良い風呂の話

結佳

良い風呂の話

夫を連れて、馴染みの風呂屋に行く。入浴料と貸しタオル代込みで大人530円。子供はその半額だ。浴場にはボディソープとリンスインシャンプーがそなえつけになっている。とりたてて意識が高くなければ、手ぶらで来ることだってできる。


浴場の中には大浴場・水風呂・ジェットバス・電気風呂と露天風呂がある程度の規模だ。地域柄、温泉に事欠かない場所なので、湯舟には独特な色合いの温泉が満ちている。


洗い場は5人が並んで座るものが5列。広すぎず、狭すぎず、大人になった今でも丁度良い。


露天風呂にはテレビが備え付けてあって、ワイドショーが入っていれば、かしましい女性達が長風呂をしている。秋には植えられている木の紅葉が映えるし、冬には雪見風呂を楽しめる。

雪見風呂、なんてカッコいい言い方だが、通路に雪が落ちている時もあり、素足にはつらい。


子供の頃は、電気風呂の良さなんて微塵もわからなかった。ちょっと手を入れるだけでびりびりする、へんな風呂だった。

しかし、大人になって接骨院に通ってからだ。電気の圧で体がほぐされる快楽を知った程度には私も歳を取った。

電気風呂、ジェットバス、露天風呂にちょっと浸かって、もう一度電気風呂。最後に高温の浴場に入って〆る。いつの間にか常になっていた、究極の入浴方法。


身支度をしたら、マッサージチェアが待っている。

15分で200円。電気屋で試乗が楽しめるような上等なものではない。


ここから車で15分ほどの風呂屋の方が新式で、電気屋で試乗した時に感動した物がある。しかし、電気風呂はない。


隣町まで行けば、電気風呂も新式のマッサージチェアも揃った風呂屋もある。しかし、そこは広すぎて人も多い。落ち着かない。


マッサージチェアに乗る前に、自販機で炭酸系栄養ドリンクを一本買う。昔から変わらないフォルムの茶色い瓶。元気を示すような黄色のラベル。


小さい頃、お風呂場で飲める特別な存在だった。炭酸が苦手な母が、お風呂上りに半分だけ飲んで、残りを私にくれていた思い出がある。お風呂でなければ飲めない代物ではなかった。しかし、何故だか私にとって、お風呂屋とこの茶色い瓶はセットだ。


この炭酸をちょっとだけ飲んで、マッサージチェアに乗る。電気風呂を経て乗るマッサージチェアは、心地が良くて堪らない。

マッサージチェアに揺すぶられていた父も、今の私と同じ気持ちだったのだろうと思う。


恐らく、親たちも同じ感性の持ち主だったのだろう。自然と、両親の轍を踏んでいる私が居る。


昔から、日曜日の風呂といえばここだった。


夕飯の前に来て、子供の好きなアニメが始まる前に帰る。

両親はいつも、風呂代とは別に300円をくれた。

子供の料金は大人の料金の半分以下だ。300円の小遣いを握らせてくれて同じくらいの金額になる。


アイスは一つ150円。ジュースは一杯100円。カウンター脇に置いてある駄菓子を、いくつか買える金額だ。


または100円で出来るささやかなゲームコーナーで遊ぶ。休憩所ではテレビがあって、番台の趣味なのか、月刊のマンガ雑誌や、すっかり読み古されたマンガが棚に詰まっていた。


父はいつも長風呂で、その上出てきた後にも休憩スペースの横にあるマッサージチェアに座るのが常だった。母は休憩所でテレビを見て待っていた。私は、いつの間にやら時間をつぶす方法が身につくようになっていた。


今で大人1人530円にマッサージチェア200円&炭酸系栄養ドリンク一本120円を含めても1,000円以内でおさまる。

女子会一回のランチ金額より断然安い。だのにこの気持ち良さ。コスパは良いと思う。


ゲームコーナーで戯れる子供の声が響く。昔より設備は綺麗になったし、新しいゲーム機も増えた。今ほど楽しいものではなかった覚えしかない。


マッサージチェアに揺すられて、ふわつく足で休憩所に移る。


テレビにかけたお金を、少しくらいはマッサージチェアにあてても良いのではないだろうか。そう思わずにはいられないほど、休憩室の広さには合わないサイズのテレビが置かれている。


ちょうど、テレビでは球技の中継が入っているようだった。スポーツ観戦をする人々の方が尊重されている事が見せつけられているようだ。


テレビにくぎ付けになっている人。くたびれた漫画を読んでいる人。ぼうっと座っている人。親子で並んでアイスを食べている人。座布団を二つ折りにして寝ている人。混沌としているのに秩序が保たれている不思議な空間。


「今日は早いのね」


その混沌の中で、足を投げ出すようにして座ってテレビを見ている夫の隣に座る。夫の方がいつも私より長風呂だ。


「露天風呂のテレビ、やってなかったからな」

露天風呂でスポーツ中継が入っていたら、きっと出てこなかっただろう。そういう人だ。


片膝を立たせ、ゆったりと座っているその手に、飲みかけの炭酸系栄養ドリンクを握らせる。どうしても、半分を1人で飲み切るという事ができない。できる量なのだが、お風呂でのコレは半分こにするものだと勝手に思い込んでいる。その癖が抜けない。

ぬるくなっているだろうに、夫は文句も言わないで飲み干した。


時計を見れば、5時前を示している。そろそろ帰らなければ。いつも見ている日曜日の番組に間に合わなくなる。


「帰らなきゃ」

「もうちょっと」


何のスポーツかよく分からないが、今が佳境のようだ。テレビに夢中な人々が騒いでいる。


『もうちょっとだけ』


子供の頃、休憩所で漫画を読みながら両親を待っていた時。マッサージチェアか降りて迎えに来た父親に自分もそう言っていた。あの時、ちょうど読んでいた漫画が良い所だったから。


そんな事を思い出していると、落胆のため息が周囲から聞こえた。佳境の中、彼らが応援しているチームはどうやら、負けに近づいてしまったらしい。


「帰ろうか」


仕方ない、と言わんばかりに立ち上がる夫。荷物を持ち上げて、出口へと行く。私の片手には、濡れているお風呂道具がじとじとと主張している。

券売機近くのカウンターから「ありがとうございましたー」と間延びした声が背中にかかった。


早く家に帰ってビールが飲みたい。父が風呂上りのビールが一番美味しい!と言っていた気持ちが、今ならよく分かる。


両親の跡をなぞって行くのは、そう悪くないことだ。

願わくば、ここがこれからも変わらずに、ここに居てくれますように。

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良い風呂の話 結佳 @yuka0515

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