第7話 そして、また
遠くから聞こえる車の駆動音に耳を傾けて、高坂は今夜もまた街灯が照らすオレンジ色の灯りの中にいた。
表示されているのは“死神”が作り出したシステム──画面にはこの街の地図と残り時間を示した青い文字が映っている。高坂は“黒い靄”越しにそれを穴があくほど見つめる。
高坂の視線の先──靄のせいでどこを見ているかの判別はつかないが──には地図に映された一点だけの赤い文字がある。
佐伯 智華 6。
時刻は23:58。あと少しで彼女の“残り時間”は5になる。それを考えると高坂は薄く塩をとかした水を飲んだような気分になった。
人殺しは良くないことだという彼の正常な考えと、両親を生き返らせるために一刻も早く赤い文字の人間を殺さなくてはならないという彼の逸脱した想いが、大きなパラドックスを生み出していた。
「ふぅー……」
高坂は口から細く肺の中身を吐き出した。そして短く鼻から息をすると、
胸は未だ大きく圧迫されていたが、幾分か楽になった気がする。
高坂は右手の甲を見つめた。“黒い靄”に覆われたそれの形はまるでわからない。淡いオレンジの街灯は靄の闇に飲み込まれて、色白の手の甲を照らせずにいた。
スマートフォンに表示されているデジタル時計が23:59を示す。
高坂は残り一分の間、考え事をする。
──僕は一匹のカラスだ。
高坂は短くて重い翼を必死に動かし、民家の屋根から屋根へと飛ぶことをイメージした。彼が想像したカラスは
──ある日、僕はその
彼は沢山の休憩を挟み、重たく灰色の壁のように浮かぶ雲の下を飛んだ。やがて彼はどこかに辿り着く。そこは彼が元いた群れのカラスが
──僕はそこで安らぎの時を過ごす。
果たして彼は、その土地で罪悪を覚えるのだろうか。
瞑想するために閉じていた瞼を開いてスマートフォンを見ると、00:00を表示していた。
スマートフォンに赤い文字が4つ増える。合計で5つの赤い文字が半径二百キロの地図に無造作に配置されている。
高坂は今日、電気ポットに水を入れてこなかった。ぬるすぎるココアはあまり美味しいものでは無い。
「大丈夫……何度もやってきたことだ。怖くない。悪いことではない。……なぁに平気さ、計画は綿密に組まれている。指示通りに殺れ。僕は“死神”なのだから」
それは彼が“死神”をする時に決まって呟く文言だった。彼は“死神”と共に練り上げた計画に沿って動くだけ。
そう、それだけでいいのだ。
『先の事も後の事も……今の事だって何も考えるな』と、高坂の頭に“死神”が直接そう告げる。
それ以降“死神”は何も言わなかった。
“死神”は先程の高坂の瞑想を知っている。そしてその瞑想を憂いているのだ。
それが分かった高坂は「大丈夫さ、いつもそうだったろ」とかぶりを振ると体勢を崩して前に倒れる。 “死神”がそれに応えて胎動すると、夜の住宅街が高坂の左右を凄まじい勢いで流れていく。
×××
佐伯 智華 5。
高坂は4人の“残り時間”を全て吸い取り、再び佐伯の部屋へと侵入していた。
ここまでは順調だ。淀みなく“死神”を行使することができ、それは剣士が毎日行う鍛錬のように滞りなく完了した。
習慣のように高坂は“死神”を伸ばして佐伯の目を隠す。しかし、結果は昨晩と同様だった。“死神”が佐伯の“残り時間”を吸い取ることはない。
この黒い靄の膂力をもってして直接的な死神を行えば、きっと佐伯の“残り時間”を奪い取ることは出来るだろう。
だが、それは高坂の信条――
“死神”を行使する場合に、対象を傷つけてはならない。
に背く行為であり、実践することは大きく
何がいけないのだろうか。高坂はその事に
“死神”は梅雨の雨雲みたいに
「……んぅ……ふぅ」と、佐伯が静かに寝返りを打つ。
佐伯の顔の上に置いていた手を避けて、足音を立てずに移動した。今日は分厚い曇り空で佐伯の部屋の中は暗い。暗闇の中では異物である“黒い靄”も上手く溶け込める。
高坂はこれ以上ここにいても得られるものは無い、と判断し昨日と同じ工程を踏んで佐伯の家を出た。
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