい顔をしたこれまた大きな黒い馬に跨がり、銀の甲冑に赤いマントを翻してやって来る。その兜は鹿のような角の装飾があり、顔のところは十字になっており口元だけが見える。


「見てご覧、ルキ。あの素晴らしい馬。ラスボス種の最上級の筋肉を。君もドルゴラスを見習い、体をきちんと鍛えるのだよ」

「人の方じゃ無くて馬でいいの?」


 ルーカスは少しずつ速さを緩める馬を見つめる。巨体の男はどすんと地に降り立った。それだけで、地面が軽く揺れた。


「タンタン!」


 プロクスは両手を広げて駆けていく。そのまま胸に飛び込もうとするのを、男は腕を伸ばしぐいっと持ち上げる。無言で、小さい子にするようにその場でくるくると回った。


 老人に何てことをするのか、とルーカスは慌てた。

 ――彼は知らなかった。師匠が不老で、若い十八の時のままの肉体だということを。


「おい、おっさん! 先生をふりまわすな」

「大丈夫だよ、ルキ。血の巡りがよくなった」


 脇を抱えられ足が宙ぶらりんのプロクスは子猫のようだった。


「そうだな。あまりにうれしくて。ご無事で何よりです、閣下。お側におれず申し訳ありませんでした」


 男は重々しく言うが、そのままプロクスを片腕に人形のように抱く。


「うん、怪我もしていないぞ」


 ふむ、とタンタンこと、タイタニス・アリヤ=ハキーカは頷いた。兜を取り、明るい茶色の瞳でプロクスを見つめる。麦の穂のような黄金の髪が、風に揺れた。


「さすが我らの騎士王だ。たった一人で蟲の巣を殲滅するとは」


 そう言って、彼はプロクスをそっと下ろす。

 タイタニスは、プロクスの身の回りの世話する従者であり、ツァガーン地区の神殿に勤める神官でもあった。黒いマントと甲冑の下に身に付ける赤い衣装がそれを示している。


 筋肉の塊のような男は、およそ「タンタン」という名が似合わないが、騎士王は昔から親しい人間に奇妙なあだ名を付けるのが癖だった。

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